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OMORIにおける夢の役割

注意!
1.この記事は、ゲームOMORIの多大なるネタバレを含みます。ゲームの性質上未プレイの方は見ない方が楽しめます。っていうか、読まずに楽しんでほしい…!!
2.ゲームのスクリーンショットが登場し、しかもホラー要素を含んでいます。苦手な方はご遠慮くださいませ。





さて、今回私が考察するのは(ウーバーイーツ)私のnoteでは珍しくOMORIというゲームについてです。
OMORIはSteam版が日本で発表された頃に知り、Switch版が配信されてからプレイしました。私のなかで全俺が泣いた超絶大ヒットをかまし、買ってからほぼ毎日ヘッドスペース(OMORIの世界)に入り浸っています。
今回の記事では、物語の展開を追いながら、OMORIの物語がいったいどのようなものだったのかを考察していきます。

あらすじ
OMORIは、夢と現実の世界を行き来し、ひきこもりの主人公(以下オモリ)を苦しめる精神的外傷と向き合うという筋書きです。
夢の世界はヘッドスペースとよばれ、オモリはその世界で友人たちとピクニックをしたりかくれんぼをしたり、楽しく過ごしていました。
オモリとヘッドスペースで過ごす友人は、同級生のケル、同じくオーブリー、歳上のヒロ、ヒロの恋人でオモリの姉であるマリ、植物と写真撮影が大好きな心優しいバジルの5人です。

左からマリ、オーブリー、バジル、ケル、ヒロ

物語の冒頭部、バジルが撮った写真のなかに見覚えのない写真が混ざっていました。その写真を見たバジルは恐怖したと思えば、バジルの周囲を黒い髪のような何かが覆いました。そしてオモリの視界はブラックアウトします。翌日またヘッドスペースを訪れたオモリたちは、バジルの姿がどこにもなくなっていることを心配します。その日を境にバジルはヘッドスペースから姿を消したのでした。残されたオモリたちはバジルを探す旅に出ます。

夢の中での自殺的表現の解釈
ヘッドスペースでバジルの影を追う旅の中、真実に近づくような重大なシーンに差しかかると、オモリはホワイトスペースという場所に戻ります。
ホワイトスペースにはパソコン、ティッシュ、裸電球、ニャーゴという飼い猫、影を落とした白い扉があります。白い扉の先はオトナリルームとよばれる子ども部屋のような空間になっており、その先はヘッドスペースになっています。ですが、強制的にホワイトスペースに移動した際に、扉は開きません。
ホワイトスペースはヘッドスペースから一旦戻ってくる場所として描かれており、繋がっているようで隔絶されています。ホワイトスペースにはオモリしかおらず、できることはナイフで自分のお腹を刺すことだけです。飼い猫のニャーゴは「Waiting for something to happen?(何かが起きるのを待っているの?)」と意味深長な事を言うばかり。自殺を選ぶ他選択肢がありません。
オモリはこの先も度々ホワイトスペースを訪れては自殺します。この行動は、端的に自分を殺すと考えるよりは、夢の中で何度も何度もオモリ自身の死をもって、自身を罰していると考えたほうが妥当だと思われます。

外傷体験と向き合う
ホワイトスペースで自殺した後には目が覚めて、自分のベッドで寝ていたのだとわかります。起き上がった少年の名前はサニー。オモリと同一人物ですが、サニーというのが本当の名前だとわかります。
家の中は引っ越しのダンボールで溢れており閑散としています。これから引っ越しするようです。
さて、現実に戻ってきたオモリを待っていたのは、とてつもなく恐ろしい化け物でした。長い長い階段を下ると、醜くて卑しく笑う「???」に襲われ、極めて厳しい闘いを強いられます。
サニーはこうしてヘッドスペースでの冒険を経てホワイトスペースに戻り、自殺、目覚めを繰り返し、「???」と対峙します。そして、「???」が出現する場所は決まって階段あることから、外傷体験は階段で生じたということが考えられます。つまり階段という場所は外傷体験を再体験(フラッシュバック)させてしまう場所ということです。

オモリは色を失った
オモリはヘッドスペースにおいてモノクロで表現されています。バジルが撮った写真のなかでさえも常にモノクロです。
オモリは何らかの出来事を経て、色(ここでは物事を感じ取る情緒や感性と解釈できそうです)を失ってしまいました。
バジルの行方を探すと同時に、オモリに色を失わせた出来事がいったい何なのかということも、同時並行で明らかになっていきます。

色を失ったオモリ

常に何かに怯えている
サニーが現実世界で目覚めたとき、洗面所に行って鏡の前に立つと、サニーの背後には何かが立っていることがあります。またベッドで寝ているときに見えることもあります。

