このまちと、ぼくは。

時々、このまちがキライになる。

ぼくがこのまちでソーシャルワーカーとしての仕事を始めてから10数年がたった。

このまちに暮らすひとの生活、ひととひとの交わりやひとの地域社会との関わりの手助けをしたり、守られるべき権利を擁護することを基本に個人や集団のこうありたいと願う暮らしの在り方との現実とのズレに対し福祉の専門性と職業倫理をもった関わりを行うことを生業としている。

ぼくはぼく自身の心や考え方が揺れることで
ぶれずにこの仕事を続けていられると思っている。
でも、その揺れは時折激しくおこり、自分の無力感と孤独に苛まれて、
ここに自分が居続ける理由が分からなくなることもある。
何事も思いどおりにならないことは多い。
分かってはいるものの焦りや憤りは他責になり、それにとらわれることになる。
そして、今日もこのまちを責め、キライになっていた。

自転車で訪問先から事務所に帰る道中にマスクの中でぶつぶつと毒づいていた。
なんなんだこの町の○○は。なんでこんなことになるまで!

正直、訪問先の家族からぶつけられた、このまちに対するネガティブな感情は、このまちの福祉を担う専門職としてのぼくに向けられたものだとわかっていた。

正午を過ぎ、日が高くのぼり日差しが照りつけ、次第に背中に汗をかいてきた。
背負っていたリュックサックが煩わしい。

次の予定まで時間が充分にあったのでたまには空調の効いた店で外食をしようと思いたった。
鬱屈した気分を変えたかった。

唐揚げ、ラーメン、鉄板焼。通りに並ぶ看板やテントの文字を確かめながらゆっくりと進んだ。

紺色をベースにした暖簾に白抜きの文字、その右から下に回り込むように描かれた赤いイラストに目が留まった。

タコ。
たこ焼き屋だ。
このお店は20年上前からこの通りで営業を続けているそうだ。ぼくがこのまちで活きる前からあったことになる。

たこ焼き、食べたいな。

ぼくは店の前に自転車を停め、たこ焼きを買い求めた。
店の前に置かれた長椅子には出来上がりを待つご婦人が座っていた。他にも数人のお客さんが少し離れたところで立ちながら待っていることがわかった。

少し待ちはしたが、たこ焼きをピックで次々とかえす、店主の熟練技をみたり、それを時々覗き込むご婦人の幸せそうな顔、暖簾の横にタコの足の如く逆さに吊るされていた青ネギを眺めていたら「お待たせしました」と店主の奥さんと思しき店員さんに声をかけられて温かい1パックを受け取った。

先日と同じ公園に移動し先日と同じサボりベンチに座り、手のひらにずっしりと重みを感じるパックの蓋を開いた。

大きめなたこ焼きが6つ並んでいる。
ソースの香りとテカりが食欲をそそる。

鳩が、よってくる。「やらないよ」
くくほーっ。くくほーっ。
集団でさらににじりよってくる鳩らに構わず、パックに並ぶ1つに爪楊枝を差し口に運んだ。

ふわとろ。
うまい、ほほっ熱っ!うまい。

ふと気まぐれに求めて直ぐに、
こんなに美味しいものが食べられるなんて、
ぼくは、このまちに胃袋をつかまれたようなものだ。

このまちが何だかんだで、ぼくの職業人生で一番長くいる場所になった。
もう少し、まだ少しぼくはこのまちにいる。
これからもきっとたこ焼き屋の店主のピックさばきのようには、ぼくの活き方が誰かを魅了することもなく、このぼくだけの持ち味を褒められることもないだろう。
それでも、ぼくは、このまちの受け入れられ方の中で、自分のこのまちに対する愛憎の一部として活きていくのだ。