カモメ

Twitterで書ききれないこと色々とここで。 創価学会員・…

カモメ

Twitterで書ききれないこと色々とここで。 創価学会員・壮年部員で頑張ってます。

最近の記事

🎬フェイブルマンズを観て(ネタバレあり)

先日、AmazonPrimeでフェイブルマンズ(吹替版)という映画を見た。 この映画はあの有名なスティーブン・スピルバーグ監督の自伝的映画ということで、ヒット作を次々と作ってきたスピルバーグがどんな環境で育ったのか興味があったので観たんだけども。 スピルバーグ(映画の中ではフェイブルマンズという名前)は幼少の頃は映画嫌いだったようで、そこは意外だった。 お母さんの不倫を乗り越え、お父さんとの葛藤などもあり、また芸術家の叔父との出会いなどもありながら、スピルバーグは成長し

    • 母の入信

      (名前は全て仮名) 19歳で結婚したおふくろは、すぐに僕をお腹に身ごもり、お腹が少し膨らんできた頃、実家によく行き縁側で海を眺めていたようだ。 おふくろが仏法の話を聞いたのは、ある日、その縁側に座ってた時だった。 ※ おふくろが生まれた故郷は、九州の佐賀県唐津市にある某港町。 半農半漁の小さな田舎町で、おふくろの実家は海士を営んでいたが、かなり貧困の家庭だった。 家族構成はおふくろの両親、4男3女で、おふくろの実母、ヒサは、おふくろが7歳の時に病で亡くなった。

      • 人間力

        仏法を根本に人と会い、 人の喜んだ顔、悲しんでる顔、 悩んでる顔、怒ってる顔、 振る舞い、 それらにたくさん触れて、 自らの成長を祈ることにウェイトをおいて歩いてきた人の人間力は、 膨大な知識を詰め込んだ人さえ圧倒するんだよね。 「学は必ずしも多くは必要としない。学んだことを実行するを上となすのである。もし人、多く学ぶとも、行わなければ何の益もないのである……一法句を解するも、行ぜば道を得べし」(法句経第二)

        • 地区部長として

          僕が地区部長になったのは42才の時。 面接の折、担当幹部から “毎日地区の発展を祈り、 常に地区のことを考るように” と指導を頂き、 師匠からの指導と受け止めた。 おふくろへ任命を受けたことを伝えると1言 「役職に胡座をかかないように」 だけだった。 意気込んで地区部長として初めての座談会を行なったが、壮年部員の参加者は僕以外1人だけだった。 それから10年間、僕は地区部長として活動することになる。 僕は師匠池田先生に、地区のこと、四者の部員さんの1人ひとりの状況、

        🎬フェイブルマンズを観て(ネタバレあり)

          家族-火事の事

          あれは確か僕がもうすぐ18歳になる頃だったかな。 当時、うちの家族(父母僕弟)は横浜市の某区に一軒家を借りていた。 おふくろと親父はまだ離婚しておらず、なんとか夫婦を保っていた時だった。 一軒家と言っても平屋の小さな家で、部屋も少なく僕と弟は同じ部屋で寝起きしていた。 その部屋で、僕が寝ていた場所の左側には大きな窓があり、家族の中で僕が1番早く太陽に照らされる場所だった。 ある日の夜、いつもよく寝る時間に寝た僕は、寝返りをした時に少しだけ目が開いて、窓が視界に入り、小

          家族-火事の事

          執念〜割り箸3本の事

          創価学会の拡大活動はざっくり言うと「執念」が大事で、基幹活動、支援活動において「執念」があるかないかで結果も変わってくると思う。 そのような流れで、僕も「執念」においては先輩同志に、度々の基幹活動、支援活動で指導され、自ら「執念」を湧き上がらせ、結果を出してきたと自分では自覚はあるし、今もその心得で頑張っている。 人は同じことを幾度と繰り返すと毛穴に入ると言うけど、今回は僕が創価学会の活動の中でまさしく毛穴に入っていた「執念」が、ある恋愛の中で起きた、ちょっとありえない流

          執念〜割り箸3本の事

          ある未活動の部員さん

          僕が男子部から壮年部になって1年後に、地区幹部の任命を受けて本格的に地区の部員さんを回り始めた頃の話。 60歳になる男性でAさんという独身の部員さんがいた。Aさんはマンション住まいで、いつも訪問すると玄関ドアを開けてくれるが、ドアチェーンを掛けたまま10センチほどしか開けてくれない方で、仕事が忙しいとの理由で活動はできないという方だった。 いつ行っても、玄関ドアは開けてくれるので、とても消極的な顔でうつむきながら僕の話は聞いてくれていたけど、僕はいつしか仕事を言い訳に活動

          ある未活動の部員さん

          流星〜時代は変われど

          今回は創価学会、信心に関する話ではないけれども。 年齢を重ねる度に、吉田拓郎さんの「流星」という歌が身に沁みる。 当初この歌を聴いた時は、恋愛の歌だと思っていたけど、今聴くと、時代が変わっていく中で、それに順応しようとする古い男の葛藤のような歌に聴こえる。 ※ 仕事から帰宅して、テレビをつけるとNHKでドキュメンタリーをやっていた。 家に居場所がない女の子が、歌舞伎町に入り浸る生活を追った内容だった。 その女の子がレポーターに質問されながら、心境を話す内容を聞いて

