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「蜜蜂と遠雷」映画化記念…高島明石がどこかで弾いているであろう、フレデリック・ショパンの”ピアノ協奏曲第一番”




恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』の映画化が封切り間近ということで、恩田陸ファンでありクラシック音楽ファンでもあるわたくしにとっては一大事。テンションも大変に「荒ぶって」きております。

つまりこちらは、ワッショイワッショイ映画が楽しみだぞー、という雑記であります。







恩田作品の人物造形の総決算といえる今作の主人公たち


今作で個人的に一番グッと来たのは社会人コンテスタント高島明石なんですが、恩田作品には比較的珍しい「普通の人」なのが良かった。

恩田作品の主人公にはいくらか類型があって、これまでの作品レパートリーから主要なモティーフ、特徴的な人物造形を凝縮して煮出したような魅力が今作の主人公たちからは出ています。


まずもっとも「主人公らしい」のは栄伝亜夜でしょうか。不安定で現実離れした才媛。ほとんど全編が自己との対話、自分探しのような構成になっているのは「麦の海に沈む果実」シリーズの水野理瀬を感じます。沼地に浮かぶ全寮制の「豪華な檻」で巻き起こる数々の不気味な事件…覚醒前の拠り所のなさ、そのうっ憤を晴らすかのような覚醒後の壮絶な迫力なんかまさにそうですね。奏ちゃんも完全に憂理でよさみが深い。



眉目秀麗、長身で身体もたくましく、いわゆる天才らしい天才として想起される脆弱さが全く存在しない。ユーモアのある部分も打ちのめされるリアクションも含めて完璧に優等生であるマサル・カルロス・レヴィ・アナトールは恩田さんの「完璧超人像」を体現する人物。「ハイブリッド」「ダブルやトリプル」という言葉に象徴されていますが、複雑な人種ルーツに葛藤するのではなくすべて呑み込んでしまうことで器の大きさを表現しています。

『上と外』のニコラス君がモロですね。恩田さん自身の言及がありますし。こちらはサバイバルジュヴナイルアクション小説で中米グアテマラを舞台とするハラハラドキドキです。あと上記『麦の海の~』の校長なんかは夏は男冬は女として振舞うハイブリッドです。男と女のハイブリッドで強いという流れは新薬バイオハンター神原恵弥が世界を股にかけて西村京太郎ミステリーするシリーズでも見ることができます。




天衣無縫、まるで作曲家がいないように弾くスタイルで正負両面の大きな衝撃を与える風間塵。彼自身のモデルとなる人物はパッとは浮かばないですが、いくつかの作品モティーフに由来を求めることができるでしょうか。

先生に師事して厳しいレッスンに何千時間とつぎ込み、楽譜を研究し、作曲家の意思をステージに現出させる。現代のコンサートピアニストは表現者ではなく「イタコ」の宿命を背負っています。

そのような運命に諦念を持ち、あるいはそれが諦念であったことすら忘れてしまっていた審査員、その裏に座す音楽界を塵とホフマン師匠は挑発します。愛くるしい蜜蜂の少年は不吉をもたらす遠雷でもあるわけです。塵はオープニングから「招かれざる客」として描かれており、それがこの大作にボリュームを感じさせない刺激的な読み味を与えています。

「招かれざる客」というモティーフは恩田さん自身の主要な問題意識のひとつである「人や土地の記憶」と連携してくるものになっていそうです。人であれモノであれ、そして土地ですら、外部からの刺激によって、内部に秘められたものが図らずして開け放たれるというような感じ。亜夜と塵の演奏中の幽霊離脱的(?)な絡みなんて完全に恩田作品スピリチュアルフィールドでもうおじさんはガッツポーズしちゃったよね。あれ初見の読者の方は大丈夫だったんだろうか。漫画的表現だからセーフなのかな。

こうしたスピルチュアルフィールドは一般人に紛れて暮らす異能者を描く『常野物語』シリーズ、「アウトサイダー」として全国各地を漂う塚崎多聞のシリーズ、その名もずばり『訪問者』という(恩田さんには珍しい)本格ミステリ、英領日本というパラレルワールドで繰り広げられる幽霊騒動『ネクロポリス』などなど、恩田さんのホームともいえる場所です。最近でも軍都の記憶が形をとって人に徒なす『失われた地図』が発表されています。旅好きな人などにお勧めです。







