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ラオス旅を終えたいまの所感

一昨日の朝、無事にラオスから帰ってきた。(と書き始めながら、結局書き終わったのは一週間後の今日・・・)

普段ノートに書くことは、読み返したりしながらゆっくり書くのだが、じっくり振り返る記事は未来の自分に任せて、備忘も含め、旅の終わりに振り返ったことを中心にそのまま書いてみようと思う。きっと長くなる。

大学時代、文化人類学のゼミの教授に「その日のことはその日に書け」といつも言われていたが、未だにできない。だって、ビアラオを飲んだらそのまま寝てしまうのが気持ちいいんだから。

旅の概要

まずは客観的な情報として、旅の概要を。

2/10 9:30 成田からタイのバンコクへフライト、15時頃着。
2/11 13:55 バンコクからラオスのルアンパバーンへフライト。15時過ぎ着。
2/12 9:00 北部のルアンナムターへバス移動。15:30着。
2/13 ルアンナムターでバイクを3日間レンタルし、ムアンシンへ移動。
2/14 ムアンシンからロングへ移動、宿を押さえたうえで、ミャンマー国境のシェンコック周辺を探索。
2/15 ロングからルアンナムターへ移動、バイク返却。ナイトバスでルアンパバーンへ。
2/16 ルアンパバーン滞在
2/17 15:50 ルアンパバーンからバンコクへフライト。深夜便で成田へ。
2/18 8:00 成田着。

※リンク化している都市名をクリックorタップすると、グーグルマップへ。


ラオスを選んだ動機について

ラオスは、別の記事でも書いた通り、過去に2回行っていて、僕の好きな国だ。なにが好きか。はっきりしたものはないけど、なんとなく感覚というか波長が日本人と近いものがあるのかもしれない。まだよく分からない。

そのうえで今回ラオスを選んだのは、
①北部へまだ行っていないこと 
②昨年のベトナム・ハジャンの旅が自分にとってとてもよかったこと 
の2点があるように思う。

②について、ハジャンは少数民族が多い山岳地であり、ラオス北部も同様だという前情報があった(2カ所は距離的にも近い)。

ラオスとベトナムを国単位で比較すると、ベトナムの方が発展していると言える。だから、ラオスを旅すれば、より”ディープ”な旅ができるんじゃないかと思ったのだ。なんといったって、ラオスの北部は、ラオスの奥地だからだ。そう思っていた。


自分の中の「北」のイメージについて

結論から言うと、(勝手に)思っていたよりも、奥地ではなかった。

僕が「奥地」だと思っていた場所は、北に接する中国側からの「入口」だったのだ。
中国から大量の物資が輸送され、中国資本によりその物資を売る店ができ、中国観光客を受け入れる宿ができる。そしてそれは、中国の昨今の経済発展により、急激に進んでいるのだろう。

考えれば当たり前のような気がする。それなのになぜ自分は気づかなかったのか、と考えた。

一つは、中国とはいえ、南部の雲南省周辺は発展が遅れていて、隣国への影響などないだろう、とどこかで思っていたのではないかということ。しかし、それ以上の要因があったように思う。
それは、自分が持っていた「北」のイメージだ。

日本で犯罪者が逃亡するときは、多くが北を目指して逃げるという。北は寒く、山があり、厳しい自然環境があり、多くの人は住んでいない、というイメージを自然に身につけている日本人は多いのではないか。自分もまぎれもなくその一人だったのだ。
普段からなるべく偏見を持たずに、フラットな考えをしよう、と思っているはずなのに、こんなありきたりな偏見を持っていることに気づきもしなかったなんて。

市場ではおばちゃんが道端にネズミやコウモリの肉を並べていたし、少数民族の服装をしている人はある程度いたし、都市部ではなく田舎であることには変わりなかったが、当初の動機だけで考えると「アレ・・・?」という感じだった。
当初の動機を叶えようと思っていること自体が、偏見を事実へと置き換えていく旅の楽しさと相反しているのだが。

結果、動機とは期待はずれだったが、旅の楽しさに加えて、自分の中の「北」イメージを認識するというおまけまでついた良い旅になった。


チェキ(OnePhoto)活動と旅の関係について

チェキ(OnePhoto)の詳細はこちら

今回はフイルムを150枚持って行ったが、正直多すぎた。
多く持っていくとどこか「撮らなければならない」気持ちになる。もともと、いい出会いがあったときに、さらに仲良くなったり、感謝のためにチェキというツールがあると思っていたはずなのに、無意識の中で「いい出会い」を起こさないといけないような錯覚に陥る。

すると、何かに「期待」する。思った出会いにならなかったら、「落胆」する。そしてなぜか、自分が「見たいな」と思ったことを後回しにしてしまう。帰りでいいや、先に進もう、と。そして、チェキを撮るような出会いも少なくなる。いま自分が見たいものを見て、自分が楽しめばいいだけなのに!

