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「身体と社会は対立するものではなく、フィードバックし合うもの」マイノリティ当事者が語るコミュニケーションのあり方

人はそれぞれ違った顔の形、体型や性格、コミュニケーション方法を持っている。客観的に見るとあまり違いがないように見えることもあるが、本人は人と違うことに悩んでいる場合もある。そして中には、社会で「平均的」とされる外見やコミュニケーション方法との違いが極端に大きい人もいる。

かつて某国民的アイドルは「ナンバーワンでなくオンリーワンでいい」と歌っていた。また、某アニメ映画のプリンセスは「ありのままでいい」と歌った。オンリーワンでいること、ありのままでいることが難しいと感じるからこそ、これらの歌に魅了される人が多いのではないだろうか。

近年では、フェミニストを中心に「ルッキズム(外見至上主義)」に関する問題提起がなされている。パーマ頭の黒人モデルを起用して「こんな髪でもサラサラになる」といった内容を謳ったシャンプーの広告が炎上するなど、「見た目」をめぐるさまざまな問題を見聞きする機会も増えてきた。

2019年10月31日の「LITALICO研究所 OPEN LAB」第4回では、こうした「身体」と社会の関係についての講義と対話が行われた。登壇者は3名。

1人目は先天的・後天的に顔に特徴のある当事者で、ユニークフェイス当事者として小説の執筆や自助グループの運営を行っている石井政之さん。2人目は長い間どもり(吃音)に悩まされ、現在は「幸せなどもり」と自称している藤岡千恵さん。そして3人目は美学・現代アートを専門とし、さまざまな身体的特徴を持った方へのインタビューを通して研究中の伊藤亜紗さんというメンバーだ。司会はOPEN LAB主宰の鈴木悠平さん。

本記事は、2019年度に実施した、LITALICO研究所OPEN LABの講義のレポートとなります。会場・オフラインでの受講生限定で開講・配信した講義シリーズの見どころを、一般公開いたします。

多くの観客が期待の眼差しを注ぐ中、1人目のゲストである石井さんの講義が始まった。

(レポート執筆: 姫野桂)

ユニークフェイスの活動のきっかけは「差別」

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石井さんは生まれつき顔の右半分に赤黒い痣がある。これは単純性血管腫という、顔の毛細血管が皮膚の表面に出てくる良性腫瘍だ。近年ではレーザー照射や皮膚移植などである程度治療することも可能になってきているが、芳しい治療結果が出ないケースも少なくない。

石井さんもレーザー治療を何度か受けたというが、血管腫が皮膚のかなり深い部分まで浸透しているため、効果はほとんどないと医師に説明された。まだレーザー光線が存在していなかった子供の頃には、ドライアイスを皮膚の表面に当てて血管腫を冷凍やけどさせて組織を破壊して薄くする治療も受けたことがある。非常に痛みを伴う治療であったが、ほとんど効果はなかった。

高校生の頃、大学病院に行って本当に皮膚移植で治るのか、勇気を出して医師に訊いてみた。すると、医師は写真付きのカルテを持ってきて、自分と同じような痣のある男性の手術のbefore・afterの写真を見せてくれた。石井さんと同じく、顔半分に痣のある男性だった。しかし、afterの写真には皮膚移植をした、まるで映画「フランケンシュタイン」に出てくる怪物のような縫い目の跡が残っていた。「これでは治っていません」と医師に言うと「この縫い傷が目立たないように治療していき、最終的には目立たなくするんだよ」との答えが返ってきた。その瞬間、石井さんは「皮膚移植や治療は受けない」と決めたという。

筆者の親の知人夫婦は、生まれた乳児に単純性血管腫があったため、まだ小さいうちに美容大国である韓国で手術を受けていた。この手術を受けると、小学校に上がる頃にはほぼ痣は消えたという。このように、完治するかしないかは、個人差があるようだ。石井さんのように、さまざまな治療法を提示されるも、期待するような結果にならない、という経験をした方も多くいるのだろう。

石井さんはその後、顔などの外見に病気、怪我、先天性異常などの症状がある人のことを「ユニークフェイス」と名付けてアピールする当事者活動を1999年から行っている。

石井
私の場合、医学書を見ると皮膚病と記載されているのですが、痛くも痒くもないので”病気”という認識があまりないのが特徴です。他にも、生まれつき唇と顎が裂けている口唇口蓋裂もアジア人には多いです。新生児のうち500人に1人いるとも言われています。この他、ケロイドや、顔面神経麻痺で顔が麻痺してしまう方などもユニークフェイスに含んで活動しています。精神的なものであったり、脳梗塞などの後遺症、事故などで、誰もが今後このような外見になる可能性があります。

