路上詩人の魂よ何処 IZUKO
長い長い放浪の期間があった。それは大失恋の傷痕が血で滲んだ、去年の7月から年末にかけてのアルコールと固い絆で結ばれていた日々のことである……今からお話するのは、その中のたったひとこまに過ぎない。しかし、自身の悪行を悔い改めるためにも、後世のやさぐれ女子たちのためにも、ここにしかと書き残していくこととしよう。
世の中にはやってはいけないことがおそらくたくさんあるが、馬鹿な酒飲みはときとして一線を超える時がある。そう、例えば
路上詩人狩り
だ。
やり方は極めてシンプルである……河原町でビールを飲みながらぶらついて、そろそろ帰ろうとビニールシートを畳んでいる路上詩人に声をかけて、朝まで話すのだ。当然、何かをするわけではない。
わたしはその時、カウンセラーを必要としていた。
しかしそんな金はない。
世の中に対する悪意しかない。
だけど、それが解消されることを望んでいたわけではないのだ、もっともっと苛つきたかった。もっともっと絶望したかった。かといって、こちらが何かアクションする訳にはいかない、そんな屈折とひねくれた欲求の狭間で、わたしはわざわざ河原町まで出掛けていったのである。
それらを何の我慢もなくギリギリの線、なおかつ純度百で満たしてくれる行為が路上詩人狩りだったというだけの話だ。(ちなみに、これはわたしの負と業の深さに関する記録であって、路上詩人批判ではない。)さらにわたしが、いかにムカついていったかを淡々と記述するものであるから、あまり面白くはないかもしれないのだが……。
余計な予防線はやめにして、とにかく話を前に進めよう。夏休みのある日、わたしは前々から目星をつけていた、一番河原町で胡散臭いと思われるその権化にいよいよ接近することになった。自分の息は相当なアルコールを含んでいて、準備万端で悪意を剥き出せる状態にあったことはお伝えしておかねばなるまい。
ヒールで軽やかに走り寄り、意味もなく眉間に皺を寄せている詩人の前に座る。三十手前ぐらいだろうか。濃すぎる顔のピアスだらけの彼はその風貌とは裏腹に、丁寧な手つきで筆をしまい、炭を片付けていた。
「まだいいですか? ゆうきっていいます。」
いや、迷惑な奴すぎるだろ、と自分でも思いながらも上ずった声をかける。ビニールシートには、過去の客をモチーフとして書かれた強度零の詩が並べられていた。
しげしげと詩人はわたしを見上げ、
「ゆうき、ちゃん。ゆうきちゃん。」
と繰り返した。そして、恐ろしく根が優しいのであろう、片付けた道具一式を再び並べ始めた。
ここまで読んでくれた皆様に種明かし的に申し上げておきたいのは、これはわたしが過剰な悪意を持って路上詩人狩りをしようとして、逆に感動してしまった話であるということなのだ。
話を続けよう。
「すいません。もうお帰りですよね。」
「いやいやいいんだ。どんな字書くの。」
「悠々自適の悠に、希望の希です。」
わたしは朦朧としながら答えた。
「いい字だね。親御さんに感謝しなよ。ところで、何かモチーフの"コトバ"っつーか、そういうのは、ある? なかったらなかったでさ、まっ、こっちがなんとかやるんだけど、さっ。まっ、あったらいいんだけどさっ、」
いいぞいいぞ絶妙だ、この上から目線の胡散臭さを待ち望んでた、と少しずつ苛立ちを感じ始めながら、目をつりあげ、わたしは唇を引き上げ、
「人生、で一枚よろしくお願いします。」
とカラカラと笑いながら言った。多分、短い生涯で一番悪い笑みだったと思う。ここには当然、お前なんかがこんな壮大極まりない無茶なテーマで書けるわけがないというのと、そもそもお前なんかに人生を語られたくないという、自称詩人にとっては傍迷惑でしかない感情が渾然一体と犇めいていたのは言うまでもあるまい。
詩人はわたしをなおも見上げながらボソっと言った。
「……人生ってのはあれだよ、ゆうきちゃん。快だよ。ゆうきちゃん。」
その時点でヤバいな、胡散臭いな、この人は澁澤龍彦でも読んでるのか、そこで合いそうだな、って思ったけど、
「どんな快楽なんですか。」と言って喫煙所に誘った。詩人はまるであの絵本のようにホイホイついてきた。河原町のそこまで誘って、特に何も言わずに。わたしは煙草を吸った。
実に詩人はいろんな話をした、実にいろんな話を。それが得だと思ったのかもしれない。警察に追い回された話。嫁に逃げられた話。なぜか詩人の目が血走っているのは置いといても。まあ、半分以上その話は嘘だと思ったんだけど。
「でもさ、まあ、悠希ちゃんはさ、勇気を持って、悠希なりに、勇気を持って。歩めばいいの。」
いきなり、詩人は、なにもしがらみのない涼しげな顔で言った。
あれ?快楽関係なくない?なんの文脈の話これ?壮大にまとめられようとしてない?
はじめは激烈にムカついた、もちろん。なんという無責任な”コトバ”か?
それでも、詩人は、喫煙所のチャチい石の上で、何やらその趣旨のことをさらさらと紙に書き始めた。何もできないわたしはその場で硬直しているだけだった、
わたしの中で、ふつふつと怒りが湧いてきた……こんなダジャレで、こんなに毒にまみれた女を簡単なやり方で納得させようとしているという意思に対して……”ゆうき”という語呂でゴリ推ししてるのを……この後先考えないボロい無謀さに対して……
しかし、思い出していただきたい。
これは、大失恋の傷痕が血で滲んだ、去年の7月から年末にかけてのアルコールと固い絆で結ばれていた日々のことなのである。
なんとわたしは思わず、冷たい石の上で涙を流していた。
何分かも、その喪失感で無様にも泣いていたのだった。
過剰な悪意は、過剰すぎるがゆえに崩壊し、その核の感情がむき出しになって涙へと変わっていった……
悠希ちゃんはさ、勇気を持って、悠希なりに、勇気を持って。歩めばいいの。
アルコールは少なくともわたしを支配していた。
詩人は、無意味の意味を醸し出そうとしているのか、実に複雑な表情をして、月を見ていた。この仕草は、もっと彼の無意味が際立ったように思えた。わたしは詩人が書いた紙をその月に透かしてみた。この動きにさしたる意味はなかったが、一年間同棲した楽しかった記憶がまざまざと思い浮かばれてきた。……
わたしは、おいおいと冷たい石の上で涙を流した。悠希ちゃんはさ、勇気を持って、悠希なりに、勇気を持って。歩めばいいの。喫煙所の面々は、軽く引いていた。
気がつくと、詩人は、もういなくなっていた。
何が悪かったのかを、もっと分かり合える方法はなかったのかを、わたしは詩人と語りあいたかった。
悠希ちゃんはさ、勇気を持って、悠希なりに、勇気を持って。歩めばいいの。
その声だけが脳裏に響いていた……
わたしの煙草は何事もなかったように見事にスラれていた。
わたしは京都のアパートに帰った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?