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番外編#2. Netflixも”勉強”ではないか

怒涛のサマースクールが終わった。
早朝から始まるレクチャー、止まらない質疑応答、食事中の議論。
これが3週間も続けば身体も脳も次第に慣れてきて、最終的には隙間時間に自分から自然と勉強しようという気になってくる。
非常に良い傾向である。

そこでサマースクールが終わってもこの流れを絶つまいと、あらかじめその後1週間の勉強スケジュールを組んだ。レクチャースライドを復習する時間、文献を探す時間、本を読む時間、休憩をはさみつつしっかり勉強できる完璧な時間割が完成した

――――はずだった。

気づけばサマースクール終了後1週間が経過。
朝起きてまず確認するのはヤフーニュースではなく、昨晩途中停止したNetflix「全裸監督」6話の再生ボタン。

どこで道を間違えたのだろうか。

この1週間、僕はNetflixオリジナル番組「Black Mirror」の全シリーズを見終えた。全話見終えるのにかかった時間は計算もしたくないが、大変な時間を費やしたと思う。
こんなはずではなかった。講義スライドを見返そうと真剣に考えていた過去の自分が可哀そうに思えてくる。

だがしかし、見方を変えれば「Black Mirror」も「全裸監督」も教訓に富んだ作品である。
前者はテクノロジーに支配された現代社会の負の側面を強調することで情報リテラシーや道徳の重要性を訴えているし、後者は世界に向かって「クールジャパン」の新たな一面を紹介している。

これらの作品から学ぶことは多い。
この1週間、僕は間違いなく“勉強”をしていたのだ。
何が勉強で何が違うのか今この時点では分からず、結局未来から過去を振り返ることでしか判断できないのだとしたら、未来の自分はきっとこの上記2作品の鑑賞に費やした1週間を有難く思うだろう。

いえ、ごめんなさい。ちゃんと勉強します。

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