なぜ石井さんがユニークフェイス活動を行っているのか、はっきりとこう語る。

石井
端的に言うと差別があるからです。差別がなければこの問題に取り組んでいません。その差別が一番現れやすいのが学校。僕はいじめという言葉はあまり好きではないので虐待と言わせてもらいます。集団虐待という言い方が正確ではないかと

筆者が小学校低学年の頃、口唇口蓋裂の手術を受けて顔面に器具を装着しているクラスメイトがいた。こんな言い方はおかしいかもしれないが、彼はいじめられる側ではなく、いじめる側のガキ大将的な存在だった。今思うと、ユニークフェイス問題からの「集団虐待」から逃れるため、事前に予防線を張って暴力を駆使していたのかもしれない。

ユニークフェイス当事者が学校生活の次に直面する差別は、恋愛や結婚、そして就職活動だと石井さんは語る。恋愛では外見を重視する人もいるためなかなか交際まで発展しない。また、いざ結婚という段になると、相手側の身内から偏見の目で見られることも少なくない。就職活動の面接では、顔が原因で入社できなかったり、笑われてしまった当事者もいたという。

顔の症状それ自体は、外から非常にクリアに「見えている」。しかし、見た目を理由とした差別については、あくまで個人的な問題だとみなされがちであり、長らく社会問題だと認識されてこなかった。

石井
私はフリーのライターを25歳頃から始め、社会問題を取材することがありました。その中で、自分の痣の悩みや自分が直面した差別は社会問題なのではないかと気づき、20代の頃にユニークフェイスに関する執筆活動をスタートしました。

私は顔と名前をはっきり打ち出して活動しています。私は1965年生まれなのですが、私よりももっと上の世代の人たちで顔の差別について語った人はほぼゼロと言っていいくらい、いませんでした。取材したり図書館で調べても、少なくとも日本語ではきちんとした文献がないことに気づきました。特に当事者が書いたものがない。だから、自分が社会的発言をしていこうと決めました。

現在、日本国内で顔の悩みを解決するサービスは二つある。一つはレーザー照射などの治療で治すこと。もう一つはメイクアップやかつら・ウィッグなどで隠す方法。しかし、全ての疾患や病気を治療で治すことは限界があり、メイクやウィッグもジェンダーギャップの大きい日本ではまだまだ男性にとっては抵抗がある選択肢だ。これらのサービスは素晴らしいものだと感じつつ、当事者そのものを隠すサービスになっているのではないかという側面も、石井さんは見つめている。

1999年に石井さんは『顔面漂流記』(かもがわ出版)を上梓。この本には三つの特徴がある。一つは日本で初めて当事者が自分のことを商業出版で書いたこと、二つ目が取材記者として他の当事者を取材したこと、三つ目は当事者の集まりとしてユニークフェイスの設立を宣言したことだ。この本の刊行がユニークフェイスの活動のスタートとなった。

はじめは当事者の小さな集まりであったが、次第にさまざまなメディアに取り上げられるようになり、ユニークフェイスという言葉が顔に他の人とは違う特徴を持つ当事者を指し示す言葉として使われるようになってきた。

今はユニークフェイスという言葉が定着したが、それ以前はひどい言葉を浴びせられていた。

石井
本を出す前は、「気持ち悪い顔」、「化け物」など言われて非常に不愉快でした。だから、他に何か我々を指し示す言葉が欲しいなと思っていたところ、たまたまユニークフェイスという言葉を自分たちが名付けることになったのだと今、振り返って思います

英語だと「Facial disfigurement」や、「Disfigured person」、「Facial different」といった言葉がユニークフェイスと同じような意味を持っているが、日本語でも表現の統一が必要なのではないかと石井さんは考えている。

ユニークフェイス当事者たちはいろんな場所で差別され、ジロジロ見られたり侮辱されたりしている。そして、この苦しみを理解してくれる人が少ない。

石井
「五体満足なんだから」とか「身体障害者と比べたらあなたの悩みは小さい」など、もう何度言われたかわかりません。僕以外の当事者も言われています。固有の悩みを理解するような社会にはまだなっていないのかなと思っています。

