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45回目の誕生日。

4月1日土曜日です。おはようございます。普段は22時ごろの就寝するのですが、お誕生日を迎えるので、日が変わるまで起きていて、家族の皆さんにお祝いしていただきました。家族からの祝福が1番幸せですね。

#誕生日プレゼントは事前にいただいておりました。
#靴と洋服とズボンとお菓子。
#毎年、ありがとうございます。

さて。『45回目の誕生日。』というテーマでお話します。100年時代と言われる今、だいたい半分くらいきましたので、残りの半分をどのように過ごしていくか、後半戦の目標を考えたいと思います。

【体の弱かった学生時代。】

4月1日生まれって、早生まれの最後の日にちになるので、幼少期は、体が小さくて結構苦労します。小さい時の1年間って、体の大きさが全然違うんですよね。

本来は、明るい性格なので、今思えばひょうきんだったと思うのですが、体が小さいことと体が弱かったことも含めて、中学生くらいまでは、あんまり楽しい思い出を思い出すことができないんですよね。

イジられて、よく泣いていた記憶が結構あります。体が小さい、運動ができない、頭も良くない。と三拍子揃っていたのですが、10歳くらいの時に、突然、まわりより記憶する能力が高いことが発覚し、成績が上がっていく事件がありました。

母親が教育ママだったので、その影響もあるのかもしれませんが、成績が上がっていくと、周りからの見る目が変わっていくんですよね。そうか、頭がいいと周りの人たちは褒めてくれるのか。と思って、学業に勤しみます。

ただ、ずば抜けていたわけではなかったので、中学受験も高校受験も成功せず、まわりよりは少し頭がいい、ちょっと面白い人の時代が続きます。この、ちょっと面白い人。が周りを明るくする性格につながっていきます。

大学は、何とか現役で公立の学校に進学することができ、親にも喜んでもらえるのですが、就職活動時には、『氷河期時代。』と言われ、今まで就職率が100%だった、公立理系の就職率が100%を初めて切る時代でした。

高度経済成長を生き抜いてきた、親から教わっていた『いい大学に入って、いい会社に就職すれば、いい人生が待っている。』という言葉が、全く通用しなかったんだなー。大人の価値観と、今の時代は全然違うんだなー。と、痛感した出来事となりました。

どうにかこうにか、建設業にコマを進めることになるのですが、もちろん不景気真っ只中。そんな中、今のパートナーに出会い、子供を授かることとなりました。

【第二セクション、子育て社会人時代。】

当時の建設業は、労働組合もなく、結構ブラックな環境でした。月の残業時間は200時間を超え、週に一度、お休みがもらえたらいいところ。1番過酷だったのは、昼夜間工事を担当した時がとても辛かった。

朝8時から夕方の5時までお昼の工事があって、3時間休憩して、夜の8時から朝の5時まで夜の工事が始まる。そして3時間休憩して、次の日の朝の8時から工事が始まる。

人員がいれば、朝と夜の担当者は変わるはずだったのですが、忙しい時期で、人不足のため、どちらの工事も管理することに。挙句に、この期間が3ヶ月間続いたので、その工事自体は何とか乗り切ったんですけれど、その後、体調を崩すこととなります。

この少し前に、結婚して子供を授かっていたのですが、当時の記憶が全く思い出せないので、とても辛い環境だったんだと思います。それでも、付き合ってくれた今のパートナーには、感謝しかないですね。

結局、体調を崩してしまって、新しい会社に勤めるんですけれど、それなりに忙しい会社ではあったのですが、今までの労働環境が劣悪すぎて、とても気持ちよくお仕事することができました。やっぱり環境って、大事なんですね。

30代中盤までは、ワーカホリックだったので、家庭を顧みず、がむしゃらに働く昭和っぽいおとーさんだったのですが、30代後半に交通事故に遭い、生死を彷徨います。一命を取り留めるのですが、そこから、人生とな何なのか?と向き合うことになりました。

やっぱり身近な人、家族の幸せが1番大事なんじゃないかなー。という結論に至り、家族と過ごす時間を大切にするようになります。そう思えば、今まで過ごしてきた時間も無駄ではなかったんだなー。と実感しました。

【次の20年は、自分と向き合う。】

親や大人の言うことを信じて進んできた、学生時代の20数年。社会に出て、家族を養うことだけを考え続けた20数年。大学生と高校生の子供たちもまもなく一段落を迎えますので、次の20年はもう一度、自分と向き合ってみようと思います。

お仕事でいうと、社会人になってから20数年間、工事現場を管理するという業務を行ってきました。でも、高校生の頃、阪神淡路大震災を経験し、あの惨状を見た時に、街を復興する人になりたい。と強く思ったことがあります。

その時は、建築士を目指していましたが、結局、その学問を習得する大学へ進学することはできなかったので、その扉は一旦閉じられることとなりました。

ただ、閉じられた想いも、想い続けることにより、再度開くこともあります。色々な環境の変化を乗り越えて、この4月から、設計業務を担当する部署へと本格的に異動することが決まりました。

今抱えている現場を完了してからとなるので、始動は秋ごろになる予定なのですが、20年間の現場での下積みを終え、今後はお客さんと向き合う設計士として、次の20年間は進んでいくこととなるでしょう。

会社では、大きな組織改革があったので、まだまだ不安定で、今後どうなるかは全く想像できないところですが、全体の動向を把握し、自分のやるべきことを明確にして、色々なことにチャレンジしながら、次の20年間を過ごしていくこととしましょう。

もちろん、家族を大切にすることを前提にして、進んでいきたいと思います。

何が言いたかったかと言いますと、人は、考え続けていれば、たとえ形を変えたとしても、その場所にたどり着くことができるのではないかと思います。今やっていることが、目指していることと全く違うところにいたとしても、それは、最後にたどり着くために用意されたステージだと思いますので、焦らず、腐らず、日々の進んでいきましょうね。今年度もよろしくお願いします。と言うお話でした。

それでは本日も素敵な1日をお過ごしください。

ご安全に!

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