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泉のように|#シロクマ文芸部

本を書く。自分の心を吐き出すかのように。でも、決して濁流のようではなく、こんこんと湧く泉の水のように、静かにペンを走らせる。

いつかあなたに届けたかった。あなたの笑顔、泣き顔、驚いた顔、悩む顔… 見てみたかった。そして、どんな感想を聞かせてくれるのか、楽しみだった。でもそれは、もう叶わない夢。

なんで作家になろうなんて思ったのだろう。そして、なれると信じてしまったのだろう。流れる雲を眺めながら、幼い頃あなたと語り合った雲の上の世界の話などを思い出す。

僕の創り話を聞くのが、あなたはとても好きだった。押入れにいるビックリ箱お化けの話をしたら「昨日の夜、怖くて眠れなかった」と泣いて怒られたこともあったっけ。それなのに続きのお話をせがまれて、もっと怖い鏡の向こうの世界の話とか作ったりした。あなたが泣くと、お花畑のお姫様の話をして落ち着かせたり。あなたは、自分がお姫様に変わるお話が一番好きだったし、僕もそんなお話を考えるのが楽しかった。

小さな田舎町で育った僕たちは、いつも一緒にいて、いつまでも一緒にいられると思っていた。そして僕は、あなたを喜ばせたくて一番喜んで応援してくれると思う仕事に就こうと考えた。自信のある作品を出版社に送り、なんか色良い感じの返事が届いたので都会に向かう。

「本ができたら、君を迎えに行くよ」
「待っている」

でも、僕の書く創作物語は受け入れられなかった。それでも風景描写は評価され、街歩きの紀行文的なものをたまに書かされた。あまりにも短文ばかりだから本にはならない。

コンビニの仕事と掛け持ちしながら都会で暮らす生活も、気がつけば10年を迎えようとしていた。自分の本を手にして故郷に帰るつもりだったから… まだ帰れない。電話や手紙のやりとりも、最近は途絶え勝ちだ。あなたに、僕が夢半ばではあるが叶えつつあることを伝えたくて… 仕事の合間に書き溜めていた創作物語の原稿を送った。

久しぶりに届いたあなたからの手紙は、便箋一枚のさよならの手紙だった。来月には知らない誰かと結婚するらしい。10年も離れていれば仕方のないことだろう。僕も待たせ過ぎたと思う。あなたがしあわせであることを遠くから祈る。

そして今。

あなたへと書き始めた物語は読者がいなくなってしまったけれど、まだ続きがある。一番読んで欲しい人はいないのに「本を書く」という呪文に縛られているように、物語が湧いてくる。湧いてくるままペンを走らせる。

いつか、このペンを置く日が来るのだろうか。コンビニからの帰り道、そんなことを考えながら夕焼けの中、流れる雲を眺めていた。


[約1000字]

いつかの物語↓ の前編みたいな感じ。

#シロクマ文芸部
#本を書く

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