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ドラマ脚本&アニメーション脚本

中国で長い時間過ごし、色々な経験をさせてもらいました。中国では、一つの職種を突き詰めるよりも色々な事にトライする傾向があるように思います。私の場合は、俳優の勉強をしたのですが、その後脚本を書くお仕事にシフトしたり、時には演出や監督業にも関わったり。それを周囲の人たちはステップアップだと受け取ってくれます。
国際映画祭に参加した際、アメリカやヨーロッパから参加された方々が、ネームカードに”俳優・プロデューサー”などの肩書きを印刷しているのを見て、中国とよく似ているなと感じた事がありますが、お国柄なのでしょう。
と言う事で、私は脚本をよく書かせていただきます。
今関わっているのは、中国ドラマです。実はデベロップにはとても長い期間を要します・・・。話数が長いという事もありますが、歴史と関わるし、プロデューサーが史実に出来るだけ基づいて作りたいというこだわりがある為、どうしても時間がかかります。いきなり書き始めるわけではなく、コンセプトの会議から、集めてもらった資料を読み、イメージを何度も擦り合わせて、やっとプロットに進みます。去年から既に半年以上やっているので、正直知力も体力も尽きかけ、最近ちょっと休憩させて欲しいとわがままを言ってリフレッシュ中です。有難い事に、私の要望は受け入れてもらえたので、ゆっくりと次にやりたい企画の調べ物をしたり、会いたかった友人に会いに行ったり、娘のエクボさんのスイミング進級テスト合格を喜んだり(1年以上かけてやっと級持ちになり、ホッとしております)、ちょっと日常が戻ってきています。書いている時期は、どうしてもやるべき事を最小限の時間でやるにはどうしたら良いのかだけを考えてしまい、感情は創作へ向け、それ以外のことを丁寧に行っている状態ではないなと・・・気付いていても、ちゃんと出来ない、気付いているだけマシだろうと思ってしまう程。
これは本当に良くなくて、いずれパンクするのです。
イライラしてしまうし、人のせいにしそうになるし。

母親になり、仕事と家庭の両立というテーマは永遠につきまといます。自分が病気をしたり、仕事で成果を出せないとどうしようもないという綱渡りを続けて早20年。そこに育児という更なる未知の綱渡りが加わってもうすぐ5年。この数年は住み慣れた北京を離れて未知の都市東京に移り住みまして、最初こそ仕事は北京、生活は東京なんて思っていましたが、ここに根を張ろうかとも思い、そうなると”未知”続きです。

それで、本当であればエクボさんの今後を考えたら、ドラマの脚本を必死にやって、素早く収入を得た方が良いのだろうと頭の片隅で分かってはいるのだけど、綱渡りで得た知恵が語りかけるのです。やめときな〜、と。
自己主張をちゃんとやるタイミングだ、と。
私は感動ストーリーを、美しい文面のプロットを、常に生み出せるAIではない、と。
葛藤はもちろんあり、他の人が引き続き書くのだろうなとか思ってはいるのですが、一旦本当にストップ。
一度リセットしよう、と。
納得のいく形でお仕事をしよう、と。
仕事も人生も、私はもう折り返しているのだ、と。
直感を大事に。

そうしてちょっとのんびり資料を読んだり、会いたかった友人と会ったりしていたら、以前書いたアニメーションの脚本を手直しして欲しいと監督から連絡が入りました。コロナで全然進まなくなっていたのですが、大手制作会社が一緒にやろうと言ってくれているとの事。
それで、書き直しているところです。
脚本の疲れを別の脚本で癒している気分です。
嫌いにはなっていなくて良かったなぁと思いつつ。

その内お披露目出来る事を夢見て頑張ろうと思います。
おっ、頑張ろうと思えるって有難いですね。

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