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令和スタンダード

ワシの部下である石橋が、近々こどもが生まれるのだと言って喜んでいた。
ワシは、「妊娠中の奥様も大変だろうし、何かあれば有給休暇を気軽に申請してくれたまえよ」と伝えた。
石橋は、何度も感謝の言葉を言ってくれた。
ワシは、上司として当たり前のことだと考えているので、
「当たり前のことだ!感謝するようなことではない!それにもう令和だぞ!?いつまで古い考え方でいるのだ!」
と石橋の頭を何度も何度も叩いてわからせた。
石橋を叩いて渡るように、念には念を入れて何度も石橋を叩いた。
「わかりましたか!?」と問い詰めると、
「か、課長、もうわかりました…」と答えたので、よしよしと頭を撫でて抱き締め、夕焼けに燃えながら共に涙した。

ある日は課内での打ち合わせがあった。
「えー、それではこれから重要な打ち合わせをするための打ち合わせをやるべきか打ち合わせたい」
と、ワシが冒頭の挨拶をしたところ、急に石橋が立ち上がって声を上げた。
「課長!すみません、妻が破水したって…もう産まれるかもしれません!行ってもいいでしょうか!?」
ワシは瞼を閉じて、ひとつ大きなため息をついた。
「…あのなあ、石橋よ。この前、涙まで流してお前に伝えたこと、もう、忘れたか。この令和の時代に、妻の出産で仕事を抜けるなど、当たり前のことだって、あれほど。それをお前、『すみません』って…何だぁ?」
「いや、あの、申し訳ないから言ったわけではなく…」
「くだらん言葉遊びの言い訳をするな!この期に及んで!馬鹿者!時代錯誤も甚だしい!来い石橋!」
そう言ってワシは石橋の頭をぐっと引き寄せ、ゲンコツでグリグリグリグリした。
「…いてっ。あの、もう、わかりましたので…」
「わかっているものか!?前回あれほど言って聞かせたのにわかっていなかったんだ!前回以上にみっちりやらないとわかるわけないだろう!?お前の五臓六腑に令和時代を染み込ませてやる!愛を浴びろ小僧!」
そう言ってグリグリグリグリグリグリグリグリした。
「いでで!もうわかりましたから!本当にわかりました!」
「ふう、そうか。よかった。わかってくれてありがとうと言いたい」
「は、はい…。それでは私はこのへんで…」
「なあ石橋。今の時代、色んなことが変化してきている。昔の常識が通用しないどころか、下手をすれば何でもかんでも炎上騒ぎになりかねやしないんだ。そんな中で、奥さんがいざ出産というときに会議を優先しろだなんて言う上司がいてみろ?そんな奴、あっと言う間にSNSで拡散されて、一生太陽の下を歩けなくなるんだぞ!?だからお前は、さも当然という態度で帰ればいいんだよ。さっきまでのお前は、そこを理解できていなかった。前にあれだけ教えたけど理解できていなかったのだ。いや、言葉ではわかっていたのかもしれないな。でも、咄嗟にあのような言葉が出ると言うことはだな、完全にお前のものにはなっていなかったということだ。でも、今回でお前は完全に理解したと信じてるし、ワシは信じたい。なぜなら、お前ならできると期待しているからだ。お前は入社当時からすごく頑張ってきたのをワシは見てきた。決して飛び抜けた存在ではなかったかもしれないが、お前はやるべきことから逃げずにコツコツと積み上げて着実に成長してきたと思ってる。だからこそワシは、今回の件についてもお前がしっかりと学んで、自分のものにしてくれると信じてるんだ。だからな、石」
「あの、わかりましたからもう」
「そうだ!石橋、お前、奥さんへのプレゼントの一つでも買ったのか?」
「いや、もう」
「何!?買ってない!?このノータリンのすっとこどっこいが!今時それはいかんぞ!馬鹿!馬鹿!だってだって、奥さんが長い妊娠生活と出産の痛みに耐えたことを労って、ジュエリーの一つでも用意しとくのが最近の作法ってもんだろう!ようし、ワシがついて行ってやるから今から買いに行くぞ!」
「いやちょっと」
「さあ行くぞ行くぞ行くぞ!!金もワシが出してやる!これも令和の当たり前だぞ馬鹿野郎!馬鹿野郎が!わははははははは!」
ワシは石橋をジュエリーショップに連れて行った。

