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【光る君へ】改めて、”直秀”を想う


最も成功したオリキャラ?

2024年3月3日に放送されたNHK大河ドラマ「光る君へ」第9回で、辻の散楽演者・直秀とその仲間たち、あわせて7名が検非違使役人によって殺害され、遺体が鳥辺野に棄てられる場面が放送された。

この作品では今のところ、男性キャラクターがとても魅力的に描かれている。主人公のまひろがいろいろこじらせているせいでもあるが。その中でも直秀には独特の色気と男気があり、放送が進むにつれて人気が急上昇、幅広い層にファンができていた。それゆえ、突然惨殺されてしまったという衝撃とその後の”直秀ロス”はかなりのものがあった。SNSの「#光る君絵」タグでは、ドラマでは描かれていない過程を補う絵や、海の見える遠い国へ行きたいという夢をかなえた絵や、現代転生ものなど、様々な愛にあふれたファンアートが披露された。

大河ドラマでは1991年放送の「太平記」あたりから、取り扱う時代における被支配者階級の姿を描く”オリジナルキャラクター”の手法が取り入れられるようになった。貴族や武家などが残した公的記録からは漏れているが、確実に存在していたはずの人たちをドラマに織り込むことで、当時の社会情勢描写に厚みを持たせる狙いである。

一方オリジナルキャラクターは、どうしても現代の視点が反映されてしまうし、脚本家の考え方が浮き彫りになりやすいため、批判にさらされることも多かった模様。それを思うと直秀は”最も成功したオリキャラ”と言えるだろう。資料が少ない平安時代が舞台で、時を超えて読み継がれる長編小説を発表した女性を主人公に据える作品ゆえ、想像の余地が十分に広げられるという条件が追い風になったと見る。

賄賂はダメよ!

直秀たちは、流罪に処するつもりだった藤原道長と検非違使役人の間に生じたディスコミュニケーションの犠牲となる形で処刑された。検非違使たちの判断については様々な考察がなされている。

(1)当時は流罪に相当な手間がかかっていたので、検非違使は面倒を省いた(公式もこの見解を取っている)
(2)道長から渡された心づけを「右大臣家を侮辱したならず者たちを厳罰に処せ」の意味と受け止めた
(3)心づけは、まひろを解放させるためのものと解釈した
(4)そもそも検非違使たちは道長の青臭さを見下していて、もらえるものはもらった上で、故意に道長の意向に背いた

の4点に集約されるだろう。いずれの説も相応の説得力を有しているが、それ以前に現代社会に向けて放送するドラマ作品として「賄賂に頼るのはダメよ!」という強いメッセージを出したかったのではないかと、私は受け止めた。道長の父・藤原兼家や安部晴明たちはどす黒い謀略合戦の中で生きているが、そういうおじさんたちはもう放っておいて、若い芽は少しでも清く育ってほしい、不正に手を染めてほしくないという願いが込められているように感じられた。

平民と貴族の”あはひ(間)”

直秀は生まれた時から平民で、貴族に対して強い憎悪を持つ人物と設定されている。毎熊克哉さんもそのつもりで演じている。(「美術展ナビ」サイトに詳しいインタビューが掲載されている)が、有識視聴者の間で「直秀のルーツは貴族なのではないか?」という指摘が上がっていた。

・散楽チームは10世紀末(ドラマ舞台の時代)に生きた貴族出身の盗賊、藤原保輔をモデルとしている気配がうかがえる(リーダーの名を”輔保”としている)

・直秀という名前自体、生まれながらの平民とは異なる命名である(毎熊さんは「自分で考えたのかも」とお話されているが)

・能や歌舞伎、幕末の”ええじゃないか”から現代のロックやアニメに至るまで、芸能の歴史には”権力に対する反抗や風刺から生まれ、弾圧を受け、やがて体制に認められ新たな権威となる”現象がしばしば認められるが、散楽は逆に朝廷公認の芸能から一般庶民が演じるものに”格下げ”された経緯を持つ

を根拠としている。少なくとも第一次産業に従事する庶民や貴族に仕える下人にはない才覚を持ち合わせている人物だろう。それゆえに貴族のふるまいに対して怒りを覚え、散楽による風刺や、上級貴族の家を狙う窃盗(富の強制再配分行動とも解釈できる)で反抗するという発想が生まれる。