鏡に映る
ベッドの足元にいる

初めて現実世界で目覚めたとき、サニーは玄関をノックする音を聞きます。開けるか開けないかの二択を迫られますが、開けると恐ろしい何かが家の中に入ってきます。サニーは日常的に亡霊のような影に脅かされているということを示しています。
現実ではヘッドスペースで起こるような現象が起こるはずがありません。なのに現実でも不可解な亡霊に追われているというは、端的にサニーの恐怖心を表しているのだと考えられます。
サニーをひきこもらせ、ホワイトスペースやヘッドスペースに逃げ込まざるをえないほどの強烈な恐怖が、現実には待ち構えているということです。

現実世界での出来事
サニーが2度目に目覚めたとき、玄関をノックするケルの声が聞こえます。サニーは扉を開けるか開けないかを迫られますが、これは前述した化け物に襲われるイベントではなく、いわゆるルート分岐です。
扉を開ける、すなわちひきこもりのサニーが外界との接触をもつということで、サニーがひきこもりを脱し現実に適応していく物語が始まります。
扉を開けない、こちらは完全に孤独を極める物語になり、サニーはオモリの世界に逃げ込み続けてしまいます。
さて、扉を開けケルと再会したサニーは、さまざまな問題に直面します。プレイヤーとしても非常に心苦しい展開が待っています。サニーが向き合わなければならない問題のひとつは、友人のひとりである心優しいオーブリーが、街の不良グループとつるみバジルに暴力を働いていることでした。
そしてプレイヤーが初めて知ること、それからサニーにとっては最も向き合いたくなかった事実である、マリ(姉)が死んだことを知ります。
ある程度の時が経ち、ヘッドスペースで会っていた姿より少し成長した彼らは、マリの死をきっかけに物別れになってしまっていました。マリの恋人であったヒロは遠くの町の大学に行き、特にマリに懐いていたオーブリーは、マリが死んでからずっと孤独だった、そばにいてほしいときにみんなは力になってくれなかったと、ほったらかしにされていたことを嘆きます。

現実で絆を取り戻す
物語中盤、大学から帰ってきたヒロが合流し、オーブリーがなぜバジルに暴力をしているのかが明らかになっていきます。
バジルは写真撮影が趣味です。マリの死後、バジルはぱたりと写真を撮らなくなりました。それどころか現像した写真を黒塗りにして見えないようにしていました。それを知ったオーブリーは激怒し、バジルの写真を奪い取って、黒塗りを修正していきました。同時にバジルへの暴力が始まったというわけです。黒く塗りつぶされた写真はすべて、死んだマリが写ったものばかりでした。オーブリーは、マリの写真だけを塗りつぶしたバジルを許せなかったのです。みんなにとって大切な友人のひとりであるマリが死んでしまったというのに、思い出を残すどころか、なぜかバジルは見えないように封殺していたのでした。
真相を知ったバジル以外のみんなは無事に仲直りを果たします。

オーブリーを囲む友達たち。しかしバジルがいない。

一方そのころ…
だんだん真実が明らかになってきそうなところで、オモリの思考の集積場所、安心安全のひきこもり領域であったホワイトスペースが、ブラックスペースとなってオモリに立ちはだかります、扉の数は増加しており、中に入ると思考の断片が、まとまりをもたない形で保管されていました。それぞれの扉の中で展開されるものは、非統合のぐちゃぐちゃなものですが、中にははっきりと主題が明確な場所もあり、そのひとつにはバジルが死んでしまう、殺される世界もあります。
サニーの夢の世界であるホワイトスペースの中でバジルが死んでしまうというのはいったいどういうことでしょうか。サニーの夢の中でバジルが死んでしまうというのは、サニーが何らかの攻撃性を向けていると解釈することができます。夢は、サニーの空想を自由に展開する(ハルヒ的にいえば)閉鎖空間です。そのためバジルが死んでしまう空想をするサニーに、バジルを攻撃する理由がどこかにあるかもしれません。
行方不明になった大事な友人であるバジルに対し、友情以外に「殺したいほど憎い」感情が、なぜオモリに生じたのでしょうか

なぜマリは死んでしまったのか
初めてサニーが目覚めたときに、玄関をノックする音が聞こえるといいました。その人物は世にも恐ろしい化け物だったわけですが、その人物のゲームデータを解析すると「HELL MARI」というデータ名が充てられているそうです。
物語も終盤に差し掛かるとき、バジルが撮った覚えのない写真の正体や、バジルがオモリの夢のなかで姿を消した理由がだんだん読めてきます。そして、恐ろしい「???」がなぜ階段に現れるのか。
サニーは、友人たちから誕生日プレゼントとしてヴァイオリンをもらいました。ピアノを弾くマリとは生前よくデュオをしていましたが、残念なことに、サニーはヴァイオリンを上手に弾くことができず、完璧に弾くマリとは反りがあいませんでした。マリはサニーに対して完璧を求めようとしましたが、サニーはそれを拒否。口論から掴みあいになり、不幸にもサニーが振りほどいた先には階段がありました。マリは勢いよく滑り落ちてしまい絶命してしまいます。
サニーはすぐに応急処置をしようとしましたが、ベッドで寝かすので精一杯。文字通り頭を抱えてどうすればいいか見当がつきません。すると一部始終を見ていた誰かが「自殺に見せかければいい」と提案しました。その誰かと共に、家の裏庭にある大きな木にロープをかけ、マリの体もあずけました。
このようにして隠蔽工作をした人物は、同じように亡霊に脅かされ姿を消した、バジルでした。
2人が最後に見たマリは、意識がないはずなのにジッと2人の姿を睨んでいたのでした。

