スルー部とスルーしない部

認知のゆがみと心の傷

「空気を読む」なんてことに必死になりすぎて言葉の裏には何かあるんじゃないかと思ってしまう、私の認知のゆがみ。そして何か言われたときに頭真っ白になってしまって、何も言い返せない私。だけど言い返さなかったから私はうまくやったんだと自分で自分を慰める。無駄に自分だけ疎外感を感じたり、好かれないと思っていたり、人よりできないと思っていたり、迷惑をかけると思っていたり、たぶんこれも認知のゆがみ。私は専門家ではないけどたぶん人よりそういう気にしすぎな部分があるなと思うのです。

そんな性格持ちの私が、先日夫の実家に長期滞在して初めて「THE 舅姑」を経験してきました。今まではなんとなくスルーして、マイメロ理論でやり過ごして、それでも育児のことを言われるのは癇に障る。大好きな家族だけどだいぶ距離が離れてたのでこんな風に経験することがほとんどなかったんです。

スルー部結成

そこで主婦の友人たちと結成したのがスルー部。お姑さんの嫌な言葉はスルーしましょうというものです。私は現在スルー部員でスルースキルを磨くことに精を出しております。

職場で「子供を旦那さんに預けて飲みに来るなんて信じられない」という化石を見たときも、地域のスポーツチームで「けがで休んでいるあの子と比べてあなたは」と言われた時も、「過保護だ」「かわいそうだ」と舅姑からステレオでダブスタ攻撃を食らった時も、このスキルがあれば何とかやっていけます。

スルーしてはいけないもの

スルー部の活動をしていると認知症の姑と同居している友人が活動報告をしてくれました。「出ていけ」「お前なんか嫁にもらうんじゃなかった」と暴言を吐いてくるのです。認知症の症状の一つだとわかっているからスルースルー。夫も放っておけ、認知症なんだからというしスルースルー。

人の言葉でやっと気が付いてしまった。父がアルコールで妄想がひどく、「お前たちは家族じゃない」と言って蹴ったことや、姉が鬱だから母の介護の途中でそれを放棄し友人の結婚式を切り上げて帰らなければならなくなったこと、母が介護が必要な病気だから私にぶつけたいこともあるだろう、私がやればいいだろう、きりがないほど感じてきた「病気なんだから仕方がない」。私は何十年たった今も納得できない気持ちを抱えてしまっています。だって私が、彼らが皆病気だから仕方ないと思って自分の感情をしまっておけば何もかも丸く収まってきたのだけど、私は漏れなく傷ついていたのです。自分で押し込めてなかったことにしようとしてきたけど、それはやっぱり無理なのです。

ここで「スルーしない部」発足。病気が理由で傷ついたことも、傷ついたって認めていいじゃないかって、自分くらいは無視しなくていいじゃないかと。甘いものを食べてゴロゴロしよう。私は傷ついたよ、傷ついたんだ。相手に言い返すとか言い返さないとかじゃなくて、傷ついたって思っていいんだよ。だって殴られて血を流しながら、なかったことになんてできないでしょ。手当しなきゃ。これぐらい何ともないじゃなくて、痛いって思っていいじゃない。

スルー部員スルーしない部員一同はスルー精神としない精神にのっとり、毎日を気楽に過ごすことを誓います。たまにはやり返すかもしれないよ。それでもいいじゃないか。


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