一方で、150枚持って行ったのも無理はない。この活動を軌道に乗せていきたいという焦りにも似た強い気持ち、やはり焦りか、もあったから。その分、ラオスを選んだ動機が叶って欲しいと思っていた部分もあったのだろう。

途中からは、反省し、自分が見たいものを見ることにした。そして、それに期待しないことにした。撮れなくたっていいや、と。ボーペンニャン、ボーペンニャン(大丈夫、なんてことはない、というラオスを象徴するような言葉)

すると、山一面のサトウキビ畑で働く40人くらいの人たちと出会った。
とてもいい出会いだった。帰り際、一人の少年を撮影した。そこで撮ったのは1枚だけ。けれど、旅の終わりには100枚を超えていた。

きっと、見たいものを見て楽しもうとする自分になったことで、出会いを引き寄せる「顔」になっていたのだろう。本当に、一つの出来事からマルッと好転していくから、旅は面白い。


20代後半の焦りについて

先ほどの「活動を軌道に乗せていきたいという焦り」に限ったことではないが、20代後半というのは「焦る」ことが多いと勝手に思っている。

一般的には30代前半に大きなライフイベントを迎えることが多いと思う。結婚、子育て、仕事の方向性、など。その準備段階として、一つ前の20代後半というものがある。30代前半のライフイベントというのは、準備なしに1日で成り立つものではない。
「周りと比較する必要はない」と思っていながらも、常に頭の片隅にはある。

準備時間が、刻々と無くなっていく。
自分はどうやって生きていこうか。
どういう人間になろうか。
どうやって死んでいこうか。
このままでいいのか。

僕が尊敬できるような、ああなってみたいな、と思う人たちは、26歳でそれまでのレールから抜け出した人が多い。不思議と本当にそうで、26歳。
26歳で大成したわけじゃない。抜け出すのが26歳。
自分は、そこからも距離が遠くなっていく一方になってしまった。

前に進んでみるしかない。足踏みしている暇はない。やれることをやっていこう。焦らなくていいわけじゃないんだと思う。


自分の中の中国人への感情について

僕は人種差別が嫌いだ、と自分では思っている。
中国人や韓国人がこんな悪いことをした、とか、日本人のこの行動は中国や韓国でも賞賛の嵐だ、とかいう具合の、自分に都合のいい事実だけを切り取り共有しようする姿勢は、醜いマスタベーションでしかない。
謙虚さ、内に秘めた芯の通った誇りを持つのが日本文化の美徳なのだと思うから、それを崩そうとする姿勢こそ日本的ではないと思っている。

そう思っているはずなのに、ラオスが中国色に染まっていくのを感じて、「嫌だ」と思った。
春節で多くの中国人がルアンパバーンに押し寄せているのを見て「やめてくれ」と思った。
この気持ちはなんなのか。

街に中国語の表記が増えた。中華料理屋が増えた。中華式の宿が増えた。店には中国で作られた製品が多くなっていた。たくさんの中国人が街にあふれている。

しかし、そんなことを言えば、英語表記はどこの街にもあふれているし、イタリアンのパスタを出す店もある。「◯◯飯店」や「◯◯酒家」よりも「◯◯GUEST HOUSE」の方が圧倒的に多い。日本にはアメリカからの輸入品なんて山ほどある。ラオスには中国人も多かったが、依然として欧米人も多い。

結局、欧米人はまだ良いが、中国人は嫌だ、と思っているのではないか。
欧米文化に慣れ、むしろ未だに憧れを抱いて追従しようとする社会の中で、同じ意識を持っているのではないか。自分たちが買う前提の服のモデルに、欧米人やハーフを使っているくらいだ。
憧れの存在の方に向かうのは自然だが、そうではない方へ向かうのは許せないと思っているのではないか。

しかし、だ。
中国人がルアンパバーンの閑静な路地で何度も大きなクラクションを鳴らしているのを見て、心底腹が立つ。同時に、よその国に来て、夜遅くまで野外で酒を飲んで騒いでいる欧米人にも腹が立つし、バンコクの空港のレストランで、我が物顔で日本語だけで注文し店員を困らせている日本人にも腹が立つ。

多少なりとも偏見を抱いていることは否定ができない。しかし、どうしても、偏見だけではないような気もするのだ。

このことについては、いま結論を出すことはできないが、旅のお供として持って行った、藤原新也著『全東洋街道(下)』(集英社文庫)の中で、共感できるかもしれない記載があったので、抜粋しておく。

彼らはその時もあの時も中国人である。中国人ほどいかなる場面でも人種的アイデンティティを壊さない人種も珍しい。彼らは、ロンドンに居てもサンフランシスコに居てもカルカッタに居ても香港に居ても一定の中国人であることを止めない。彼らの体質にはあの巨大な中国大陸の底から湧き昇る地質学的エーテルが、どうしようもなくその体質の中に根付いているようだ。(P290 l9~l14)

ルアンパバーンで泊まったゲストハウスの軒先で、宿主のおばちゃんと並んで座りのんびりしていると、狭い路地の目の前に、春節で大量に往来している白いSUV車の1台がやってきて、強いクラクションを数回鳴らした。
別の宿に泊まっている仲間を呼んでいるらしい。
ルアンパバーンではクラクションを聞くことはほとんどないから、周りの人は少し驚く。

