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奇跡講座WB実践322 私が放棄できるのは、一度も実在しなかったものだけである

第二部
11 被造物とは何か
レッスン322
私が放棄できるのは、一度も実在しなかったものだけである。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


まただ。
また反発している。抵抗している。

昨日Linpに最近のことをシェアした。
シェアしたかっただけで、質問したわけじゃない。

Linpはいろいろ話してくれた。
私の話を聞いて話してくれているんだけど、
私はまたダメ出しされていると感じていた。
ダメ出しされてるわけじゃないということにも気づいているけれど、Linpの話に抵抗していた。
とりあえずLinpの話が終わるまでずっと聞いていた。
すると、

それって私がさっき言ったことじゃん。
私それやってるじゃん。

と感じた。

どういていつも私がささくれ立つような言い方をするんだろう。

そうだ。
私はいつも共感してほしくて話をする。
わかるよ!そうだよね、と言ってもらえると満足する。
なんの話でもそうだ。

だけどLinpは共感の言葉を口にしない。
だから私はそれを不満に思うんだ。
そしてダメ出しされてると感じるのは私の罪悪感ゆえに違いない。

Linpと私の思考の仕方や感じ方、ものの見方は真逆で、
それぞれの個性によっての違いだということは以前からわかっている。

でもその個性も、幻想に違いない。
幻想なんだけど、この幻想世界ではそうした違いはある。


なんだか禅問答みたいだし、これをどう理解すればいいかもよくわからなくなる。


とにかく、Linpが共感の言葉を一言言ってから話始めてくれたらいいのに。
論文みたいな言葉じゃなく話してくれたらいいのに。。


そんな風に反発しながらも、
Linpのアドバイスをダメ出しと感じる罪悪感について赦しをした。
個性の違いという幻想でしかLinpを見れない。その違いを見ていたいと思っている心について赦しをした。



昨日のそんな反発・抵抗したLinpからのアドバイス。
今日、そのアドバイスをすんなり受け入れている自分がいた。

見えたもの、聞こえたものを瞬間的には自我で知覚している。
分離の見方、聞き方をしている。
そして分離の反応をしている自分がいる。
日常の忙しさの中でゆっくり考えていられないから、ついそうしてしまう自分に気づきながら、流されている自分。
ひとりになった時、そのことについて赦しをする。

だけどそれにすぐに赦しをできるようになればいいね、というLinp。

だからそんな余裕ないんだってば。
って思っていたけれど、
今日は自我の反応をする前に、聞いてすぐに心で赦しをしようとする私がいた。
不満を聞いたら、私の中の不満の投影だと気づきすぐに赦しをする。
恐れを聞いたら、私の罪悪感の投影だと気づいてすぐに赦しをする。

そうしていたら聞いた不満や恐れに私が動揺することが少なくなった。フラットで居続けている自分に気づいた。


自分の心が抵抗しているままで赦しをしても大丈夫。
自分の心が反発したままで赦しをしても大丈夫。
私がどんな状態でも、私の赦しを聖霊はすべて受け取ってくれるんだ。



夕方、10m先から向かってくる小学生の男の子に大きな声をかけられた。

「今、何時ですか?」

道で、目的地への行き方を聞かれるなど質問されるのは、いいことだって聞いたことがある。
話しかけやすい雰囲気を発してるってことらしい。

びっくりしたけどなんか嬉しかった。

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