“弱さ”を見せられる場所を見つける
「仲人(なこうど)」という言葉をご存知だろうか。
ご縁あって訪問させてもらった、滋賀県は土山町の山内という小さな地域でのこと。
“地元学研修”と称し、地域で生きる人々から土地の歴史や暮らし、これからを探っていくという目的で訪れた我々に、お母様集団はポツポツと語ってくれた。
「あの頃は結婚するともう大変で。嫁入り道具とかねぇ!でもまぁ、あの頃は仲人さんがいたし…」
「確かに、仲人がいたからねぇ」
名前は聞いたことはあるが、馴染みのないその言葉に、私は疑問を持った。
『あの、、仲人ってなんですか?』
「仲人は、結婚するときの両家の仲介役みたいな人よ。それだけじゃなくて、嫁いだ時の身の回りのお世話をしてくれたり、嫁姑関係とか地域でのいざこざも取り持ってくれたり、、」
『え!仲人さんって、人間関係まで面倒を見てくれるんですか?』
「そうそう!いわば“愚痴聞き役”やな!」
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結婚の仲介役の話は置いておくとして、お母さま方の“愚痴聞き役”という例えに、仲人さんに好感をもつことになった。
もちろん、数十年前までは、女性が男性の家に嫁ぐのが通例であったから存在していた役であり、ある程度の選択の自由がある現在において、本来の仲人というものは必要ないのかもしれない。
けれど、“愚痴聞き役”のような、弱さを見せられる存在が、人を生きやすくするんじゃないか、と思う。
ポジティブシンキングや共感という言葉が流行り、「プラスに生きよう!」「人を傷つけずに生きよう!」と迫られる。
それ自体はとても素敵なのだけど、果たして人間は“常に強く”生きられるのでしょうか?
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「なにかあったらすぐ仲人さんに泣きついてたわ〜」
と、懐かしそうに話す眼はとても穏やかで暖かかった。人を救えるのは、人なのだ。そう諭された気がする。
“弱さを見せずに前向きに”ではなく“弱さが許され前を向ける”世の中であれば良い。
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