少し間を置いて、横にいたおばちゃんが「Chinese」とつぶやいた。

それが、単に「あれは中国人ね」と言いたかったのか、それとも「あれは中国人であって、ラオス人はあんなことしないわ。わかってね」と言いたかったのか。その場ではよくわからなかった。

もしかしたら、僕が国に入る時にも村に入る時にも、常に意識している「お邪魔させてもらう」という姿勢から自然と発しているセンサーに、傾向として中国人は反応しやすい、ということなのかもしれない。
とりあえず、このことについては今後も意識して考えてみよう。もしかしたら、これからの時代の流れの中で、とても重要なことかもしれない。


「少数民族」について

結局のところ、自分は「少数民族」になんの興味もないことが、今回の旅で確信的になった。
ハジャンを旅した時もそうだったが、そこが何族の村であるかなんて知りたいと思わなかった。ラオスでお歯黒をして民族衣装を来ているおばあちゃんに会っても、夕方に上裸で垂れた乳を出しながら水を運んでいる女性を見ても、その事実に対しては「ふーん」としか思わなかった。
そして、シティ派(僕の語感)な価値観の影響度が低いことの指標としてのみ捉えていた。面白そうな場所だな、と。

要は、人に興味があるのであって、民族に興味があるのではないことがはっきり分かって良かった。

では、少数民族がいることと、僕が興味を持つかもしれない人がいることに相関がないかというと、そうではないと思う。

傾向として、少数民族と呼ばれる人々は厳しい自然環境がある辺境の地に住んでいることが多いし、この時代に文化を守り続けることは強い意志や誇りが必要だろう。彼らは、きっと日本に生きる僕に大切なものを教えてくれるだろうし、気づかせてくれるだろう。


ルアンパバーンの重力について

ルアンパバーンは地球で一番重力の強い場所だと思う。
ラオスを選んだ動機があったはずなのに、到着すると、「移動なんかしないでここにいてもいいかな」と思ってしまう。動き出すのにエネルギーが要る場所だ。

なんでだろうか。

今回改めて気づいたことは、観光地でありながら、すぐ横に人々の普段の生活を感じられる場所であるということだ。

思わず目を惹きつけられる荘厳なお寺の隣では、路地でおばちゃんが皿洗いをしている。
アクティビティの仲介屋では、店が半ば居間になっていて、客の目の前で家族団欒が繰り広げられている。

あれだけ観光客が闊歩している中で人々が自然体の生活を続けている場所なんて他にあるのだろうか。
ラオス人の精神性がそうさせるのかなんなのか。

だから自分も、自分のペースでいていいんだ、と思える場所。
気が向いたらやればいいし、気が向かなかったらやらなければいい。

そしてもうひとつ、確実に街全体の空気に影響を与えているのが、街を流れるメコン川の存在だろう。
雄大で、沢山の恵みを与えてくれる存在。人々の生活を支えていると同時に、精神性にも影響しているはずだ。

おおらかで、懐が深い。動じないのか、受け流しているのか。

やっぱりルアンパバーンは好きな場所だ。


旅の語学力について

英語をもっと勉強しなければ。
旅自体でコミニュケーションに困ることはほとんどないが、旅人同士で話す時になかなかついていけない。

ネイティヴ同士の会話についていけないのはまだしも、お互い第二外国語なのについていけてないのは情けない。
今回もスペイン人やフランス人と話すことがあったが、同じペースで喋っていけなかった。

スマートに会話できるようになりたい。努力しないと。


今後の旅について

ラオスは自分にとって定点観測できる場所になった。
今後も定期的に行こうと思う。

でも定点観測ばっかりしてたらだめだな。新しい挑戦をしながら、たまに帰る場所にしよう。

気になる点として、これまでの経験から適当に乗り切れることが多くなってきてしまった。
特に東南アジア文化圏は行き過ぎてしまったかな。振れ幅が大きくて面白いエリアなんだけど。

興味があるのは、イスラム文化圏。明確なルールがあって、曖昧さがある種の美徳である仏教圏とは対照的と言われている。そんな環境で、人間らしさや欲望はどうやって生きているんだろう。
明確なルールがあるということは、裏を返せば、ルールを設けなければ人間がどうなってしまうか、人間の心の中に秘められたものにより自覚的であるとも言える。

イスラム教という宗教が「怖い」「悪い」宗教なのではない、と思う。この「思う」を、自分の実感から出る言葉に変えたい。

ニューヨークにも行ってみたい。
いまだに世界の中心地と言われている。

「世界の中心地」が何を表すのか。国際関係を組織立てているアメリカの中心地だからなのか。それであれば、それに組み込まれていない人々の中心地はどこなのか。
それとも、思わず「世界の中心地だ」と言葉をついてしまうようなものがそこにあるのか。

このラオスの旅も、とても良い旅になった。
さ。次はどこへいこうか。

ラオス最後の夜、メコン川沿いのオープンテラスでビアラオを飲みながら。


たくさんの応援ありがとうございます。