          流星〜時代は変われど

          創価学会の指導性の今と昔

          時代は変わる。 ボブ・ディランの歌じゃないが、創価学会の中で、僕が20代~30代の時に経験した指導、折伏、家庭訪問の仕方など、今はほとんど通用しなくなった。 特に指導、激励に関しては、師匠である池田先生も今は誉める時代だと、自分は厳しい薫陶を受けてきたのだから、後継の人材にも厳しくというのはダメだ、というような、確かな記憶ではないが、そのような指導をされている。 僕は本当に指導が厳しかった時代の創価学会の流れは知らない。 しかし僕が20代~30代の時は、まだまだその時代

          創価学会の指導性の今と昔

          南無妙法蓮華経の音律

          以前に会合などで、題目の音律の話を何回か聞いたことがあり、結論まで若干の内容の違いがあったが、結論はいずれの話も同じだったので、ここに書き留めておこうと思った。 ざっくり話を書くと、ある学者が引っ越しをしたところ、隣人が創価学会員だったらしく、毎朝、「南無妙法蓮華経」と聞こえてくるので、ある時に、隣へ出向き題目を録音させてもらい、音を研究する知人に音律を調べてもらったところ、赤ちゃんが母胎の中で聴いている音律とほぼ一致してるということで、これは宇宙の音とも一致してる、という

          南無妙法蓮華経の音律

          花火

          花火の季節もさよならしていく。 いつか横浜港で、押し競饅頭状態で打ち上げ花火を見てた時、創価学会の花火が飛んだら、他の花火と同じように、観衆は"おー!綺麗!"と言ってたが、その後ほとんどの人が"やっぱり金持ってんな〜"と言っていた。隣にいた僕の彼女は僕の顔見てニヤケていた。 僕は創価学会の地域友好としての花火に感動したのと、僕らの広布の戦いを少しでもやり易くしてあげようとの、師匠からの花火だと思い感謝をした。

          大金持ちになりたいという夢に対して

          いつか座談会に来援して頂いた区幹部の方は、社会的には、誰もが知ってる一流企業に勤め管理職をされていた。 当時、共に活動していた地区リーダーが、座談会終了後にその幹部の方に"宝くじで億のお金を当てたいが、信心頑張ってれば当たりますか?"と質問した。 その幹部の方の答えに僕は凄く納得した覚えがある。 「当たるかどうかは君の福運と使命によるだろう。ただそれよりも大事なのは、億のお金を手に入れても、それに見合う心の境涯がなければ、使い方を必ずと言っていいほど誤って不幸になる。お

          大金持ちになりたいという夢に対して

          宗教が憎いと言った彼女

          昔、オウムの事件で友達が被害にあったという彼女と恋愛していた。 宗教が憎いと言う彼女はつき合い始めた当初、当然に僕が信じる仏法、創価学会の話など聞かなかった。 そんな彼女だったので、僕はつき合いの中であえて教義の話をそのままにせず、比喩を使って自分が信じる仏法、生命哲学を語っていった。 またうっかり弱音を吐くようなことがないよう注意し、常にポジティブな言葉で彼女を励ましたり、笑わせたりすることに努めた。 そんなある日、レストランで楽しく話をしていた時、急に彼女は、

          宗教が憎いと言った彼女

          署名活動で学んだ日本人と外国人の物事の受け止め方と宗教観

          創価学会の活動の1つとして署名運動があって、青年部の時にはよくやったんだけども。主旨は、国民として、創価学会員として変えたい環境に対し署名を集め、支援する公明党に提出し改善してもらう運動。 ある時の署名運動で僕はとても価値ある体験をした。その署名運動は名前と住所を書いてもらうことに対し、日本人のみならず日本在住の外国人でもいいという形だったのもあり、署名を頂く時に様々な意見・観点を知る体験ができた。 その時の署名運動の内容として、集める期間は1ヶ月、1つは携帯電話ポータビ

          署名活動で学んだ日本人と外国人の物事の受け止め方と宗教観

          創価学会の中で未活動からあえて活動家になり、そして本当の活動家になった⑧

          親父はそれからも見つからなかったけど、とりあえず僕が感じてた悩みの一件は落着したから、 信心に前向きに取り組み始めた。 僕は未来部の時に読んだ開目抄と諸法実相抄、御義口伝を今度は身で読む心得で読み続けた。 魔とは?苦難とは?行者とは?広宣流布とは?そして創価学会とは?と1つひとつ自分の心の中で、親ではない僕という1人の人間の修行者としての答えを出していった。 日々幹部への捉えも変わっていった。 未来部の時から今日まで、地域の同志の方達の、人生の苦難を信心で乗り越えんとする

          創価学会の中で未活動からあえて活動家になり、そして本当の活動家になった⑧

          創価学会の中で未活動からあえて活動家になり、そして本当の活動家になった⑦

          僕が椅子に座り、しばらくすると社長は書類を自分のバッグに入れてから、顔を上げて僕を見た。 僕が挨拶をすると、社長はびっくりしたような顔で"はぁ…"と言いながら黙って僕を見ていた。僕は親父がかけた迷惑を謝り頭を下げた。その間もじっと社長は僕を見ていた。 すると社長は「こんな立派な息子さんがいたんだね◯▲さんは。いや驚いた。」と言った。それから親父がどこに行ったのか見当がつかない話と、仕事ぶりは立派で真面目だったが、飲み屋にツケをしまくるほど遊びがクセになってた話をされ、飲み

          創価学会の中で未活動からあえて活動家になり、そして本当の活動家になった⑦