四月になれば彼女は - 愛を終わらせない方法は
(※ ネタバレになってしまうかもしれないのでお気をつけください)
『愛を終わらせない方法は?』
わたしは最初与え続けること、とか、愛し続ける努力をすること、とか考えていたけれど、
その答えは
『手に入れない事』
どうして手に入ってしまうと愛が終わってしまうのか
…それ(終わる事)が選択肢にあるからなのかな
続くか終わるかどっちかだよね、じゃなくて
続くを選ぶか/終わるを選ぶか、なんだよね、きっと。
でも今、少し倦怠期?でちょっとの言葉や態度でイラっとしてしまったり、そのイラっを返したくなってしまったり。
出会った頃は、
好きを探して自分の中で付き合ってもOKな理由を集めていたのに
今では、
続けて良いのか、この先ずっと一緒にいて良いのか
一緒にいられる人なのかみたいなものの
判断材料のような感じで
嫌なところはないかな大丈夫かな、みたいに見てしまっているから、
嫌なところが、見つかるというか、見つけてしまっているのかな
キャラクターとか動物とか、なにか好きになると突然街の中に増えたように感じる、みたいな
虫が嫌いだとすごい見つけちゃう、みたいな
例えが変だけれど、
同じものを見ていてもつけているフィルター次第で
違うものが目につくというか気づくというか。
そして
優しくしたり、愛を伝えることも、
今までしてきたことより、もっとレベルを上げないと
伝わらないんじゃないかって思うと
大変というか苦しくめんどうくさくなっちゃって。
そのままのお互いが好きなはずだけど、
今まで幸せ!と感じていたものが、基準ラインになって保たれていると
それ以上の愛を見れないと(物理的にとか)(愛って本当はカタチに見えないものなはずなのにね)
前の自分の気持ちと比べたら、足りないかどうかではなく、物足りなく感じることは当たり前な気がして。
1人の孤独より2人の孤独の方が辛いっていうのも同じこと気がする
2人の楽しさを知ってしまってからの1人の方が寂しいのはしょうがないけど、
そこで、1人にさせられてるとか、寂しくさせられてるとか、相手が"してくれない"から1人になっちゃってて寂しいってなっちゃうと、足りないと感じることに繋がってしまいやすいのかな、と思ったり。
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』、
"愛することの本質は自分から「与える」ことだ。 "ということばを思い出しました
〇〇してもらったとか〇〇してもらってないとか
そうなってくると、愛とは話が変わってきてしまう
『愛するということ』ももう一回読み直そう。
最後『わたしはわたしに会いたかった。あなたのことが好きだった頃のわたしに。あのまっすぐな気持ちでいられた頃の自分に会いたくて』
あぁ、
すごく、そう。今。
嫌いになりたくないのに、マンネリしてしまうとつまらなくなっちゃう時があって、苦しくなっちゃって。
会いたいのに、会ったら、嫌なところを見つけてしまいそうで、会いたくない、とか会わない期間を伸ばした方が、お互い大切さに気づけて楽しい時間を過ごせるのではないかな、とか
相手はどう思っているのか、
付き合う前は、付き合う時に確認し合うのが一般的?だから伝えて確認し合おうみたいな期限みたいなものが何となくあって、意識できるけれど
付き合いが長くなると確認しなきゃいけない、絶対に、みたいなタイミングがないから、(それこそプロポーズのタイミングとか?)お互いが積極的に伝えないと、話さないと、伝わらなくて、伝わってるかも分からなくて。
2人で初デートの場所に行けば、それぞれがその頃の自分たちに会うことができるのか、
1人で行けば会えるのか、
分からないけれどこの映画のようなあれくらいの出来事がないと、お互い昔の自分の気持ちに出会う、気づく、みたいなのって難しいんじゃないのかな、って思います
手に入れた(この話で言うと、手に入れてしまった…?)ものを愛し直すには。
手に入れたっていうのも、変な気もするけど、
どうしたらいいんだろう。
友だちは手に入れても愛は終わらない…?って思ったけど、
恋愛は1人に1つずつってなってるからなのかな、って思った、
1人頑張っても
それだけ相手とのギャップが生まれてしまうかもしれないし
話し合うって大事なんだろうな
大変だから、とか、苦手だから、とか言って
避けていたら
どんどん話し合い始める、みたいなところのハードルも上がってしまう
でもこれ一緒に観に行っても
半分くらい寝ちゃうんだろうな、と
共感が難しいことに寂しくなりました
むずかしい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?