2~3世代前までは貴族の一員で、官位はそう高くなくとも真面目に出仕していたが、ある代で主人が謀略などにより左遷され、そのあおりで失業させられた家柄の生まれという裏設定も考えられる。それこそ菅原道真に仕えていたご先祖だったかもしれない。

直秀は平民と貴族の”あはひ”(間)に位置するキャラクターとして位置づけられ得る。となれば、貴族にとって出世街道から外れてしまうこと、子孫にまで影響が及ぶことの恐ろしさを間接的に物語る役割も果たしている。

まひろはもちろん直秀の出自について何も知らないが、埋葬する時に、根っからの平民とはどこか異なる気配に感づいただろうか。

「影の道長」

第10回で、道長は父から花山帝出家計画の謀略を聞かされ、さらに姉の詮子から源倫子・源明子への婿入りを強制され、改めて自分の家柄が持つ”闇”の深さに向き合わされる。もはや家族の誰も安心できる存在ではなくなっている。

もうこんな暮らしは耐えられないと言わんばかりに、まひろに激しく求愛する。身分を捨てて都を出て、駆け落ちしてもよいとまで思い詰める。叶えられなければこの命を絶っても構わないという思いさえ頭をよぎっていただろうか。

対してまひろは、自分の愛する人は道長しかいないと自覚しつつも、あくまで冷静に返していく。視聴者には「女性のほうが早く大人になる現象」と受け止められていたようだが、まひろには”間”の不安定さが身に染みているがゆえでもあるのだろう。もとより出世欲が全くない上に、花山帝のお付き兼間者というせっかくの役目を自分から降りてしまい、一家の困窮生活に頓着しない堅物な父・為時と直秀の間にいかほどの差があろうかと考えていた節も伺える。さらにまひろの頭の中で、直秀は”影の道長”でもあったという理解ができていたと解釈できる。

検非違使との間の意思疎通さえうまくできない道長がもし貴族の身分から離れたら、直秀以上に苦しい人生になってしまう。道長にはルサンチマンを行動原理とする人になってほしくない。今はまだ眠っている才能は、貴族社会のトップになることでしか開花させられない。文字通りの王道を歩んでいく方が世の中のためであり、ひいては自分たちのためにもなる、そう考えたゆえの冷静さだろう。私は与謝野晶子の短歌

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

を思い出してしまった。情を示す和歌を送る道長、志を示す漢詩を送るまひろの姿に、この一首が重なり合った。

一方、この局面であまり冷静になりすぎてしまうと、道長は自分の前で命を絶ってしまいかねない。道長は政権を担う家柄にいながら、自分や直秀とはまた違った意味で”鳥籠に囚われている立場”に置かれている人だと、まひろはこの時咄嗟に気づいたのだろう。直秀に続いて、道長まで失うことだけは絶対に避けたい。それゆえ、まひろはためらうことなく、道長にわが身を委ねた。その時点で道長に対してできる、精一杯のいたわりでもある。まひろは”あつき血汐”を受け止めることで、最大の危機から脱した。

吉高由里子さんは「ステラnet」のインタビューで、次のように述べている。

どうせ、まひろは道長しか愛せないじゃないですか。「2人で遠くの国に行っちゃいなよ!」と思いましたね(笑)。
<中略>
今の感覚だったら、「“玉の輿”しちゃえばいいのに!」とか思っちゃいますけど(笑)。まひろには、当時の女性として生きる強い意志を感じましたね。

「ステラnet」より

並の女性ならば貴公子の熱烈なプロポーズに応えない手はない。しかしまひろはこの頃既に、物語で描かれるファンタジーの世界は大好きだけれども、リアルとは別のものという意識を持っていたことになる。同時に、自ら及び生涯大切にしたい周囲の人たちの立場を俯瞰して見る、今の言葉で「メタ認識」的な思考能力も獲得できている。そこが不朽の名作を生み出せた原動力だと、大石先生はみなしているのだろう。道長は家柄のプレッシャーが重くのしかかっているとはいえ、直秀の死や、検非違使の態度に動揺を隠せない段階で、この境地に思い至れるのはもう少し先になりそう。

美しい月光に彩られた”愛の場面”は、まひろの視点から見る満月を象徴として描かれた。視聴者に、まひろへ感情移入してほしいという意図に加えて、道長が貴族のトップになるためには高貴な身分の姫を妻に迎え、自らの血を引く子供を産ませるというステップが必須になる、すなわちまひろは望月が欠けていくような断腸の思いで抱かれていると知らしめる演出でもあるのだろう。

