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火が消える香炉

学生の時に陶芸部に入っていた。ゆるーい部活の割にはしっかりとぶかつとしての活動費をもらっていたので、なぜか先輩の送別会には、高級そうなホテルのレストランを予約してみんなで食事をした。陶芸の思い出よりも、学生だけで行ったレストランの思い出が先に立つそんな部活だった。

いまも、練ったりすることが変わらず好きで、こねて作るベーグルをたまに作ってみたりしている。

友人が陶芸教室にいっている、しかもかなり家から近いようだと聞いて、久しぶりに習ってみたくなった。そこでできたのがこの香炉。

我が家ではよくお香を焚く、夫の趣味で買った5センチくらいの長さのお香は、香りの種類だけで4×5、全部で20種類。気分に合わせてだったり、なんとなくだったり、お香に火をつける。

コロナになり、薬味を以前より取るようになった人の話を聞いた。香りがわからなるというこの病に対しての、不安からなのかなーと最初は聞いていたが、ステイホームを強いられていると、新たな香りにすら出会わないことへのストレスだと話していた。なるほど、人は生活の中でさまざまな香りと出会い脳が刺激されているのかもしれない。

コロナと関係してでは別段ないけれど、ずっと使っていた香炉を壊してしまったので、通い始めた陶芸教室での1回目は香炉を作ってみることにした。なんとなくこんなイメージというものがあった訳でもなく、先生のアドバイスを受けてなんとなくで出来上がった香炉が写真のものである。

蓋には空気が回るようにとチドリの型抜きをたくさんくり抜いた。ほtんとうは、もう少し少なめの数にしようと思っていたが、それでは火が消えてしまうのだという。取手をチドリにしてみてはと先生に作ってもらい、個人的にはいい感じにできたと、完成品を見て思っていた。

だが、家に帰り夫に見せた。ふーんという顔で、お香にさっそく火をつけた、そして第一の設計ミスを指摘した。

これ、穴から飛び出すね。お香という漠然としたイメージでここまで作ってきた私は、家にあるお香の長さまで想定にはもちろんいれていなかった。どの穴からも絶妙というにはもう少し長く、お香が飛び出してしまう。なんとも、心をザワツカセルノである。

後に友人に写真を見せたら、「お灸みたいな三角のお香もあるじゃない、あんなのだったらちょうどいいんじゃない」とフォローしてくれた。こういう時に持つべきものは女友達だと思う。

そして火をつけてから数分後、致命的な第二の設計ミスが判明した。穴から飛び出しがお香の火が、ふたの部分にぶつかって消えるのだ。蓋を少し開けて、お香をチドリの穴にゆっくりと通したら消えないこともないこともある、だが、リラックスしようとするタイミングで、そこまでの気配りを必要とする香炉。本末転倒である。

火をつけるたびに、思わずにはいられない自分の不甲斐なさと、つい思い浮かべてしまう失敗作を叩き付ける陶工たちの画。手を加えることも出来ずに残るものって、その時の自分がいかに未熟かと思い知らせてくれる。自由に作る陶芸が好きではあるけれど、それでも最低限の想定を踏まえたものをつくらなければなーと思った第1作目になりました。

いいのできたじゃーんと軽はずみに褒めずに、一言目が設計ミスだといった夫は、私とは正反対の綿密なタイプ。イラッとするが、自分が我に返った時に、ちょっとだけ尊敬したりもしている。






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