群像劇の柱となった明石の普通さ


ちょっと早口のオタクみたいになってしまったので本筋に戻りますが、高島明石はちょっと毛色が違う感じで。大手楽器店に勤める普通の社会人。音楽家の夢を諦めきれず、研究者の夢をあきらめきれない教師の妻と一男を設ける家庭人。

普通だ。亜夜、マサル、塵とここまで見てくると高低差に「耳がキーンとなる」ような、あまりに俗です。高校の同級生という出会いまで普通だし、結婚式の画とか普通に浮かぶ。マサルはともかく塵には家庭の影すらないですからね。(塵の家族構成は「蜜蜂と遠雷ピアノ全集」付属リーフレットの書下ろし小説で明らかになります)



「普通の人」をお出しするときは大抵は群像劇かミステリーで(『ドミノ』『夜のピクニック』『QandA』『ユージニア』あたりでしょうか)、ガッツリスポットライトが当たってドラマ展開になるということがあまりなかったので、彼がコンテストという舞台と音楽業界のリアルを説明する役目を負いつつ、きちんと一人のコンテスタントとして三人の主人公に負けない「イニシエーション」を遂げたことには結構新鮮でフレッシュな読み味がありました。

気付けば共に一喜一憂させられる流石のストーリーテリングぶり。最前線を離れた故の苦労、同級生のディレクターと奥さんの視点であぶりだされる人の好さよ。そうだよね、ほんとよくやってるし良い奴なんだよ明石はさ、みたいな、架空の人物がすでに知人みたいになっちゃいますね。このへんはこれまでの群像劇でも遺憾なく発揮されてきた強さだ。

才能ある者も容赦なく淘汰される厳しい舞台に果たして「普通の社会人」である明石は耐えられるのか…!というハラハラに引き込まれ、一次予選で静かに勝ち名乗りを上げる奥さんで一度泣き、三次予選後の栄伝亜夜との抱擁で二度泣いた。、天才たちの彼岸と俗世間の此岸を繋ぐような存在でもありますね。亜夜との対比と邂逅にそれが表れ、最大のドラマとなっています。特別賞と亜夜の一言によって彼岸に足を踏み入れるというラストも最高。

映画では福間洸太郎さんが演奏されるとのことで、穏やかで丁寧な明石のイメージにドンピシャの方だと思います。シューマンのアルバムをひとつ聴いたことがありますが、まさに「シューマンの言いたいことが素人にもわかる気がする」という感じです。





ワイは明石の二楽章が聴きたいんや…


さて、選曲も飾らずストレートで行く明石。本選の協奏曲にはショパンを持ってきていました。余談ですが恩田さんがラフマニノフの三番嫌いすぎてクソ笑った。ニンニク、豚骨スープ、太麺、特盛という感じは確かにあります。私は好きです。

閑話休題。ショパンのピアノ協奏曲第一番は言わずと知れたピアノの詩人ショパンが、花の都パリに打って出るぜと書き上げた作品といわれています。弱冠20歳。血気盛んなコンテスタントと同年代で書き上げたわけですからコンクールと親和性のある作品とも言えましょう。





決然とした第一主題(軍隊行進みたいに演奏する人が許せないんですけど)包み込むような第二主題、ピアノをほっぽってすでに盛り上がっちゃってる心憎い演出です。場はすでに温まってるけど主役のピアノはまだ?と思ったところで、ドーンと一発。

日本の特撮なら絶対背後で爆発が起きてる。

登場した瞬間から根こそぎかっさらっていってここから全部俺のターン!していきます。同時代の名作に比べて伴奏がしょぼすぎる、という指摘もありますが、ピアノが目立って何が悪い、というお気持ちのほうを私は推したいですね。もちろん止めどない掛け合いによってハイアーグラウンドまで持っていかれるという経験も至福ですが、美しいメロディも超絶技巧も徹頭徹尾聴衆を全部独り占めして駆け抜ける独奏ピアノの痛快なこと。これぞ協奏曲よと快哉を叫びたくなります。

たぶん明石はもっと落ち着いた、ノーブル路線になるのだと思われますが…残念ながら聴けないんですよねこちら側からは…福間さんのCDでも明石のショパンは残念ながらありませんでしたし。栄伝亜夜さんはエスパーなので明石が演奏するショパンを幻視したみたいですけど、凡人にもわかるように音にしてほしい…w 特に月明かりの下でしっとりと歌い上げる二楽章とか、明石の音で聴きたいですね…


「映画化されないように書いた」と言う原作小説がどのように形になり、音になっているのか、公開が待ち遠しいです。


それでは。