事後、道長の「振ったのはお前だぞ」
まひろの「幸せで、悲しい」

このやりとりが二人の立場と思いを象徴している。

蛇足だが、花山天皇出家事件(寛和の変)の(太陰暦)6月23日は下弦過ぎの月の頃、すなわち道長とまひろの逢瀬から1週間ほど後にあたる。『大鏡』には「有明の月のいみじく明かかりければ」と記されている。日の出の早い季節の夜明けも近い時間帯で、花山帝が「忯子の文を持って参るのを忘れた、取りに戻る。」と言った際に道兼が焦ったのは無理もない。

兼家のリスクヘッジ、直秀の直感

道長の”眠れる才能”は、父・兼家も密かに評価している。段田さんも「ステラnet」のインタビューでその見解を取っている。花山帝出家計画は周到に準備されたが、兼家は万が一の失敗に備え、道長に「父に呼ばれたが一切存ぜぬ、わが身とは関わりなきことと言い張れ。しくじった折は、父のはかりごとを関白に知らせに走るのだ。さすればお前だけは生き残れる。」と指示を出す。クーデターが失敗して花山帝続投・懐仁親王廃太子になる場合でも、道長や詮子のもうひとりの姉・藤原超子(時姫の長女)と冷泉帝の間に生まれた居貞(おきさだ、ドラマでは”いやさだ”)親王(後の三条天皇)を東宮として、叔父にあたる道長にその後見を託す心づもりだったのだろう。見事なリスクヘッジである。超子はドラマで描かれる時代よりも前に崩御しているので登場しないが、子供時代の居貞親王は第11回に登場、ナレーションで簡単に説明された。

一方、「ステラnet」掲載の毎熊さんインタビューによれば、道長への思いは”理屈じゃない”と説明されている。

どんなに丁寧な言葉で話しかけられようが、笑顔でいようが、こちらを見下しているかどうかは、見下されている側、虐しいたげられている側にはわかるもの。でも、道長にはなかった。

「ステラnet」より

すなわち本作において道長は、理詰めでも直感でも好意を持ってもらえる、というか嫌いにはなれない人物として描かれている。異なる立場で関わる人々全てから「生き残り、政を変えていくように」と導かれていく存在でもある。

しかし、この時点の道長にその自覚は全くない。父から万が一の場合の指示を聞いた後、鳥辺野で泣き崩れる回想場面が挿入されていた。すなわち道長の心のうちでは、自分が期待されているという意識よりも、”家”とは自分の命を犠牲にしてまで守らなければならないものなのか、そこまで大事なものなのかという疑念のほうが勝っていただろう。

直秀という名は「物事の本質を見る直感に秀でた人物」という意味で大石先生が名付けたのだろうか。

武骨なキューピッド

直秀の名セリフとして「帰るのかよ…」というつぶやきをあげる人は多い。このひと言で人気がブレイクした感もある。毎熊さんが「あさイチ」ゲストに招かれた際も照れながら披露していた。

私はそれもよいが、第6回でまひろが提案した”したたかな五節の舞姫”のストーリーを聞いた時の

「大体、その話のどこがおもしろいんだ。散楽を見に来る民は、みな貧しく、かつかつで生きている。だから笑いたいんだよ。」

が印象に残った。

直秀は男性のみで構成されるホモソーシャルな環境で生きている。散楽の仲間に「お前、あの子に惚れているのかよ?」と問われても、「俺は誰にも惚れねえよ。明日も知れぬ身だ。」と返す。

様々な受け止め方があるとは思うが、直秀はもともと恋愛や女性との関係を自分ごととして実感しないタイプではないかと、私には思える。散楽の演目で藤原詮子を風刺する”アキの女御”の役をやらされていたが、それはあくまで政治風刺劇として表層的に演じられるもので、女性心理を深く繊細に表現する目的ではない。輔保から「次は倒れた五節の舞姫を考えている」と言われると「俺はあまり気乗りしねえけどな」とつぶやく。すなわち、彼の視野には”男の世界"しか入っていない。”ミソジニー”(女性嫌悪)という以前のレベルで、そもそも関心が向かない。