今、ユニークフェイス問題は残念ながら社会問題としてはまだまだ手つかずの状態だという。今後はユニークフェイスに関して様々な場所での教育が必要であり、当事者の支援体制も必要だと石井さんは述べる。そして、「ユニークフェイス研究所」という名前で情報発信や研究者としての執筆活動、アートなどの表現に取り組んでいきたいと語った。

石井
今回は吃音の方とのセッションということで、一つ、問題提起をしたいと思います。
ユニークフェイスはコミュニケーションを取る上で、視覚面でうまくいかなくなる場合があります。そして吃音は言葉によるコミュニケーションでのさまざまな問題があるというふうに理解しています。ビジュアルに特徴があることでコミュニケーションがうまくいかないことと同じように、どもることでうまくいかないコミュニケーション。共通点を探りながら実りのある議論をしていきたいと思っています。

これで石井さんの講義は終了した。顔は第一印象で目がいく場所の一つだ。石井さんがこれまで受けてきた差別や、治るかわからないつらい治療歴を思うと胸が痛む。しかし、石井さんは自分の顔の特徴を受け入れて、ユニークフェイスという言葉で肯定した。それに賛同した仲間たちが活動を盛り上げているが、まだ差別が完全になくなったとは言い切れない。筆者自身、顔に大きな痣がある人を見かけると、ジロジロとまではいかないが、チラ見程度はしてしまうからだ。差別はいけない。そうわかっているが、無意識のうちに差別してしまっている自分がいる。

石井さんのように自身の顔の痣を受け入れてそれを社会問題として取り上げ、つらかったであろう過去を活動に昇華できているのは、他の当事者も勇気づけられそうだ。


一見どもらない人になったが、吃音と向き合いきちんとどもる人に戻った

続いて、藤岡千恵さんの講義が始まった。藤岡さんが話しはじめたとき、筆者が以前取材したことのある、吃音の当事者の漫画家の方のことを思い出した。その方は「自分以上にどもっている人に会ったことがない」と言っていたが、藤岡さんも同じレベルの吃音の当事者だと感じた。吃音の当事者は、実は意外に身近にいるのだ。そして「自分だけうまく話せない」と孤独を抱えている当事者も多いのかもしれない。

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藤岡さんはこの日、はるばる大阪から上京してきた。関西弁のイントネーションが親しみやすさを感じる。

単に「どもり」と言っても人によって認識が違うと藤岡さんは説明する。最初に発する言葉を「わわわわわ、私は」というように繰り返す「連発」型の吃音が、一般的にはよくイメージされるが、なかなか言葉が出てこない「難発」や、言葉を引き伸ばしてしまう「引き伸ばし」といったタイプも吃音に含まれる。

藤岡
私は3歳の頃からどもり始めました。私の父も吃音なんです。私が「お、お、お、お、お父さん」と言うと「ちょっと待って。慌てるからどもるんやで。もう一回ゆっくり落ち着いて言うてみ」と言われ、この話し方はあかんねんな、と思ってどもらないよう「お父さん」と言ったら「そうやで」と言ってもらえたので、私の話し方がおかしいのだと思っていました。

物心がついたばかりの子どもの心は特に繊細だ。藤岡さんの場合、父から話し方を否定され、完璧に話さないと愛してもらえないという植え付けがあったと語る。

やがて小学校に上がるとクラスメイトは普通の話し方なのに自分だけどもっていることを自覚する。特に国語の朗読の時間はどもってうまく読めず、みんなから笑われたり、休み時間にからかわれたりした。

藤岡
父から「慌てないで」と言われたように、色々とどもらない工夫をしていました。

例えば、はじめの音が出にくいので勢いをつけて話すようにした。これは実践している当事者が多いという。他にも「言い換え」の工夫をした。例えば「卵」という単語が出てこなければ、とっさに「エッグ」と言い換える。その工夫が身に付き、小学校高学年の頃には一見治ったように流暢にしゃべっていた。母親からも「吃音が治って良かったね」と言われた。

しかしこれは根本的な”治療”ではない。吃音の歴史は古く、紀元前300年代のギリシャの政治家デモステネスも吃音だったという記録もある。吃音の歴史は古いが、原因や治療法は確立していない。藤岡さんの場合も、吃音が治ったわけではなく、どもりそうな言葉を避けて話すことによって「一見どもらない人になった」ということである。体に勢いをつけて喋ったり言い換えをしたりするのは、当事者のサバイバルスキルでもある。学生時代はそれでも何とか乗り切ることができたが、社会人になった時に、話すことが多い職場だったためそのスキルだけでは苦しくなった。