最後のボス
サニーが外に出るルートで最後に戦うボスはオモリです。この対決は勝っても負けても物語が進みます。すなわち現実の世界でマリを殺し隠蔽した事実と向き合って生きていくか(サニーが勝つ)、ずっと夢の世界でオモリとして事実を否認し続けひきこもるか(サニーが負ける)という最後の選択です。

マリに許される物語≒サニーがトラウマに向き合う物語
HELL MARIにも示されている通り、サニーおよびバジルが脅かされていた存在はマリであり、罪悪感から恐怖を抱いていることがわかりました。また罪悪感に耐えかねたバジルは自殺してしまいそうになります。
サニーは最後の闘いでオモリに勝つと、目を覚まし、未遂に終わったバジルたち友人のもとに駆けつけます。すべて白状する時がきました。
ヘッドスペースでの冒険や、現実での外傷体験の再体験を経て、サニーは困ったら友達を頼ることを覚えます。

外傷体験とどう向き合うか
OMORIがゲームの中で提示したテーマは、外傷体験とどう付き合って成長していくか、PTG(Posttraumatic Growth)の物語ということなのだと感じました。
サニーはマリを意図せず殺してしまったことによるPTSD(Post-traumatic stress disorder)の症状として、日々マリの影に苦しめられたり、階段が恐怖であったり、また現実に向き合えずひきこもっていました。
このゲームが秀逸だと感じたのは、外傷体験と向き合うための夢の世界を用意して、そこでオモリに外傷体験を整理する物語としたこと。それからずっとひきこもっていても物語が進むようにしたことだと思います。
ひきこもりは脱することができるにこしたことはないですが、PTSDの治療は非常に長い期間、果てしない身体的•心的労力を消費して行われる大変な作業です。外傷体験とはいつかは向き合わないと、暮らしが安定しなかったり対人関係で失敗したり、他人に迷惑をかけたり…と様々な悪影響が出ますが、それは言外に「向き合ったほうが絶対にいい」ということを意味しません。第一、これほどしんどいトラウマケアというものに取り組むということそのものが、とてもハードなものです。できれば向き合いたくないと思うのは当然だと思います。誰もしんどいことはやりたくないですよね。

ヘッドスペースの役割
結びとして、夢の世界の役割について結論を示して終わろうと思います。これまであらすじとともにわずかな考察を加えてきた本記事でしたが、サニーにとってのヘッドスペースは、現実のつらい体験と向き合うために必要な内的作業のひとつと位置付けられると考えます。
辻村深月『かがみの孤城』は不登校の主人公がかがみの世界で自分と同じ境遇をもつ子どもたちと交流を重ね、自分のつらかった体験を語り、励ましあい、相互に助け合うという体験を経てかがみの世界から脱していくという物語です(ざっくり)。
サニーもヘッドスペースでの冒険を重ね、様々な困難を友人たちと乗り越え、助け合いを通して、外傷体験と向き合い、乗り越えます。最後はオモリを打ち倒し(倒すといっても、オモリをサニーのなかに吸収するという描写で勝ったということになります)、ひきこもりから脱却するという物語をとります。
外傷体験と向き合うという極めてつらい体験を、プレイヤーはオモリとなり体験することになります。個人的にはかなりのインタラクションを感じることができた神ゲーでした。

補足:夢解釈の実際
臨床心理学的観点から考える夢の解釈はさまざまな立場がありますし、多様な観点で解釈される方を見てきました。
私の、夢の解釈にあたる立場としては「基本的に事実に即していないことは言わない」です。
サニーの夢の中でバジルが死んでいる描写を、サニーの憎しみと解釈したのは、バジルには姉の死を隠蔽した共犯者だという事実があったからです。バジルはそもそもサニーを大切にするあまり、マリへの尊厳を蔑ろにしてしまいました。サニーはバジルに対して友情以外の感情を抱くに至る、マリへの冒涜があったことが、バジルへの憎しみへと繋がると解釈しました。
夢の解釈は、素人的あるいはスピリチュアリズムにひどく偏った解釈が市井に溢れています。スナック感覚で楽しむ分にはおもしろいですが、臨床の実際を考えていくと妥当性に欠けます。
「友人の死が出てきたから、友人への憎しみがある」と一対一対応で考えられるほど、夢(空想)は整理されていません。現実の問題や主題と照らし合わせながら、夢で現れた現象を繙いていくことが、よりシャープで妥当な理解に繋がると考えています。

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