たとえばサロン土御門に集う貴族の姫たちの、微笑みの裏のさや当てなど、彼の想像の範囲外なのだろう。知らないものについては風刺しようとさえ思い立たない。知っているからこそ、これはおかしいという憤りの心が芽生え、初めて批判や風刺が成立する。

かように武骨な直秀には、恋愛や結婚さえも出世や保身の道具として使い、爛熟的な愛の行動を繰り広げる花山帝以下貴族たちのふるまいを相対化させるという、ドラマ上の役割が与えられている。それはラブストーリーをたくさんヒットさせてきた大石先生自身の仕事さえも俯瞰するような視点である。

自らに恋愛の欲がない彼だからこそ、まひろは右大臣家の御曹司が好きということもフラットに受け入れて、身分の差が厳しいからやめておけと言うものの、それでも二人を応援したい、何とかうまく行ってほしいという”キューピッド”的な役割を果たせたのではないだろうか。最後は自らの死を以て道長とまひろを結ばせた。”武骨なキューピッド”として殉じた人生だった。

まひろが、身体能力の高さに感心して

「すごいわね。人じゃないみたい。」

と言った時に返した

「虐げられている者は、もとより人扱いされていないんだ。」

も、注目に値する。「人じゃない」という言葉が持つ両義性に起因するすれ違いを示すことで、日本語が持つ”誤解の危険性”に言及している。

このドラマでは、まひろが若いころに経験した様々なできごとや、いろいろな立場の人との出会いがやがて『源氏物語』として結実した、ということにするはずである。まひろは直秀との交流を通じて”恋愛脳”以外の男心や、貴族以外の人たちの暮らしぶりについて学び、人を普遍的に喜ばせる表現テクニックを身につけていくのだろう。

時をかける直秀

科学技術が発達して、人類が自分たちの身の回りに起こる現象について自分たちの言葉で合理的に解釈できるようになるまで、ドラマの時代から700年以上の時間が必要とされた。平安時代の人たちは、自らの手に余る現象は何でも「怨霊」「鬼」のせいにしていた。死んだり血を流したりすることを「穢れ」としていたのは、経験則的に衛生状態を保つ意味合いもあったと想像できる。水銀や鉛の化合物を成分とする化粧品の危険性に対する認識も、全くなかっただろう。

そんな時代に道長とまひろは直秀の遺体に触れて、泥の代わりに扇を持たせ、埋葬の形を整えて弔った。穢れに触れるというタブーを乗り越える行動でもあった。忯子が息を引き取ったと聞いた花山帝が遺体に寄り添おうとして、穢れだからとお付きに止められ、強制的に引き離されたエピソードと対照的に描かれている。

そのような世の中では安部晴明のような陰陽師が、時に兼家すら牽制するような歪んだ力を持ってしまう。まひろが脚本を考えた散楽チーム最後の演目は、安部晴明を狐に見立てて揶揄するストーリーであった。直秀たちは「非科学的な考え方に右往左往される政治のだらしなさ」に気づけたのだろう。それは極めて後世的な視点である。

仏教の世界で「六道輪廻」や「来世救済」の考え方が定着するのはもう少し先の時代になるようだが、当時の人にとって死はごく身近にあるもので、本能的に”生まれ変わり”を信じていたのではないだろうか。それは救いになると同時に、うまく行かない現在の人生を”消化試合”とみなすリスクもはらんでいる。

直秀は閉塞感漂う都を出て、海の見える遠くの国で新しいことを始めたいと願っていた。すなわち不確かな来世などに期待せず、今の自分の人生で事を成したい、自分の使命を見つけたいという考え方である。まひろはそこに共鳴したからこそ「行っちゃおうかな…」とつぶやいたが、それは自分にとってあくまでもファンタジーに過ぎないこととすぐに気がついた。まひろはこの前段階を踏んでいたからこそ、第10回で切羽つまるほどに思いつめて、来世に期待する気配さえ漂わせていた道長を前にして、冷静な拒絶だけに留まらない行動ができたと、私は感じた。

直秀はジェンダー以外のことに関しては、物理的にも心理的にも様々なボーダーを乗り越えられる人物で、時代さえも駆け抜けられるような発想の持ち主であった。歴史ドラマにおけるオリジナルキャラクターとして、最も成功した所以である。

もし直秀が「#光る君絵」タグを賑わせる現代転生作品を見たら、苦笑しつつも、とても喜ぶだろう。

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