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たかがソーメン、されどソーメン  (掌編小説)

「まだあ?」
夫の声が飛んでくる。
ソーメンの湯で時間は早い。ついに一分を切る。
ああっ、ついにタイムアウト。まだネギを切り終えていないというのに。

今は夏のど真ん中、八月盆。
北海道とはいえ、真昼の暑さといったらとてもやりきれないほど。
ただでさえ蒸し暑いのに、気温38度を超す台所で麺を茹でる苦労を夫は何もわかっちゃいない。

「まだあ? もう一時間は経ってるよ」
そんなわけはないだろう。
大げさな当てこすりに、ささくれ立った神経を逆撫でされた。
ぬるい水道水にソーメンを鍋ごと浸し、滴り落ちる汗が渦巻く水と混ざり合う。
このまま出したら、「お湯で洗ったのか?」と嫌味が飛んでくるのは目に見えている。
私は大量の氷をソーメンがとぐろを巻く鍋へぶち込んだ。

にっくきソーメン。私はソーメンが嫌いだ。
この扱いにくいことといったら、私にとってはうなぎと同義語。
ソーメンの発案者が恨めしい。

水で洗うとするりするりと指の間から生き物のように逃れ、あっという間に排水口へ消えて行ってしまう。
私は人より不器用なので、ソーメンを一本も無駄にせず笊に乗せる芸当を未だかつて出来たためしがない。

さらに厄介なのは、そのままモソッと笊に乗せることは御法度だ。
ちまちまと指で少量を摘まんでは、渦巻き状にして盛り付けねばならない。
それを中華料理の達人並みの速さで仕上げるのがベストだ。

汗だくになった私の手によって食卓へ運ばれる涼しげなソーメン。
氷とプチトマトと緑のバランが華を添え、冷涼感という表現そのものの出来栄えとなった。

「お待たせしましたね」
夫は微動だにしない。
はいはい、わかってますよ。三種の神器がまだですからね。
葱、生姜、海苔。
この一つでも欠ければ、夫は絶対に箸を手に持たない。
めんつゆも市販のものをそのまま使用するのは駄目。
市販物は隠し味程度に抑え、他は調理者である私が創意工夫しなければならないのだ。
もちろん、めんつゆがぬるいのは言語道断である。
夫はソーメン奉行なのだ。

切り終えていない葱を10秒で片付け、神速の手の動きで薬味・冷えためんつゆを食卓へ並べる。
そして最後に私自身が着席して完了。
そこでやっと夫の手が動き出すのだ。
お願い、汗くらい拭かせてください…。

「いただきます」
箸が整然と並んだ麺の一角を突き崩し、すくい上げる。
結婚当初、初めて出したソーメンの一つまみを夫は頬張り、量が多すぎて口が動かねえと文句を言ったものだった。

「うまいなぁ。ほら、おかあさんも食べて食べて」
熱風地獄にやられて毎度食欲を失う私だが、ソーメン奉行には義理でも付き合わなければならない。
よっこらしょっと箸を持ち、ひと巻きをすくい上げた。

薄い膜を張った水に浸されたソーメンは美しい。
表面がぴかぴかに輝き、今が食べ頃よと健康的に主張している。
うん、君の言い分はわかっているよ。
だけど、君を美味しそうに飾り付けたのはこの私。
このひと巻きの量も、すべて絶妙な分量で選り分けられていることを知っているかい。
だからもう少し感慨に浸らせてくれるかな。

私はいつも最初の一口に時間がかかる。
それだけ多くの思いを込めてソーメンを作っているのだ。
枯れて干上がった口の中に、ヒンヤリした麺が雪崩れ込んだ。

まあ、なんて美味しい。
嫌いだなんて言ってごめんね。君はこんなに素朴で素敵な食感を与えてくれるのに。
すっきり喉越しさわやか、はソーメンにも当てはまる。

さ、二口目と行きますか。
伸ばそうとした箸を持つ手が止まる。笊の上のソーメンはもう幾つもない。
正面の夫の顔を見上げる。
汗一つ掻いていない涼しい顔で機械的に手と口を動かしている。
……このソーメンロボットめ。
また食いっぷりの速度を上げやがった。

私は胸の内で呪詛の言葉を呟き、二口目を急いで口の中へ放り込んだ。
噛むこと十回。それでもまだ足りないくらい。
私はしっかり噛まないと飲み込めない性分なのだ。
その性分があだとなり、ほぞを噛む羽目となる。

三口目と箸を伸ばした先にはもうクズのソーメンしか残っていない。
呆然とした気持ちで残りを搔き集める気持ちがどんなものかわかるだろうか。
「あー美味しかったね。たくさん食べたかい?」

殺意を覚えるのはこんな時だ。
目の前にいて妻の姿が目に入っていないのか。

だから私はソーメン作りが嫌いなのだ。
最後までろくに口に入りもせず、苦行で終わるのだから。

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