藤岡
さすがに自分では抱えきれなくなったので、大阪にある大阪吃音教室という、どもる人の当事者グループに参加しました。そこは吃音を治すための場所ではなく、治すことにエネルギーを使うより、どもるままの自分で豊かに生きていこうというコンセプトの場所でした。

当事者グループを訪ねた藤岡さんだが、はじめはわずか3ヶ月で通うのを辞めてしまったという。当時の藤岡さんは、吃音を受け入れるよりも治したかったのだ。

その後は精神科へ行き、薬で気持ちを和らげるといいのではないかと安定剤の服用を始めた。しかし、薬を飲み続けることにも不安を覚えてしまう。その不安を探っていくと、家族や親しい友人の前でも吃音を隠していることが原因で、バレないかビクビクして自分自身に負担をかけていることに気づいた。ここで藤岡さんは「吃音と向き合いたい」という気持ちになり、7年のブランクを経て再び大阪吃音教室に足を運んだ。

藤岡
7年ぶりに行ったら、以前とは全く違う世界に感じました。ここでは年間40回講座をやっていて、私も含めて運営スタッフが自分で勉強して講座を担当しています。論理療法とかアドラー心理学とか、森田療法とかいろんなことをしていて本当にすごくおもしろいです。7年前と違い、すごくワクワクする世界に変わっていました。その中で私の吃音への思いも変化して、今の喋り方のような、隠さない状態になりました。

藤岡さんは吃音の当事者としてNHKの番組に出演したこともある。その頃は30歳過ぎで、既に吃音を受け入れている状態だった。しかし、どもってしゃべっていると思っていたのに後日放送を見ると、あまりどもっていなかった。視聴者からも「どもる人が出ると聞いたから期待して観たのに全然どもってない」という感想が来た。

藤岡
テレビ出演でいつもと環境が違ったせいか、自然と言い換えをしてどもらない人になっていたんです。ああ、しまった……と思いました。そのことを当事者の仲間に話したら「僕たちが吃音を隠してしまうと、世間の吃音で悩んでいる人たちは、ますますどもれなくなる。だから、せめて僕たちはちゃんとどもろうよ」といわれて、「ああ、ほんまやな。私はちゃんとどもろう」と思いました。

もう一つ、大きな転機がある。大阪吃音教室に戻ってくるまでは、藤岡さんは身近な人に吃音を頑なに隠していた。それを話そうと思ったのだ。昨日まで流暢に話していた人が突然どもると不自然だと思い、一人ずつ呼び出して吃音で悩んでいることを告白した。相手の反応は特に驚いた様子ではなかった。それを見て「大した問題じゃなかったのだ」という気持ちを抱けるようになった。

藤岡
吃音当事者のグループを作った日本吃音臨床研究会代表の伊藤伸二さんが、論理療法やアサーションなど、子どもたちがどもりと共に生きていくために役立ちそうな考え方を集めて、講座形式で自分たちが学べるような今のスタイルを確立してくれました。

私は大阪吃音教室で14年ほど活動するなかで、吃音に対する考え方も変化してきましたが、どもる人のなかには「どもりは劣ったもの」という思い込みや「治すべき」という完璧主義の傾向を持ち、生きづらさを感じている人もいると思います。私も、人生の悩み全てが解決したわけではないですが、どもりでよかったと思える仲間に出会えたことが自分を救ったなと思っています。

大阪吃音教室では年に1回、新潟のお坊さんが来てくれる。そのお坊さんは「吃音はさずかり」「守り本尊だよ」と言ってくれるという。

藤岡
昔は吃音に苦しめられていると思っていたけど、今は吃音と私は対等。むしろ吃音に支えられているというか、導かれている気がします。「吃音さん、ありがとう」という気持ちです。

藤岡さんも石井さんと同じく、人と違うことを受容してから生きやすくなっている。自分を苦しめていたものが救いに繋がったのだと感じられた。

「障害者」の概念ができたのは産業革命以降

最後に伊藤亜紗さんの講義へ。前者2名とは違い、伊藤さんは冒頭、「8割研究者」の立場としての話をすると前置きした。では残り「2割」はというと、実は伊藤さんも吃音の当事者なのだ。

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伊藤
先ほど藤岡さんがおっしゃっていた、言い換えや勢いで話すという工夫を私もしていたので、「分かる!」と思いながら聴いていました。

