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「もういいよ、ササ美さん」⑴(再掲)

「ねえ、ママ!!ちょっと聞いてる!!」

娘のササ子に揺さぶられ、ササ美は我に返った。

ササ美さんは鶏肉のササミだ。スーパーで98円/100gで売られていて、ボリュームパックだともっと安い。低脂肪・高たんぱく質ということで、筋トレしている人はゆで卵白身と同じランクのたんぱく質として溺愛されている。

ササミに意思なんてない? そりゃそうかもしれない。 人間みたいに、ササミ一本に対し、一つの人生、個性があるわけでもない。ただ、量子力学の考えによると、極小の量子という世界では、量子を分断すると、たとえ遠く離れていても、片割れが、誰かに「観察された」とかを察知し、同じ状態に変化するともいう。そう考えたら、ササミにだって、意思はあるのではないか、って思うのだ。ササミ1本に一つの意思というより、もっと大きい単位でササミの意思が存在し、片割れの存在をいつも感じてるのではないだろうか。

ササ美さんは、パック詰にされる工場でササ男さんと出会った。人間のような「結婚」という効率重視のがんじがらめの制度なんて、当然ない。ただ、一緒にいたその時に、「家族として、一緒にいたい」と思うことは自由であり、そばにいた、比較的小さなササミちゃんたちも子供たちとして認識し、ササ美さんとササ男さんは、家族となることに決めた。

残念ながら、家族でいられたのはほんの一瞬だった。ササ男さんは運悪く、違うレーンへと徴兵され、全く違うスーパーへと「国産ササミ」としてパックされた。

「離れていても、君とはいつも一緒だよ。君の気持ちも僕の気持ちもわかるだろう?」

量子のなせる技なのか、ササ美さんとササ男さんの盛大なる勘違いなのか、書き手である私の妄想なのか、それはさほど重要ではない。とにかく、ササ美さんとササ男さんは、お互いの近況はよくわかっていた。どんなスーパーへ運ばれて、どんなササミと一緒にパックされて、値段はいくらで、どんな人が買っていくのか。そして、どんな料理にされたのかと。

「コペンハーゲン解釈とかって言ってたな。ササミのくせに知識はあるんだから、ササ男さんは。前世は学者だった、ってそういえば言ってたっけ」

フッと、ササ男さんを思い出しては、ササ美さんから笑みがこぼれる。

同時に、ササ男さんの最期を思い出しては、腹わたが煮え返る程の気持ちになった。

ササ男さんが入ったササミパックを買ったのは、筋トレ好きの女だった。彼女の名前は知らないが、仮にサキさんとしよう。サキさんは、料理が好きにもかかわらず、全体的にザックリした人だった。ササミが良質のたんぱく質だからというのが大きいだろう、ササミを冷凍庫にいつもストックをするような女だった。ササミが特売とあれば、いつも大量に買い込んでると、サキさんはササミ界ではちょっと有名だった。

ササミを好きでいてくれることに対しては、異論はない。むしろ嬉しい。ただ彼女は星野レミ並みに、大胆に料理をするタイプだった。「形なんて、食べちゃえば一緒よ、あはは」と口を開けて、大笑いするような人だった。

ササミは「筋取り」が肝だ。フォークであれ、ナイフであれ、身を筋に残さず、かつ本体をあまり傷つけず、筋のみをとる。医龍の朝田並みのテクニックが必要だ。

ゆえに、ササ男さんの最期は禍根を残すことになったのだが、この話はまた。

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