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歩いて国境を越える(ベトナム→カンボジア)

2015.09.20(Sun)  4日目 バンルンへ ルタンーオヤダヴ国境を越えて

朝、ボロボロの薄いカーテンから日のひかりが差し込んでいるのに気がついて、目を覚ました。
相変わらず、じとっ、と冷たく湿った空気が充満している部屋なので、ノビをする気にはなれない。

支度をして部屋を出ると、おっちゃんはフロントの前でちゃんと待ってくれていた。
バックパックを背負ったままバイクの後ろに跨り、バスターミナルへ向かう。

10分程度で到着。
バスターミナルに人は少なく、目に映る全ては朝の強い陽射しを浴びて、ピカピカと1日の始まりを訴えてくるよう。
おっちゃんは僕が乗るバスを見つけてくれた。きちんと「カンプチア」行きと書いてある。

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おっちゃんと別れて、ターミナル内で朝食を探す。大抵の国では、ターミナル内に食堂や果物屋、雑貨屋などがあるため、長時間のバス移動に必要なものを調達できる。
ベトナムの朝といえばフォー!と思い、鶏肉のフォーを頼んだ。

20150920_01プレイク

数人のベトナム人に紛れて、フォーをすする。食べながら、頭ではこれから陸路でカンボジアに入国することを考えている。
カンボジアにはどんな人がいるんだろうか、今日1日はどんな日になるだろうか。
添え物のハーブを少しだけかじりながら、高揚している自分に気がつく。

食事を終えて、ミニバスに乗り込むと、2〜3人の現地人が乗っていた。
今日の客はこれで全てらしい。

ミニバスは出発すると、しばらく畑の真ん中にある1本道を進み、その後森の中へと入っていく。

出発してから1時間半ほどで、バスは停車した。ベトナム側の国境地点「ルタン(Le Thanh)」に到着したのだ。
荷物を持ってバスを降りると、目の前には巨大なコンクリートの塊がそびえ立っていた。
あれ、思ってたのと違うぅ・・・!?

20150920_05ルタンーオヤダヴ

中に入ると、だだっ広い空間に、ぽつりと荷物検査の機械があり、側面の壁にはガラス越しのカウンターに制服をきた検査官が2人座っていた。明らかに暇そうだ。日に何人がここを通過するというのだろう。

パスポートを出すと、検査官は黙ってページをめくる。ゆっくりゆっくりと、沈黙が流れる。
こちらは初めての国境通過でドキドキしているのだ。ここで通さないと言われるわけにはいかない。

まるまる2分ほどの沈黙を経て、進めと言われた。
たまにくる外国人のパスポートを眺めるのが唯一の楽しみなのだろうか。
ともあれ、無事に出国できた。

建物を出ると、少し先にゲートが見えた。
あの森を通り抜けた先にカンボジアがある。
そう思うと、なんだか国境感があってうれしい。

20150920_06ルタンーオヤダヴ

森を進む。
バックパックを背負って、サンダルを履き、自分の足で国を渡る。
この旅の大きな目標にいま到達しているのだ。

国境線ははっきりしていなかった。
けれど、周りに誰もいない中、ひとりで国の境にある森を抜けていくというのは、なんとも原始的で不思議な感覚だった。

抜けるとすぐにカンボジア側の施設が見えた。
その佇まいは、ベトナム側とは圧倒的な差だった。
コンクリート固めの国から木製の国に入ったのだと実感させられる。

20150920_07ルタンーオヤダヴ

建物は粗末だが、通常のイミグレーションと同様のタイプの手続きができるようだった。
カンボジア側はオヤダヴ(Oyadav)という国境となっている。
入国手続きを終えて、同じバスに乗り込む。

バスはまた森を進み、すぐに平野に出た。
窓の外を見ると、景色が変わっていた。
土は黄土色から赤褐色に、そして植生も大きく異なっていた。
人が作った国境ではあるけれど、そこが国境になった道理はあるんだろうなと感じた。
外国によって地図上で勝手に国境線を引かれてしまった国では、こうはならない。

20150920_04プレイク

バスはさらに進んでいくが、ふと自分はどこで降りるんだろうか、と思った。
このバスは「カンボジア」行きであって、どの町へいくのかは書いていない。
そこは焦らず、文明の利器、Google Mapを開いてみる。
すると、比較的大きな町を通る道を走っていることが分かった。
それであれば、どこかで適当に降りればいいか。
スマートフォンがなければ、こういうことでもドキドキできるんだろうな。

しばらくすると、バスはある町で停まった。
何人かが降りていくのを見て、僕も降りてみることにした。
グーグルマップではあらかじめエリアのマップをダウンロードしておかないと町の名前や細かい道までは表示されないので、ここがなんという町かはわからない。

降りると、グーグルマップでの現在地とカンボジア版のロンリープラネットを見比べた。
僕が着いたのは、どうやらバンルンという町らしかった。

バンルンにはシンボル的な湖があり、その北側に先ほど通ってきたメイン道路と商店などがある。
両替ができる小さな銀行もあり、旅人にとって最低限のものは揃っているようだった。

ともあれ、今日の宿を確保することから始めたい。
湖の周辺に宿が点在しているようなので、とりあえず湖へ向かう。

20150920_08バンルン

歩けば、深く深く沈みそうな青い空と、気まぐれに発生しては揃って低く浮かぶ白い雲が、目の前に広がる。
相変わらず暑いが、気分は悪くない。
2カ国目カンボジアもいい旅になりそうな予感がする。

湖の周りには、点々と宿が並んでいて、そのうちの一つに泊まることにした。
部屋は明るくて大きめだったが、ベッドの上になんだか細かいものがたくさん落ちていて、あまり清潔感はなかった。

