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日本人論5:絶対結果平等を求める日本人 生涯機会平等を求める米国人

絶対結果平等を求める日本人、生涯機会平等を求める米国人

 「社会が平等になるほど、人々がわずかな違いに敏感になる」とトクヴィル(フランスの思想家)は説いた。昔は平民というと、「ああ、あの人は偉いものだなあ。でも、自分とは違う人なのだから、自分は自分でやっていこう」と思うこともできた。ところが、いままでは違う世界の人だと思っていたのが、考えてみれば同じ人間だと思ったとたんに腹も立ってくる。「なんであの人はあんなにいい思いをしているのに、自分はこうなのか」。SNS時代と社会格差拡大により、他人に対してより厳しい見方をするようになっていると思われる。特に日本人は、絶対平等を求めているように見える。一方、米国は、生涯機会平等を与えるが、結果の平等は与えていないシステムに見える。
 Law Schoolを例にすると、日本版Law School構想時は、日本の法学部教授(母校の教授ら)らがHarvardなどの1流の米国Law Schoolを中心に参考にしたこともあり、1.5流、2流Law Schoolの動きを学ばなかった弊害が、日本版Law Schoolの現在の課題と繋がるように感じる。
 米国版Law Schoolは、Bar Examに関係ない科目(法哲学etc)をきちんと学ぶことが当たり前のように必須になっている。しかし、1.5流、2流のLaw Schoolにおいては、Bar Examに関係ない科目に対しての時間はほぼかけない上、Bar Examのための試験対策を大学が積極的に支援をしているのである。Bar Examという試験は一緒であるが、そのための対策は学生の能力に合わせて異なるのである。
 結果としては、1流大学や大学院からの卒業者の初任給と1.5流、2流大学出身の初任給は雲泥の差がある。一方、日本の新卒採用で初任給の違いはほとんどないのが実態である。

【経験談】 
 偏差値が高い高校ほど自由裁量があるシステムと同じ。偏差値が高い学生は何を言わなくても勝手に自分で考えて行動をするし、行動抑制も自分でブレーキが可能である。但し、偏差値が低い高校の学生は、ルールへの反逆者も多く、ブレーキ役が必須になるシステムになりがちである。米国の大学は、コミュニティカレッジ(日本の短大と同様)から大学への編入者も多く、復活戦が多いシステムに見える上、80歳代も普通に大学に通っている姿が珍しくない。

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