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命は期間限定

中学の部活選び。みなさんはどんな基準で選びました?
わたしは「おばあちゃんになってもやれるもの」として卓球部に決めました。

中肉中背の白髪のおばあちゃんが反復横跳びでボールを打ち返してたらかっこよくないですか?
バレー部にも憧れましたが、おばあちゃんがジャンプしたりボールを受けたりするのは難しそうなので選択から外れました。

小学生高学年頃から「自分がおばあちゃんになった時」を考え始めていました。
“おばあちゃん“という存在に強い憧れがあったのです。

というのも、生後間もない弟を突然亡くしたからでした。
青い顔の、寝てるようだけど動かない、赤ちゃんの弟。
当時わたしは幼児でしたが、弟の顔色やお母さんの狼狽する様子を40歳近くなった今でも覚えています。
乳幼児突然死症候群(SIDS)でした。

「人は亡くなる」

この出来事は、私に大きな影響を与えました。
その後おじいちゃんやおばさんたちが亡くなり、お葬式を通して死はどんどん身近に感じられました。

私もいつか死ぬんだ
いつかは今日かもしれない
それとも80歳かもしれない
若いうちは死にたくない

その価値観が"おばあちゃん"に対する憧れを育てたのでしょう。
おばあちゃんになった時の理想は、家族に囲まれて命の期限を終えることです。

物理学的に生に意味は無いそうですが、自分の生に自分で意味を持たせることはできます。
(無理に持たせることもありません。それは自分の意志で決めればいいことですね。)

わたしは理想のおばあちゃんになるべく、家族や関わる人を幸せにする、寛容さと強さを育む生にしたいなと考えています。

今日もおばあちゃんへと着実に針の進んでいることが有難いのです。


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