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【作曲家K12】音楽を超えたもの

 学校の中の音楽を思う時、考えさせられることが多くあります。もし、多くの人が読むようなブログだったら私が書く事はすぐに炎上するでしょう。ブログをやっていて変なのですが多分ほとんど読まれる方がいないと思って書こうと思います。安全なところで書いていく事はよくわかっています。決して部活等で頑張っている方々を誹謗、中傷する気持ちはありません。私も一緒にやってきたことです。でも‥‥と思うのです。

音楽が越えた‥

 吹奏楽の楽譜出版社でヒット曲をすぐにアレンジをして出版する会社があります。楽譜は手書きで決して見栄えは良くないのですが、今流行っている曲を演奏できると言うことでかなり生徒には人気があります。最近はコンピュータソフトで良いのもありますので手書きではなくなっているようですが。今は分かりませんが、何年か前、新しい楽譜の出版されるとその中に現場の先生の声が投稿されたと思われる文章が、冊子なってが入っていました。その中で、中学校の吹奏楽顧問の先生から投稿されたものでした。詳しい内容は忘れましたが、男子の部員がやんちゃで楽器の扱い方が悪く、楽器を持てなくなるペナルティーを課されたようなのです。部活に来ても見学をさせられていました。日が経つにつれてその子が落ち着いた状態になったそうです。その生活態度改まって真面目に来るようになったそうです。私が注目したのは次の文章でした。「彼はだんだん音楽の先にあるものを見られるようになったようです。これから丁寧に楽器を持ってよく練習するでしょう」「音楽の先にあるもの。」多分この先生が言いたいのは「音楽以前のこと」だと思います。音楽やる者にとって音楽を超えたものとはとんでもないものだと思うのです。多分、あまり考えて書いたわけではないと思いますが,。「音楽の先にあるもの」と書くことがその先生にとってご語呂よかったのだと思います。(言い過ぎかもしれませんが)高校とか中学校の音楽系の部活についてもそれこそ「音楽以前のこと」がかなり大きなウェイトを占める事は確かだと思います。私が教員になりたての時、新設校で新しい部活のミーティングでよく出欠、遅刻籐の事がとりげられていました)学校では部活動は生徒指導の一環として捉えられています。中学校ではなおさらでしょう。そこで、それらが「音楽をこえるもの」になるのだと思います。そこで思うのですが、音楽の部活って何を以て活動しいるのかといこと。音楽で何を学ぶのか。音楽を学ぶのか。学校の中です「音楽で何かを学ぶ」のは当然のことだと思います。「音楽を学ぶの」はとても難しいのです。コンクールで「強く」ても音楽をやっていない学校、凄くあるのです。コンクール強豪校のあ先生が「音楽教育」云々と言うこと、凄く違和感があります。でも、運動系部活のように生徒指導、団体指導の卓越さを謳うのは認めます。(嫌みかな)

音楽をする

 毎年、夏のコンクールに参加して、多くの学校の演奏を聴いてきました。驚くのは指揮の方が音楽を遣っていないことが目につくことです。酷いことは音楽の流れに全く合致しない指揮もありました。でも演奏はきれいで上手いのです。(音楽的とは書いていません。それと、そこの先生、ほんとうの意味での指揮を求められていません)練習に練習を重ねて上手い演奏をしているのでしょう。(もちろん指揮なんぞ見ていない)ちなみに私は上手いきれいな演奏はさせらなかったのでしょう。いつも最下位近くでした。そういった私ですが。音楽の先生として「音楽」を生徒達のどうした伝えていけると言うことをずうっと考えていました。

私の求めたもの

 コンクールが苦手だったという負け惜しみのように聞こえるのですが、そうではありません。(50分の1位あるかも知れないので全面的に否定しません)それが、教員になってからの課題でした。気をつけていた事は、自分が発する音楽、ピアノの伴奏、楽器の演奏、指揮、歌うことなど1つ1つに音楽があることに心がけました。それは、感覚的で決して目立たないことであり形に現れることでは無いありません。でも、音楽ってこんなに美しく、心に伝わるものだと言いたかったのです。このことが生徒達に、伝わり理解してもらえたかどうかは分かりません。コンクールみたいに華々しく結果が出ることではありませんから。それを実践したことがあります。赴任したある学校の吹奏楽の定期演奏会で自作の音楽劇を7年間続けて上演しました。出来る限る音楽の豊かな歌やバックミュージックを作ることに心がけ、かつ演奏しやすく理解しやすいことを大切にしました。そして、生徒には自分たちで作り上げることを求めました。新作を演奏することは大変なエネルギーのいることだと思いまあす。それが出来る生徒達と思い任せました。年を追うごとに良いステージを作り上げられるようになりました。コンクール得意の先生から見ると学芸会にしか見えなかったかも知れません。その演奏会は上手くない、きれいで無い演奏を行っていましたし、スクール音楽劇のようでしたから。でも、本当は何でも無い事だったのでは無いかと思います。そのようなことをやっている学校は後にも先にもありません。私が転勤した後、きれいな上手い演奏が出来る、コンクール優勝常連校になりました。生徒の達の雰囲気も変わり残念な気持ちになりました。私もそれ以降、音楽をともに出来た学校、生徒達と出会うことはほとんどありませんでした。初任校ではオーケストラ部でした。その時は純粋の音楽が出来る場にいられてたと思います。オーケストラという作曲家の音楽性がフルに発揮する演奏媒体で、未だ若くて未熟な私と新設で未経験の生徒達と友に、音楽というものを学ばさせてもらえました。余談ですが私が転勤した後、コンクール向きの部活になりがっかりしました。

音楽ってなに?

 私には初めて聞いた交響曲に体の底から感動し震え、自分は音楽で生きていきたいと思った経験があります。教員になってそう言った経験、音楽を伝えられる能力を持つ人が凄く少なく、また努力している人も多くないことにとても残念に思いました。若い先生が音楽性を求めて高めるのではなくコンクール向きに賞を取るための手練手管を覚えていくこに非常悲しく思っていました。確かに、コンクールは目に見えた成果が出て生徒たちと一体感を持つことができます。それによって先生たちも1つの実績として見られます。名誉、名声、権威(良い学校に転勤できる。転勤しなくていい。昇進出来る)を得ることが出来るのでしょう。学校の音楽って何を求められているのでしょうか。こう書いてくると、コンクールって、いろいろな意味で、「音楽を超えた」もの!?

川手誠(作曲家)


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