店員が話しかけてきた。
「お客様、ようこそいらっしゃいませ。本日はどのようなジュエリーをお探しでしょうか?」
「やあ店員さん!実はワシの部下の、この石橋がね、奥さんが出産をするというのに労いのジュエリーを用意していないと言うのだよ!今時信じられない男だろう?化石人間だよ、馬鹿化石!わはは!」
「さ、さようでございますか。それでは、こちらの指輪などいかがでしょう」
「おお!良い指輪じゃないか!なあ石橋!?」
「は、はい…」
「よし、じゃあこれにしよう!値段は…30万円か!よしよし出してやるから安心せんか馬鹿野郎!」
「はあ、どうも…」
「それでは、こちらの指輪ということで、承りました。サイズは何号にいたしましょうか」
「あ、えっと…何号だったっけな」
石橋は奥さんの指輪のサイズを忘れたようだった。
「おい石橋よ!サイズがわからないって?全く、ダメだなあ。わからないことがあったらすぐに聞く!仕事でもそう教えたろう!?すぐに奥さんに電話して聞きなさい!」
「いやでも妻は今…」
「はやく電話しないか!」
石橋は死んだ目で奥さんがいる産院に電話をした。
「あの、課長、やっぱり指輪どころじゃないって…。それより今どこにいるのかって…」
「なんだよ、サイズわからないのかよ。全くお前はどこまで無能なんだ。入社当時から全然進歩してないな。ええい!じゃあ大は小を兼ねるってことで、デカ目のサイズで!」
「いやちょっと」
「店員さん、じゃあ20号!20号で決まり!もう決めたから!優柔不断じゃ勝利なんかもう掴めないから!あれ、なんだっけこの歌」
「か、かしこまりました。それではこちらの指輪を20号で承りました。納品には1ヶ月ほどかかりますので…」
「何!?今すぐもらえないの?あとなんだっけさっきの歌」
「は、はい、今すぐというわけには…」
「なぁんだよ、それじゃあ意味ないよぉ。石橋、お前とんだ無駄足じゃねえかよ馬鹿野郎!どうしようか…。そうだ石橋、奥さんの好きなものって何?」
「え、好きなもの、えっと…魚料理とか?じゃなくて物か、えっと」
「は?魚?…良いじゃねえか!よし、スーパーで魚買って行くぞ!」
「あの、お客様!代金のお支払いを!」
「あ、そんなもん石橋につけといて!」
ワシは石橋をスーパーに連れて行き、ブリを丸ごと一尾買った。
時間がないので素手で持って行くことにした。

病院に到着すると、もう産まれる寸前のようだった。
石橋が慌てて奥さんの手を握り締め、頑張れ!頑張れ!と声をかけていたので、
「石橋、馬鹿野郎!いきなりそんな詰め寄ったら奥さんがびっくりして産まれるもんも産まれなくなるだろう!ちゃんとドアをノックして、『失礼してもよろしかったりしちゃうでしょうか?』と声をかけてからお入んなさいよ!ハイやり直し!」
石橋は何か諦観したような顔をして入室からやり直した。
「失礼してもよろしかったりするでしょうか?」
「馬鹿!よろしかったり『しちゃう』だろ!『する』じゃなくて!ハイやり直し!」
「失礼してもよろしかったりしちゃいますでしょうか?」
「おい!『しちゃう』だぞ!?」
「失礼してもよろ」
「あ、もうすぐ産まれる!!」
石橋がドアの向こうで言いかけたところで、助産師さんが声を上げた。
ワシは奥さんの手を握り締め、頑張れ!頑張れ!と声を張り上げた。
すると直後に赤ちゃんが取り出され、産声を上げた。
ワシは奥さんの手を握り締めながら号泣した。
ワシの後ろで石橋もなんか号泣していた。
「ああ、めでたい。めでたい。なあ石橋よ、この子にはなんて名前をつけるのだね!?」
「あの、名前はこれから…」
「何!?これから!?そうか!奥さんも石橋も大変だろうから、ワシが良い名前をつけて役場に出しに行ってやるからな!安心しろ!」
「えっ、ちょっと」
「そうだな、えーと。ん、そう言えばさっきの、優柔不断がどうのとか言う歌はスキマなんとかの歌じゃなかったか?それとこの立派なブリ!そして令和産まれだから…この子の名前は『令和スキマブリ』だ!」
ワシは自分のあまりの命名センスに小刻みに震えながら病室を全力で飛び出して役場に向かった。
後ろから石橋も全力で追いかけてきたが、ワシがブリを後方に投げつけると、石橋はブリのぬるぬるに滑ってお終いになった。
ワシは無事に出生届を提出し、満面の笑みで絶叫した。


翌日、出社すると石橋の姿はなかった。
人事に確認すると、石橋が育休に入るとのことだった。
ワシは、石橋がようやく令和のスタンダードを理解したようで安心していた。
ほどなくして、一本の電話がかかってきた。
「いつもお世話になっております。マキビシ商事の者ですが、本日は石橋様はいらっしゃいますか?今度の重要な打ち合わせについてお話したく…」
一通り要件を聞いたが、ワシには何のことやらさっぱりわからなかったので、ちょっぴりだけ石橋に来てもらうことにした。

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