一息つく前に、明日の移動先とその方法を考える。
どこかで連泊したいけれど、さすがにまだ早いので、もう少し進みたい。
宿の店番をしている少年に相談してみると、ストゥントゥレンというメコン川に接した町へのバスが、明日の昼過ぎにあるという。
メコン川はラオスの旅でもいい出会いが多かったから、特別な想いがある。
明日のストゥントゥレン行きのバスに乗ることにした。

部屋に戻り、ベッドの上を綺麗にし、ファンを回して寝転ぶ。
町を回ってみようかなとロンリープラネットを手に取り、ぼーっと眺めていると、気づけば体が脱力感に支配されていた。


動きたくない。
外に出たくない。
お腹は空いたけど食べに出たくない。

俺はここで何をしているんだろうか、そんな考えさえ出てきた。自分でもなぜだか分からない。


この旅を始めてからは、(さまよったり)苦労も多かったけれど、それは全て報われてきた。
それに、いい出会いにも恵まれてきた。
つまり自分にとっては”盛り沢山”ないい旅だったのだ。

これを書いているいま、その時を振り返ると、きっと盛り沢山すぎて、肉体的にも精神的にも、消化が追いついていなかったんだと思う。
撮った写真も少なく、あまりカメラを手にしてもなかったんだろう。僕の場合は、旅をしているとたまにこういうことがある。それも旅だ。

僕はそのまま、3時間くらいベッドの上でショートしてしまった。

気がつくと、窓から差し込む西日で部屋が蒸し暑くなっていた。さすがにこのままなにもしないのはまずいと思い、ほとんど義務感でベッドから起き上がり、町の中心部へ歩いて向かった。
翌日の昼までという時間制限のなかでバンルンを味わうには自転車を借りるのが最適な気がしたので、自転車屋へ。

話してみると、自転車の貸し出しはやっているようだが、夜を跨いで借りたいんだというのがなかなか伝わらなかった。基本的に日中貸しばかりなんだと思う。
色々と言い方を変え、ようやく理解してもらって、二日分の料金を支払い、普通の自転車を手にいれた。

赤土がむき出しになっているのどかな道を、ぐらぐらとやる気なく適当に進んでみる。
学校帰りの子供達が、ただの自転車にモーターを付けた乗り物(ある意味原付?)で僕の横をスーッと抜いていく。自転車なのでペダルはあるが、モーターが付いているので漕ぎはしない。謎だけど、なんだかクールな気もする。

しばらく進むと辺り一面なにかの畑になった。僕の頭の中ではなんとなく「ゴムの木」「プランテーション」というワードが浮かんできたけれど、実際になんの植物かはわからない。とにかく辺り一面きれいに同じ木が並んでいる。
たまに本体の大きさがわからないくらい四方に荷物をくくり付けた低速のオートバイとすれ違う。のどかだ。それ以外に表現のしようがない。

20150920_09バンルン

次第に影が長くなってきた。今日のサイクリングは終わりにして、飯屋を探すことにした。
そしてこの後、カンボジアの一番の印象を植え付けられることになるとは、まだ知る由もなかった・・・。

自転車に乗りながら、中心部で飯屋を探す。
割と賑わっているしホテルもある町だから、外国のレストランもあるかもしれない。とはいえやはり最初はカンボジア料理だ。どんな料理なんだろう、楽しみだ。
そう思って、一番賑わっている通りを過ぎるも、それらしい店は見つけられない。いやいやきっと別の場所に集まっているんだろうと思って探してみるが、そんなエリアはない。結局3周くらいして、「おそらく食堂だろう」というお店が数件見つかっただけだった。ベトナムのように、店先で豪快に調理している店など皆無だ。

おそるおそる一番食堂っぽい店に入ることにした。しかし客は誰もいないし、なんなら店員も見当たらない。
中まで入ってみると、奥に店員を発見。こちらに気づくとメニューを持ってきた。食堂で正解らしい。
しかしメニューを持ってこられたところでカンボジア語オンリーなため、ダメ元で店員に「チキン?」と言ってみた。チキンは一番無難なはずだ。
そして店員の反応的にはあるらしい。ジェスチャーを交えてライスも頼んだ。

初めてのカンボジア料理。楽しみな一方で、ベトナムはすぐそこだから、大して変わらないだろうとも思っていた。そして今だに他に客はいない。
そんなことを考えていると、料理が運ばれてきた。
平たい皿に炒めた肉ような塊がコロコロと乗っている。ライスはプラスチック製のおひつのようなものに沢山入れられている。おかわり自由らしい。

とにかく食べてみようと改めてチキンを見る。だが自分が知っているチキンはそこにはない。
一口サイズにぶつ切りにされたチキンは半分以上が骨で、周りに多少肉がついている程度。
細かい骨も多く、味付けらしい味付けもされていない。
おまけにご飯はこの上なくボソボソで、おひつで出されても困る。
割とアジア料理に順応できると自負していただけに、受け付けない自分に少しショックだった。

おそらくこの地域では外食の文化がないのだ。きっとそれぞれ自宅で美味しい料理を食べているのだろう。
そう思うことにして、店を出た。
カンボジア料理という言葉を聞くたびにこの時の食事を思い出すが、それはそれでそうなのだから仕方がない。

帰り際にスプライトを買い、夕飯代わりの栄養補給。
自分でも少し悪い流れになっている自覚はある。
バンルンが悪いのではなく、自分の状態が悪いのだ。
それもまた旅であって、あまり足掻いても仕方がない。流れはきっと流れていく。

こんな時は読書に限る。
持ってきた本に没頭して、遅くに寝た。

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