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疲れきったときに気づいたこと

しばらくnoteを書かなかった。
2週間、あっという間に過ぎていったな。

この2週間、いろんなことがあった。
いや、取り立ててなにもなかった。
どっちにしろnoteに書きたいものが湧いてこなかった。

だけど。
この2週間。
とてもとても、とても大事な2週間だった。
とてもとても、とても大事なことに気づかせてもらった。


なにもなかったと思えるのは、
そこに起きていることに私が気づいてなかったからだ。
気づきたくなかったんだろうな。
毎日毎日、何度も何度も起きているのに、
それをスルーしていた。
そこにこそ赦しをしていく必要があるのに。
聖霊を選び、キリストの声に耳を澄ましたいと言いながら、
私はずっと幻想を現実と見る見方を選んでいた。



彼女は時々私にキツくあたる。
最近ずっとよかったのに、なんのきっかけかわからないけど、
また私にキツくなった。
しばらくキツい状態が続いたあと、またふっと友好的になった。
数日友好的な状態が続き、
これは私が赦しをしたからだろうかと思っていた。
私の罪悪感を取り去ってもらうよう、聖霊にお願いをしたからだろうと。
でもまた、なんのきっかけかわからないけどキツくなった。
何かが彼女の琴線に触れたんだろうなと思いながらも、
そのキツい態度がほんとに疲れる、嫌だ、と思っていた。
そしてそのことを他の人に話したい衝動に身を任せてしまうこともあった。
これは幻想なんだと気づきながら、赦しをしながら、
それでもその衝動に負けてしまう。。

そんなことが続いて本当に疲れてきた。

毎朝読む奇跡講座。
その内容に学び、本当にこの幻想世界を現実とは見ずに、
心眼で見たいと望む。
幻想世界にいる私の心は狂っているから、心眼で見るなどできるはずがない。
とにかく今は赦しの機会を認識するたびに赦しをしていくしかないんだ。

そう思うけれど、赦しもちゃんとできているかわからない。
それどころか自我の衝動に身を任せてしまってるじゃないか。
いやいや、自分を責めるのも違う。

理不尽な攻撃を受けるのもいやだ。
その攻撃に対して攻撃的になる自分にも疲れる。
赦しをして少し凪いだ心も、またすぐに攻撃的に煮えくり返る。
誰かに話さないと収まらない。
ああ、また話してしまった。。
また攻撃的になってしまった。
心眼で見ることを教えてほしいと、キリストの声に耳を澄まし静まることができなかった。


疲れたーーーーー


そんな日々を繰り返していたある日。
あまりにも疲れてしまったので現状をLinpに話してみた。

最近、こんな状態で疲れてるの。

すると少ししてLinpは言った。
「俺は最近、そういうふうに外からの刺激でイライラと反応したときにそういうのを全部イエスや聖霊に明け渡してるんだ。
相手のイライラするような言動は、自分の罪悪感の投影だから赦しをするし、イライラする言動に対して自分のとった言動を責めたい気持ちにも赦しをしてる。」


ドSな私は自分を責めたい気持ちになると、がっつり責める。
それは違うと頭ではわかってても、心は勝手に責めている。
そしてそれをなすすべもなく受け入れている。
昔からそう。
小さい頃から、妄想しては自分を罰し悲劇のヒロインもどきを楽しんでいた。

狂った心が自分を責めるにまかせ、そこを放置していた。
だから苦しくなるんだ。

そうか、その自分を責める思いもまた、聖霊に取り去ってもらうようお願いすればいいんだ。


うまくやれる気がしない。
また今までと同じことを繰り返してしまいそうだ。

それでも赦しをしよう。
聖霊が助けてくれている。




翌日、彼女はまだ私にキツい。

ああ、私の心が神に罪を犯したと信じている。
罪を犯したんだから
 私だけみんなとうまくいかないー
 私だけ大事にされないー
 私は信頼されることがないー
 私は誤解されるー
 私は愛されないー
そう固く信じている。
それを投影しているんだ。


もういい加減これをやめたい!
もうこんな世界を楽しむのをやめたい!
これは私の罪の意識の投影。
だから私の罪を犯したと信じている心を取り去ってもらおう!
本当に取り去ってもらおう。
この世界で愛されている証拠を探しても、
それは儚く移り変わっていくばかりだ。
どうか助けて、イエス!ホーリー!

そう思ったら、彼女がなぜキツくあたるのかと
思考を巡らすことが止まった。
言い返したいとか反撃したいとかいう思いが止まった。
そして彼女にも私と同じ、神に罪を犯したと信じている心が見えた。

私の罪を犯したと信じている心を取り去ってもらう。
彼女の罪を犯したと信じている心も取り去ってもらう。
私たちは同じだ。

罪はない。罪などどこにもない。
重い重い私たちにかかっているこの嘘のベールを、
赦しをして聖霊に少しずつ取り去ってもらおう。



その日の終わりに、彼女は
「ふんっ」
と恥ずかしげに強がった。
そして私を見るその瞳には穏やかな光が戻っていた。

そのことに私の心は嬉しさを感じたけれど、
これもまた変化していくもの。
罪を犯したと信じ込んでいるこの心の投影は、世界中のあらゆる出来事に投影されている。
すべての人の言動に投影されている。
この心の誤りに赦しをしていこう。
私の中のキリストの声に耳を澄ましていこう。

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