誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)流行の取り入れ方

誰が何と言おうとも、ファッションには流行があります。

ターシャ・チューダーのように、すべてを自分で手作りにでもしない限り、それに逆らって生きることは不可能です。

時代の気分というのは変わっていくものですから、当たり前と言えば、当たり前です。


ただ同時に、服そのもののモノとしての寿命と、流行の変化の速さは一致しません。

流行の変化のサイクルは、モノとしての寿命よりはるかに早く、常に流行を追いかけようとすれば、モノとしての寿命を待つ前に、手放さなければならないことになります。そのギャップに葛藤が生まれます。


服はモノなので、古びれ、壊れます。生地は破れ、ウールは虫に食われます。洗濯により生地は傷み、汗により黄ばみます。モノとしての服にとっては、明らかにもうこれ以上、着られないという時期がやってきます。

しかし、欲望をあおり消費させる経済にさらされていると、その時期が来るまで待てません。


また、欲望をあおる経済は、多くを持つことをよしとします。あれやこれやをたくさん持っているということが、相変わらず自慢のタネとなります。

これは単に1つの価値観にすぎないのですが、あたかもそれが当たり前のように多くの人が信じ込まされています。

新しいものを、数多く持つことが推奨される社会の中にいて、冷静にモノと自分の関係を判断するためには、一歩、離れて、より客観的な視点が必要となります。中心にいては見えません。


追いかけても追いかけてもすぐ離される流行の速さに追いつこうとして、たくさんのものを抱え込み、壊れないため捨てるに捨てられず、逆にそのモノに支配され、身動きできなくなっているのが現状ではないかと思います。

一人暮らしの狭いマンションで、一体どれだけのスペースを服のために割いているのでしょう?そして、その服は、本当にいつも着ているのでしょうか。


今まで私が皆さんのワードローブを拝見して、お話を聞いてきたところ、およそ8割から7割のものは、1年に二、三回着るか着ないかのものでした。つまり、実稼働しているのは2割です。

これは別に誰かから指摘されなくても、自分で見てみればわかることです。ほとんど着ないような服に埋もれて、自由に動けなくなる前に、考え方を少し変えてみてはいかがでしょうか。


理想的なのは、服がモノとしての寿命が終わった段階で、そのときに新しさ、つまり、流行を取り入れるといったやり方です。

服の寿命とは耐用年数ではなくて、着用回数によるものなので、ある一定以上、着用したならば、モノとしての限界に達します。そこで手放すことは、罪なことではありません。


服をたくさん持てば持つほど、1着当たりの着用回数は減っていきます。よって、それらはなかなかモノとしての限界に達しません。

100色の色鉛筆をセットで買っても、なかなか全体が減っていきませんが、20色のセットだったら、5倍の速さで減っていきます。そして、案外すべての表現は20色でもできるのです。


着用回数や洗濯回数が多いものは早く劣化しますから、そこに新しい流行を取り入れることは可能です。

逆に、着用回数や洗濯回数が少ないものは、なかなか劣化しないわけですから、それを流行りのものにすると、リスクが生じます。

ワードローブ全体を着用回数、洗濯回数が多いものとそうでないものに分けて考えて、全体のワードローブを計画すれば、流行を取り入れつつ、無駄に捨てない、無駄にふやさないワードローブの構築はできます。


具体的に言うと、洗濯回数の多い夏物はすぐにモノとしての限界に達するので、流行を取り入れやすいと言えます。

逆に、洗濯回数の少ない冬物は、なかなか傷みませんから、流行を取り入れにくいものです。

これは基本的なルールなので、もちろん例外はあります。

新しいものをたくさん持つことはいいことだというのは、1つの考え方に過ぎません。

相手は感情をあおってきます。気分を高揚させようとします。お買い物のとき、多少なりともテンションは上がります。しかし、その上がったテンションはすぐに下がります。その虚しさは、誰もが多少なりとも経験していると思います。

それを避けるためには、そのシステムから一歩出て、客観性を獲得し、自分なりの価値観を持つことです。


断言できますが、服をたくさん持っていれば、おしゃれに見えるということはありません。

おしゃれというのは、知的な行為であり、気まぐれで、そのとき限りのインスタントなハッピーとは違うのです。


あちこちに張り巡らされている罠から抜け出さなければなりません。詐欺師はそこらじゅうにいます。テレビや雑誌が教えてくれるインスタントなハッピーなんかで満足しないで、永遠のハッピーを見つけましょう。

それは他人が与えてくれるものではありません。

それを見つけられるのは自分だけ。そして、それがあるのも、自分の中だけなのです。

2014・03・03


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