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#4 怖い話が好き

 理由はよくわからないが昔から「ホラー」というコンテンツが好きで仕方がない。ホラー映画に始まり怪談やお化け屋敷、以前はよくあった心霊特番なんかも放送があれば必ず録画をして観ていた。その中でも特に「怖い話」が大好きで、Youtubeに上がっている怪談朗読やネットに転がっている洒落怖話、最近なんかはX(旧Twitter)に挙げられている短めの禍話を漁っている。
 そんな根っから怖いもの大好きっ子ちゃんの私であるが、盛りそれらにハマってしまっていたのは浪人時代であった。ネット上に知らない話はないんじゃないかと思うくらいにハマっていた。そんな勉強か怖い話かの二択みたいな生活を送っていた時期に気づいたことが一つある。

 題名を見たり冒頭を聞いたりした瞬間に、「あ、この話聞いちゃダメなやつだ」と直感的に感じる話が存在するのである。

 それらにはあまり統一性はなく、自分と属性が同じ主人公が出てくるからなどの理由でもない。めちゃめちゃ怖い話だったりもするし、ちょっと不思議だな程度の話だったりもする。時に町の話、時に山の話、時に学校の話など、時々まちまちのその話を聞いた瞬間に、自分の第六感的なものが聞くな見るな知るなと警笛を鳴らすのである。
 これは憶測だが、創作実話如何によらず話には多少の念みたいなものが織り込まれてしまうのだと思う。そして、その念は「波長」みたいなものを有している。その「話の波長」にラジオの周波数が急に合うかの如く読み手が過度に共鳴してしまう瞬間があり、それを私たちはなんとなくの違和感としてそれを知覚することがあるのだ。私はその自分が発する警笛に逆らったことは一度もないのでその先に何が待っているのかはわからないし、できれば知りたくはない。しかしながらただ事では終わってくれないんだろうな、となんとなく感じる。
 面白いことに、初めて出会った時は絶対ダメだと思った話も時間が経ってからもう一度読んだときには何も感じないというのもよくある。だからこの波長というヤツは、その日の体調や心理状態、果ては星の巡りなんかによって受信できる周波数が決まるものであり、それが合致していない日はなんともないのだと思う。でも逆にいえばどんな話や映像でも、「聞いちゃダメな話」になる可能性を孕んでいる、とも解釈できる。一回聞いた話だから大丈夫と読み直したり、むやみに思い出したりしてはいけないのである。
この話を聞いて心当たりのあってしまったホラー大好きの同志諸君、是非気をつけて欲しい。今から君が何の気なしに目にする映像の中にもそれは存在するかもしれないし、君の記憶の中ある最近見聞きしたのに何故かぼんやりとしか思い出せないあの話を、はっきり思い出してはいけない理由がそこにはあるのかもしれないのだから。

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