伊藤さんは障害に関して研究をしている。「障害」という概念ができたのは産業革命と同時だと語る。

伊藤
産業革命のとき、社会の労働の質や形が変わっていったんです。それまではみんな、自分が住んでいる場所の周りに仕事があって、知っている人と仕事をしていたのが、産業革命が起こると、工場へ労働者として出ていったわけです。そうするとその中で人間の標準化が起こる。現在で言う時給の考え方で、1時間労働したらだいたいこのくらいの仕事をこなせるよね、という単位が出てくる。それができる人が「健常者」で、できない人は「障害者」というふうにして、障害者が概念として生まれました。

つまり、産業革命が起こる前は、障害を持っている人はその人にできる仕事を与えられていたんです。そういう意味では最初からネガティブな、「標準からの欠如」として障害という概念が誕生しました。

筆者は発達障害の当事者や、発達障害の人を雇用する側の企業を取材したことがあるが、最もよく言われるのが「適材適所に配置するとうまくいく」ということだ。これは産業革命以前の目が見えない人はカカシの役をする、という点と同じだ。

伊藤さんは続ける。これまで障害は、「どう治すか」という発想とセットで語られることが多かった。障害はその個人の身体に内在するものだという考え方が、「医学モデル」や「個人モデル」と呼ばれるものだ。それが1970年代あたりから「社会モデル」という別のアプローチが出てくる。これは、障害はその人の身体に存在するのではなく、その人と社会の間の摩擦が障害なのではないかという考えだ。つまり、身体が変わるのではなく、社会の方が変わればその摩擦がなくなるはずであると。その考えが元になって障害者当事者によるさまざまな社会運動に繋がっていく。

一方で、社会モデルは重要であるがそれだけでは足りないと伊藤さんは指摘する。

伊藤
先ほど藤岡さんのお話にも出てきましたが、吃音の世界では結構早い段階で社会モデルの導入が進んでいます。障害だから治さなきゃとみんな思っていたし、治すための施設もありましたが、伊藤伸二さんは実際その施設に通ったのに治らなくて、そこから吃音と共に生きていく発想に変わっていくわけです。

伊藤さんは「吃音者宣言」という有名な宣言をされています。その宣言の中で「私たちはまず自らが吃音者であること、またどもりを持ったままの生き方を確立することを社会にも自分にも宣言することを決意した」とおっしゃっています。

社会が障害者側に寄り添う社会モデルも重要であるが、そのモデルに立つと、どうしても自分の身体と社会が対立するものだと捉えてしまいがちだという。「社会に対して、こう変えてほしい」と訴えるのは障害者運動として大切な過程だったが、それがパワフルすぎて、もっと大事な、一人ひとりの繊細な部分や多様な部分を消してしまう結果になっていく恐れがあると伊藤さんは危惧している。

伊藤
身体と社会は対立するものではなく、お互いにフィードバックし合うものと考えています。社会の出方によって身体の状態は変わるし、特に吃音のような変化が大きい障害の場合は社会が変わればどもり方が変わりますし、身体が変われば社会の側も変わってくるところがあります。身体と社会という、簡単な二項対立で捉えきれず、身体の中にも社会が組み込まれているような感じがします。

伊藤伸二さんの「吃音者宣言」も、「吃音と共に生きていく」ということを社会にも「自分にも」宣言すると言っています。これが大事だと思っていて、単に社会に対して吃音を肯定しろというわけではなく、自分の身体に対しても言っている。実は社会と身体はそんなに簡単な対立構造にないということを伊藤伸二さんは実感として持っていて、それが「吃音と共に生きていく」ことに繋がっているのではないかと私は思っています。

また、伊藤さんは視覚障害者と社会モデルに関する例も上げた。講義で紹介されたとある視覚障害のある方は、途中から失明した中途障害のケースで、白杖を使うことが社会にアピールしているように思えて抵抗があり、茶色い杖を使っていたという。しかし、スイスに行った際、ふいに白杖を使ってみる気になり、使用してみるとみんなが声をかけてくれて親切にしてくれた。そこから視覚障害者であること、白杖を使うことに対して何か吹っ切れたような感覚を持ったとのこと。これは白杖を使用したシーンが海外であることが大きい。いつもと違う場所に行ったから新しい自分を試せたのだと、伊藤さんは解説する。

