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志村貴子『放浪息子』と、自分語り

『放浪息子』に出会ったのは、私が二次性徴に悩みぬいた中学生のころでした。男の子に恋した私は、女の子になることをとても頑張りました。そのころの私は異性愛主義的な信念をもっていたために、男の子に恋する人は女の子でないといけないと考えていたからです。中学生ごろには二次性徴がやってきて、いろいろなところに毛は生えてくるし、身体の肉付きは丸くなくなってくるし、それは本当に苦しいことでした。女性ホルモンと似た成分があると聞いてこのころから豆乳を飲み始めましたが、大学に上がってから、女性ホルモンが経口摂取では身に付きにくいこと、そしてそもそも豆乳では女性ホルモンが取れないことがわかったときは、ほんのりとショックを受けました。

男の子に恋をした中学生の私は、まずは理解ある同級生女子に頼んで洋服を着せてもらったり、その姿のまま夜の街に繰り出してプリクラを撮りに行ったりしていました。そのうち自分でも欲しくなり、母にねだりました。恋をした男の子の前で披露する機会には恵まれませんでしたが、なんだか女装そのものに満足がいってしまいました。片思いのまま高校に上がり女装は継続していましたが。仲のいい友達の前ではできませんでした(20代も半ばにさしかかったときにカミングアウトすると、特に驚かれることもなかったし、薄々と気づいていたと言われた)。

中学生のころの私にとって、放浪息子の主人公二鳥くんはあまりにまぶしすぎました。自分にないものを持ちすぎていて、フィクションのキャラクターでありながら、嫉妬していました。私と二鳥くんの違うところは、初恋が男の子ではないことだけど、女の子になりたいという点ではあまりに自分と重なりすぎていました。女装は自分にもできたことでも二鳥くんほどに堂々とできず、いつ変態扱いをされて迫害されるかびくびくしていました。二鳥くんには強い味方が何人もおり、私にはほとんどいなかった。中学生の私は二鳥くんを、大した理屈もなしに憎んでいました。

20代前半に、志村貴子が放浪息子よりも前に出版した『青い花』を通読したことで、そういえば放浪息子を描いていたことを思い出しました。あのころはあまりに自分事すぎて読めませんでしたが、今読めばきっと違う体験になるだろうと、衝動的に全巻買って読んだところ、とても苦しい体験となりました。当時感じていた感情を追体験しているようでした。放浪息子を憎んでからというもの、やっぱり二次性徴に悩まされ、学校の連中からは嫌なことをされたり言われたりしました。二鳥くんも、やっぱり同じような体験をしていて、自分とは違って恵まれていたと思っていた登場人物が、自分と重なったような瞬間でした。女の子になりたいという素朴な願いをもった男の子が感じる、自分と、世界への失望を作品から感じ取りました。

今の私は、特にホルモン治療をするでもなく、生物上男として生活しています。洋服は時々女性ものも着ますが、多くはユニセックスデザインのものを着ています。化粧をしますが、それでも男性として生活するその理由は、パートナーが女性だからだと思います。パートナーの性志向は男性で、たとえば私が性別適合手術を受けて女性になると、一緒にはいられないという旨のことを語っていました。そうした巡りあわせが、今の私の性を形作っています。とはいえ、男性としてメイクをしていると、「頬骨が邪魔だなあ」とか「口まわりのカバーが難しい」とか思うことはいっぱいあります。ホルモン治療を始めれば解決する問題が、日常頻繁に顔をのぞかせていて、そんなときはウジウジと悩む。悩んで迷いながら、今できる最上の努力をもって、今やりたいこと、今いたい姿でいることを選択します。

二鳥くんは女性として生きていくことを選びました。二鳥くんは高校生になり、かつて録音した声変わり前の音声を聴いて、笑い飛ばすことができるような強さを備えました。彼が選ぶ人生には、あんなちゃんという心強いパートナーがいます。長い苦悩の末に、私は生物として男性であることを選び、二鳥くんは女性であることを選びました。その物語を、同じ苦悩を味わった一人の人として、きちんと読みこなすことができるようになっていたような気がします。

最後に独り言です。今、性別の違和感をもっている人や、異性装がしたいけどできない人、勇気が出ない人、私は、そんな悩みを抱える一人です。内側にもっていることで苦しい壁にぶつかるし、外側から壁を用意されて傷つくこともたくさんあります。命を絶とうとすら思った。でも、なんとか、どうにか大人になってほしいと思います。今、やりたいことができなくても、いつかのびのびと、自分がそうありたい姿でいられることが誇らしいと思えることがあります。二次性徴を恐れて、迫るタイムリミットに怯える人は、こっそり、危険がない場所で、異性装をしてみてほしいです。恥ずかしさや、不格好さに幻滅するかもしれないけど、二次性徴が訪れる前の自分には、戻りたくても戻れない。やりたいと思うときに、勇気と努力をもって、その記憶を残してほしいのです。大人になったら、記憶などと言わず、物理的に変わることもできる。今は、今できることを、今できるだけ。

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