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誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)被服費と被服にかけるエネルギー

エンゲル係数という言葉があります。エンゲル係数とは、家計の支出の中で、食費のしめるパーセントです。これが高いほど、生活水準が低いとされます。食費は削ることができない必要経費だからです。


さて、生計における被服費のパーセントについて、呼び名は特にありませんが、自分の生活費の中で、どれぐらいの割合を被服費に使っているか、把握していることは、悪くはありません。


私がいろいろな人にリサーチした結果ですが、被服費について年間で予算を立てている人も、実際にいくら使ったか把握している人も少数派です。

服に関しては、高額なものを買うとき以外、行き当たりばったりのお金の使い方の人がほとんどです。


被服費と一言で言っても、その中身はさまざまです。下着もその中に入りますし、消耗品としてのTシャツなどや、また長持ちするコート、そして靴、バッグ、ジュエリーなど、金額から、減価償却の期間まで、大きく幅があります。ですから、余計に、家計における被服費は把握が難しくあり、放っておかれることが多いようです。


また、これは被服費とは呼びませんが、服や靴のメンテナンス費用があります。クリーニングに出せばクリーニング代が、靴を直すなら修理代が、それぞれかかります。


そして、特に都会のマンションに住んでいる方の場合、服を補完するのに使っているスペースの問題があります。家賃のうち、どれだけの部分が服のために使われているか、シビアに計算してみると、かなりの額になるということがわかります。


それらとは別に服にかける時間とエネルギーがあります。

服にかける時間とは、それを買いに行く時間、朝、または夜、何を着るか考える時間とエネルギー、洗濯やアイロンかけの時間とエネルギーなど、服やバッグ、アクセサリー、小物など、全般にかける時間とエネルギーです。


単純に、多ければ被服費が高いとは言えませんが、(なぜなら高いものを少なく所有することもあるからです)モノとして多ければ多いほど、お金も時間もエネルギーもかかります。

これら被服にかけるお金、時間、エネルギーが、自分の持っているお金、時間、エネルギーに対してどれぐらいがちょうどいいのか、適切なのか、それぞれが改めて考えてみる必要があるのではないのでしょうか。



洋服やバッグのお金をかけてみたところで、決して人生はよくなりません。

服飾学校に行っていたころ、服に相当なお金、時間、エネルギーをかけている人たちを多く見ました。その人たちの人生が、そのおかげでその後、よくなったなどということはありません。

20代のころのヴィトンのバッグも、ヴィヴィアンのジャケットも、ブルガリの時計も、その人を成長させたり、賢くさせたりは決してしません。


残念ながら、私たちのお金も時間もエネルギーも限られています。その総量は、人によって違うでしょう。多くのお金を持っている人は、多くの服を買うことができるでしょう。確かにお買い物はエネルギーを動かす行為なので、一瞬は気分がよくなります。しかし、それだけです。


感覚を刺激するものに、私たちはすぐに負けてしまいます。だけれども、心地いいもの、快適なもの、気分が上がるものだけを求めていったとしても、本当の満足感や幸せは得られません。

自分が今まで服に使ったお金、時間、エネルギーは、はたして自分を幸せにしてくれただろうか、成長させてくれただろうかと、振り返って考えてみてください。

それがまさにそのとおりで、何の問題もないと思えるのなら、今のままで構いません。

だけれども、もしそうでないのだとしたら、今、それらについて考え直しましょう。


安いものを買えばいいとも、どんどん捨てろと言っているのでもありません。そうやって使ったお金、時間、エネルギーと見合ったものが自分に残ったか、その点について考えてほしいのです。


限られたお金、時間、エネルギーが被服にかかり過ぎであるならば、それは減らしましょう。そしてもっと有意義に、成長や幸せの方向に使いましょう。

ほとんどの人にとって、服は人生で最も重要なことではありません。それは必要で、ファッションは楽しいものだけれども、あまりにも重きを置きすぎるのも、何か違うでしょう。


自分の身の丈にあったお金と時間とエネルギーの使い方をしましょう。

それは感情や感覚ではわかりません。あくまでも冷静に、理知的に。

それでは足りない、遅れている、かわいくないと、あおる風に負けないように。

その結果は何年か後にわかります。欲望に負け続けた人の顔と、それに打ち勝った人の顔とでは明らかに違います。

打ち勝った人の顔には、美しさがあらわます。

2014・04・14


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