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生きていくということ

お正月気分も抜け、新年最初の note は何を書こうか考え始めていた1月半ば過ぎ、夫に1通のメールが届いた。
そこには衝撃の言葉が並んでいた。

本日〇〇が亡くなりました。

えっ!えっ?どういうこと!?えっ?
意味が分からない。言葉が飲み込めない。
○○とはメールの送り主の妻さんのことだ。夫の友人夫妻で、お互い二人暮らしということもあってか、たまに4人で会って食事をする仲だ。
確かに最近はいつもより会わない期間が長めではあったけれど、様々な理由で余裕のないこともある世代でもある。
それにしても、こんなことは想定外の外!
あまりのことに頭の中が疑問符だらけで、2~3日経ってようやく涙が滲んできた。

何があったのかは文面になかったので、ただただ葬儀についてのやり取りを淡々と繰り返してその日を迎えた。

通夜で手伝いをした友人が、同じく手伝いをした○○ちゃんの友人に訊いたところ、1年か1年ちょっと闘病していたとのことだった。

○○ちゃんは朗らかで楽しくて場を共にする人を誰も不愉快にせず、いくつになってもかわいらしい稀有な人だった。
ストイックな夫さんとは対照的なゆる~い性格で、そんな二人のやり取りもおもしろくて、とにかく仲の良い夫婦。
よりによってなぜ彼女が・・・

葬儀場で○○ちゃんの友達か同僚と思われる人たちの号泣する声が響きわたり、
一層悲しみが深くなる。

通路に喪主の言葉と写真があった。
それを読んだらもう堪らなくて堪らくて、涙が流れた。

告別式はお手伝いをさせてもらった。最後にほんの少しだけど役に立てたかな。そういう風に思いたいんだよ…

私たちは今、〇〇ちゃんのいない世界を生きている。これからは、彼女を失った夫さんと生きていく。

年齢を重ねていくということは、悲しい出来事に出会っていくことでもある。悲しみを受けとめながらポジティブに生きる術が、人生には必要なのだろう。

私の好きなストリートピアノの番組で、80歳くらいの男性がこんな感じのことを語っていた。
教師をしていて学校のピアノで練習をして、妻には仲人さんの家で初めて弾いて聴かせた。数年後妻がそのピアノを買い取ってくれて、家で弾くようになった。人生がこんなに楽しくなるなんて思ってなかった。妻は20年前に亡くなってしまったけど、楽しい人生になった。

私はまだまだ修行が足りないから、ポジティブに生きていけるよう試行錯誤してみるよ。この人生を楽しんで、またいつの日か○○ちゃんと会って、楽しいおしゃべりをしようね。

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これを涙目になりながら書いて、このもって行き場のない気持ちの置き場にしたいと思う。一区切りつけて、新たなる年を歩み始めていこう。



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