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デザイナー / パッケージプランナー 覚え書きにつかっています。

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最近の記事

やっと親をやめられる

母が言った。 「ようやくここまで来た」 --- 時代が時代。母は結婚して子を産んでから「母親」としての人生を強いられてきた。 仕事は忙しそうだったけど、長年、正社員ではなくパートタイマー。 私が社会人になるのと同時期に正社員になった母は、どこか誇らしげで、ずっと望んでいたことをそのとき初めて知った。 2人の兄と、その兄たちを見て育った私は息を吐くように悪態をつき、常に誰かが反抗期を迎えている家庭だった。 日々、嵐のような家庭環境の中、母は一人で家事と子育てを請け負った

    • 東京コンプレックス part2

      東京から長崎に移住して6年目。以前、同じタイトルの「東京コンプレックス」という文章を書いたのは移住して3年目の頃のこと。記事のおわりは「東京コンプレックスはもうない」と締めていますが、これは大嘘でした。一時は本当だったのかもしれませんが、その後から今にかけては東京のことが気になり続けています。 大好きな山口百恵さんの名曲から一部お借りして「東京コンプレックス part2」を書こうと思ったのは、ジェーン・スーさんの本の一節を読んで、自分の中の東京に対するモヤモヤとした感情の輪

      • 4.島根つわの旅 - 千本鳥居と純喫茶

        さて、やっとお昼ごはんです。そしてこれが最後の記事です。 前回まではこちら → 1.島根つわの旅 - 茶色い瓦とくすり屋さん → 2.島根つわの旅 - 100枚の絵と鷺ダンス → 3.島根つわの旅 - ワイロとワンコと隠れキリシタン お昼は島根らしく割子そばを頂きました。おは良さんにて。美味しかった! そしてこの旅のハイライト…脅威の千本鳥居をくぐり、太皷谷稲成神社を訪ねました。日頃めったに運動をしないので息も絶え絶え、途中の小さなお稲荷さんに励まされながら登ります。

        • 3.島根つわの旅 - ワイロとワンコと隠れキリシタン

          書きたいことが多すぎて、ついにPart3に突入しました。前回の記事はこちらです。 → 1.島根つわの旅 - 茶色い瓦とくすり屋さん → 2.島根つわの旅 - 100枚の絵と鷺ダンス 城下町を歩いていると、所々で「源氏巻」の文字が目に付きます。気になってお菓子屋さんに入ると試食を勧めてくださいました。こしあんを薄いカステラのような生地で巻いたお菓子です。優しい甘さが美味しい和菓子でした。この源氏巻と栗のお菓子を購入したのですが、「日持ちはしないけど、よかったら道中で」と源氏

        やっと親をやめられる

          2.島根つわの旅 - 100枚の絵と鷺ダンス

          津和野は町の全体が日本遺産に登録されています。そのわけを確かめに、高津屋さんを後にして津和野町 日本遺産センターへ行きました。 前の記事はこちらです。 →1.島根つわの旅 - 茶色い瓦とくすり屋さん (この先はあまり写真を撮っていないので町に泳ぐ可愛い鯉の写真を挟みます。) 日本遺産センターでは壁一面に “津和野 百景図” が展示されていました。江戸時代の津和野の風景や生活を描いた100枚の絵。すごいことに、描かれている名所やお祭りなどの半分以上が今も残っています。

          2.島根つわの旅 - 100枚の絵と鷺ダンス

          1.島根つわの旅 - 茶色い瓦とくすり屋さん

          水を得た魚ってこんな感覚なんだろうと思いました。久しぶりの一人旅、好奇心の赴くままに島根県の津和野をビチビチと歩き回りました。本当に興味深い所だったので、この旅をなるべく高い解像度で記憶しておくためにnoteを書きます。あくまで私の記録であって、これから訪れる方にはあまり参考にならないと思いますので、検索してこの記事に辿りついた方はすみません。むしろネタバレになって旅の楽しさが半減してしまうかもしれません。 津和野は山口と島根のほぼ県境に位置しており、私は山口方面から入りま

          1.島根つわの旅 - 茶色い瓦とくすり屋さん

          ふいに得た2ヶ月間の夏休み

          6月に仕事を辞めました。仕事を辞めてもうすぐ2ヶ月が経ちます。この2ヶ月間は働かず、進路についても考えず、もちろん課題もなく、人生で最も何もない期間でした。ふいに得た夏休み期間、以前の私ならアチコチへと旅行に出掛けていたと思いますが、このコロナ禍では晴れ晴れとした気持ちで飛行機に乗ることもできず、(退職金を使い切る勇気も無く。)もともと家に居るのが苦ではない性なので、屋根のもとで過ごしていました。 前職については、見知らぬ土地でやりがいのある仕事と温かい方々に恵まれたことが

          ふいに得た2ヶ月間の夏休み

          岩嵜紙器の社員募集についての個人的な思い

          岩嵜紙器に勤めてもうすぐ6年になります。日々 学ぶことが多くまだまだ「一人前」とは言えませんが、おおまかな仕事の流れは分かってきたつもりです。そして多くの会社や部署がそうであるように、私の所属する企画部でも人手不足に悩まされています。日々の業務に追われると、なかなか目指していることの実現が難しいものです。 そこで新たな人員を募集することになりました。いち社員でしかない私ですが今回の募集には気合が入っています。この記事が、弊社で働くことに少しでも興味のある方にとって不安を取り

