自分が『読むべき児童書100選』を読む決意をした理由

みなさん、こんにちは。
宇露リンです。

先日、こういう記事を見つけました。

これはBBC(英国放送協会)が今年、56 か国 177 人の書籍専門家にアンケート調査を実施し、リストアップしたリストになります。
ちなみに、リストを邦訳してくださっている方がいらっしゃいましたので、参考にさせていただています。

BBCの選定理由は脇に置いておくとして(失礼)、自分がこのリスト読破に挑戦しようと決意した理由について、決意表明を兼ねて記載したいと思います。


1.読書量が減少し続けている

小中学生の頃、ほぼ毎日のように図書館に通っては、本を借りていました。記憶にある限り、丸一日を読書に費やした経験は、後にも先にもこの時しかありません。
その後は、いわゆる“暗黒時代”に突入することになるのですが、それは別のお話。

ともあれ、近年の自分の読書量を振り返ると、減少の一途を辿っているのは疑いありません。読書が全て、とは思いませんが、やはりこのまま減っていくと「本が読めなくなってしまうのではないか」という不安に付きまとわれるのです。

2.児童書は原点

小中学生時代、貪り読んでいたジャンルが児童書(児童文学)でした。
かの『ハリー・ポッター』はもちろん、『デルトラ・クエスト』『ダレン・シャン』『ゲド戦記』など、ほとんど児童書ばかり読んでいた記憶が強く残っています。
媒体は異なりますが、ディズニー作品も大好きでしたし、やはり自分の原点を形作ったのは間違いありません。
となれば、いま再び児童書を読むことは原点回帰の意味も持ちます。

3.読まずして、書けない

はい。当たり前ですね。作家の道を往くのに、読書しないという話は聞いたことがありませんね。

実際、それなりに読書していた数年前の自作を読み返すと、明らかに現在の自分より巧いです(自画自賛)。文章力の面で言えば、さまざまな文章を書いてきた近年のほうが上達しているかもしれませんが、こと物語を紡ぐ腕に関しては壊滅的になりつつあると言って差し支えありません。
自己分析すると当然、思考に「物語を書く」という下地が薄れているから、ということに突き当たります。

では、ここでいきなりカフカやドストエフスキーに挑戦して腕を磨くか、ということになるかと言えば、厳しいですね。そもそも読破すら、困難でしょう。

4.児童書には「人生」と「物書き」双方にとって大切なことが書かれている

ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』では、「神話は人生の通過儀礼」と表現し、迷い悩んだときの助けになると書かれてあります。ですが、どうやら自分には神話を紐解く“読む力”さえも身についていない模様。

だからこそ、児童書の出番です。児童書に託されたメッセージであれば、自分にも紐解くことができます。
それだけでなく、児童書はシンプルに物語られている。いわゆるストーリーテリングや展開、表現を学ぶ初級教本として優れていることは、自分の経験からもわかります。

結論.とにかく児童書を読む

生きる活力を得るにしろ、作家の技量を磨くにしろ、児童書は自分に適している。
これが、私の出した結論です。特に、長い歴史を持つ児童文学作品には、それだけの“力”があると考えています。そうでなければ、世代を超えて読み継がれるはずがありません。

だからこそ、自分はまず上述のリストを活用し、地力を付けようと思い至りました。
このnoteでは、読了した作品の分析・感想を個別に記録していきたいと考えています。

本記事を、未来の自分へのメッセージとしてここに記します。

宇露リン

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