東京コンプレックス part2
東京から長崎に移住して6年目。以前、同じタイトルの「東京コンプレックス」という文章を書いたのは移住して3年目の頃のこと。記事のおわりは「東京コンプレックスはもうない」と締めていますが、これは大嘘でした。一時は本当だったのかもしれませんが、その後から今にかけては東京のことが気になり続けています。
大好きな山口百恵さんの名曲から一部お借りして「東京コンプレックス part2」を書こうと思ったのは、ジェーン・スーさんの本の一節を読んで、自分の中の東京に対するモヤモヤとした感情の輪郭にはっきりとピントが合ったように感じたからです。
私は22歳で長崎に引っ越しました。理由は、当たり前のように都心へ通勤することへの青い違和感と、自分の先祖が暮らした長崎という地への興味があったため。そして田舎での暮らしを自分で経験し、それから東京に帰るか田舎に住むかを自分で決めたかったからです。東京で働き生活の基盤ができてしまったら、その行動や決断がしづらくなる気がしたので、なるべく若いうちに両方の暮らしを経験をしたいと考えての選択でした。まさに「東京にふわふわ浮いているだけ」だから至った考えかもしれません。
そしてふわふわ浮いていた私と引っ越した先での周囲とのギャップは、全く想像していないほど大きなものでした。
合コンに参加してみれば、後日、私の名前ではなく「東京から来た子の連絡先を教えて」と知人に連絡があったり、知り合いの知り合いに紹介されるときは、私のパーソナリティではなく「東京出身」というプロフィールが伝えられたりする。
興味を持ってもらえるのは、私が選んだものでも、努力して得たものでもなく、私の「東京出身」の部分。東京生まれであることによって、私の自尊心はどんどん削られていきました。
私の価値は東京生まれであること。だからSNSのプロフィールには「東京」の文字を入れなければならない気がしていたし、それが長所だと思い込んでいました。しかし東京に憧れることもなく、東京的な感覚(これが何なのかもよく分かりませんが)を身につけないままきてしまった私に「東京の人の意見」を求められてもただ困るのです。
だから初対面の方に出身地を聞かれたら「関東です」と範囲を広げて答え、横浜の人が神奈川出身と言わずに横浜出身と答えるようなことと反対の、逆ヨコハマ現象が起きていました。
そして挙句の果てには、削られた自尊心を「東京生まれ」というプライドで埋めるようになります。自分は田舎暮らしを楽しむ東京人だと自意識にすり込み、「どっちもいいよね」という謎の上から目線で双方を評価する。
この歪んだ東京コンプレックスは、自分を構成する要素から「東京」というブランドを引き剥がすことに恐れて起きていたのだと気が付きました。自分で手に入れたわけではないそのブランドを、私は執着なくかんたんに手放してしまった。手放してから周囲に価値を説かれて名残惜しくなり、いや、本当はまだ手放してはいない、まだ持っている、というふりをしていたのだと。
しばらく東京に帰れていない中で、じわじわと東京への憧れが育まれている感覚があります。展示を見に行きたいとか、気になるお店に行きたいとか、友だちとお茶したりお酒を飲んだりしたいとか。東京ってきっと楽しいところなんだろうな。
どこか東京に背を向けている感覚がありましたが、そろそろ憧れの目で東京を直視してもいいのかもしれない。東京コンプレックスはまだまだ続きそうですが、それを抱えながら、気に入っているここでの暮らしを続けてみたいと思います。
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