          岩嵜紙器の社員募集についての個人的な思い

          方言で育まれるもの

          方言問題は深刻だった。 東京から引っ越した初めの頃は、言葉が聞き取れずにスムーズに会話ができないことさえあった。(相手は呆れ顔で、周りの人は笑いながらそれを見ていた) 言葉が変わると人柄も変わる同一人物でも、英語で話すときと日本語で話すときでは、性格が変わるという。英語のときはポジティブな発言が多く、日本語のときはシャイな印象を感じさせるらしい。 日本には「相手をたてる」という美徳があるためにシャイな印象を受ける言葉の言い回しが多いのかもしれない。その土地に根付いている文

          方言で育まれるもの

          ものを食べる時間が一番もったいない、と言っていた私へ

          仕事が早く終わった金曜の夜。 約束はなし。やることもなし。明日の予定もなし。 暇を持て余して、とりあえずアパートを出る。 車に乗って、あてもなく走らせる。 そういえば、欲しいものがあった。 行き先を決めて、ハンドルを切る。 とっても不便、だけど先週から欲しいと思っていたものが、やっと買えた。 ただのノートだけど、気に入ってるノート。 ネットで買うには安すぎて、送料の方が高くついてしまう。 でも、買いに行くには車で40分かかる。 こういうことを「不便」って言うのだろう

          ものを食べる時間が一番もったいない、と言っていた私へ

          憧れのおばあちゃんのように

          父は三男で、母は末っ子。 両親はともに地元を離れて暮らしていたから、私にとって「おじいちゃんおばあちゃん」は年に数回会うだけの遠い存在だった。 それにひどく車酔いする子供だったから、片道2時間の祖父母の家に行くこととグロッキーになることが結びついていて、年に数回のそれは、気が重くなる最悪のイベントだった。 そんな環境だったから、私は大学生になるまでまともにお年寄りと会話をしたことがなかった。大学生になってから「制作の時間が惜しいからバイトはしたくないけど制作したいからお

          憧れのおばあちゃんのように

          食卓

          もう随分と前のことだけど、豊洲新市場が開場した頃、連日 ニュースで新鮮そうな魚を見た。 一度は早朝の市場で海鮮丼を食べてみたいね、なんて友達と話をしていたけれど、結局それをしないまま私は東京を出てしまった。 会社にフィリピン人の先輩がいる。 もう20年も日本に住んでいるから言葉も流暢で、明るくて、私と同い年くらいの娘さんがいるそうでよく気にかけてくれる。 この日はご自宅の夕食に招待していただいた。 一人暮らしも4年目になると人の"手料理"がものすごく恋しくなる。 お言葉に

          17:23の定食屋にて、母を想う

          17:23 なぜこの時間の定食屋さんにいるのかというと、1時間半の慣れない運転で少し疲れていたために、家に帰るために曲がらなければいけない道を曲がりそびれてしまったから。 「あ、どうしよう」という気持ちと、さっきからチラついていた「お腹空いた」「今日の夕飯何にしよう」という気持ちが、前方に見えた「定食」の看板へとハンドルを向かわせた。 駐車場でUターンして家に帰ってもよかったけど、どうせなら食べて帰ってしまえ、と思い、車を降りて引き戸を引いた。 まだ夕飯には少し早い時間だ

          17:23の定食屋にて、母を想う

          東京コンプレックス

          移住して3年目。 最近、やっと友達ができ始めた。 2年間はずっと「友達がいない」と笑い話にしながら嘆いていた。 正直、引っ越す前は友達くらいすぐできるだろうと思っていた。今までがそうだったように、自然と気の合う人と話すようになり、色々な場面を共有するうちに自然と仲良くなれるだろうと。だけどそんな考えは甘かった。 友達ってどうやってなるんだっけ?初対面のとき、多くの場合は東京から来たことに驚かれ「どうして東京から田舎に?」と尋ねられる。はじめはそれが興味を持ってくれてるよ

          東京コンプレックス

          「自分がどこで産まれたか」を知ること

          田舎に越すまで、「自分がどこで産まれたか」を意識したことはなかった。 逆を言うと、越してきてから、初対面の人と挨拶するときは必ず出身地を聞かれるから不思議だった。 東京にいた頃は、「三重出身だ」とか「青森出身だ」とかいう話は、知り合ってから一年も経って初めて交わすことも少なくなかった。それに、それを聞いても「へ〜、だからちょっと関西訛りなんだ〜」とか「色白なのって東北出身だから?」とか、思うのはそれくらい。大学の友達の半分くらいは地方出身者だったから、いちいち誰がどこ生まれ

          「自分がどこで産まれたか」を知ること

          樹木希林さんとじゃんけん

          朝起きたら、とりあえずめざましテレビを点ける。 だいたい、本当は起きたい時間の5分から10分遅れて目が覚める。 洗面台とクローゼットとキッチンを行ったり来たりする慌ただしい朝、画面を見る余裕はないけれど、テレビから聞こえてくる「めざましじゃんけん」や「今日の占い」でおおよその時間を把握する。 めざましじゃんけんでは、毎朝芸能人たちが「今日も一日頑張りましょう」と言ってくれるし、今日の占いでは自分の星座の運勢を読み上げてくれるときもあれば、そうでないときもある。 そうでないと

          樹木希林さんとじゃんけん