そして、伊藤さん自身も海外で同じような経験をしたという。

伊藤
半年くらい英語圏に行っていたのですが、英語で話すと今まで自分が身につけてきたどもりの言い換えが使えなくなるんです。私のようにどもらずに工夫して話している人は「隠れ吃音」と言われます。でも、英語圏にいるときは吃音が隠せなくて苦労しました。とにかくSとTが出てこなくて、アイスクリームを買うとき「ストロベリー」がでなくて30秒くらい「つつつ」って時間がかかるんです。それで私、今まで隠してきたけどこんなにどもれるのかと新しい能力を発見したような驚きがありました。

アメリカやイギリスなど英語圏の国には、移民や旅行者など、英語がネイティブでない人も多いため、現地の人は、上手でない英語をしゃべることや上手でない英語を聴いて理解することにも慣れているそうだ。その意味では英語圏でどもることには楽な部分があった。日本国内ではほとんどの人が日本語がうまいので、余計に吃音が目立っていたことにも気づいたという。

伊藤
藤岡さんはご自分で工夫してどもれない身体からどもれる身体に変身したわけですが、私の場合、英語圏に行ったことで、たまたまもう一つの別の身体を手に入れたように感じています。

この日のキーワードに「ありのまま」があった。身体と社会を対立構図で捉えると、ありのままの自分を肯定してもらうことがゴールだと思いがちで、実際そういう人もいる。しかし、ものすごく微妙なグラデーションがそこに存在するという。

伊藤
藤岡さんや私は言い換えのスキルを身につけていますが、言葉としては不自然なわけです。だから、言い換えをポジティブに捉えない人もいる。逆に言い換えと共存する人の背後には社会的な目線などの原因があるにしても、それを受けて自分が工夫してきた時間を否定したくないわけです。必ずしも「ありのまま」がゴールでなくなっている。そういう社会と身体を対立的に捉えない視点が、社会の関わり方を考えていく上で一つポイントになっていくのではないかと思っています。

伊藤さんの講義が終了した。障害と社会の微妙なグラデーション。物事ははっきり白黒で分かれるわけではないことが多い。特に障害の程度やそれによって起こる社会との摩擦は具体的に表すことが難しい。筆者は『発達障害グレーゾーン』という本を上梓したが、その中で「発達障害の診断が下りるまでではないが、傾向はある」という当事者を取材しており、そのグラデーションに悩む方が多くいた。これも、肯定して受け入れるか、健常者のふりを続けるか、正解は一つではない。

「なぜ治したいのか・隠したいのか」を考えてほしい

3名の講義が終了し、続いてパネルトークへ。

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石井:お二方のお話を聴き、僕なりの補足を入れたいです。僕自身、差別という言葉を意識的に使ってユニークフェイス問題を対立構造で語ってきた人間なので、伊藤亜紗さんの話の中で「医学モデル」「社会モデル」という議論は聴いていてすごくおもしろかったです。社会問題を発見したときは、何かそこに問題があったから発見されたと認識しています。産業革命では「こんな身体では働けないよね、じゃあ労働マーケットから排除しましょう」と、問題が起こりました。そうすると、当然障害者が社会に問題があると抵抗運動が始まります。問題を発見したときに対立構造が見えてくるのは、歴史の必然なのではないかと思っています。

その面で考えると、社会問題としてのユニークフェイスは、まだ”発見”というフェーズが終わっている気がしないんです。

顔面に大きな特徴がある人は差別されるという現実が日本中に伝わっていないと思うので、そこはしっかりと「こういう差別があるんですよ」と、伝えていきたいです。それを乗り越えて過去に大きなムーブメントを作ってきた先輩たちは「差別があります」というプロセスが過ぎたのだと思いますが、僕にはユニークフェイス問題でいうと差別に対する抗議の期間が過ぎたとは思えないです。

藤岡:私も補足したいです。どもるから言い換えをするということがダメというわけではなく、選択肢の一つという感覚です。言い換えしてもいいし、どもってもいいし、どっちでもいい。どっちでもいいと思えたとき、少し自分の周りの見える景色が変わるのかなと思います。

そして、石井さんのお話を聴いて、特徴のある顔をメイクや治療で目立たなくすることと、どもることを「隠したい」というのは共通のキーワードだと感じました。ビジュアルと言葉という違いはありますが、私も数十年前までは隠したいとか治したいと思っていたので隠すことを否定はしません。今は治療法がないという現実を前にしたとき、それでもなぜ治したいのか、なぜ隠したいのかを考えたとき、自分に必要なものは何か、どういうふうに生きていきたいのかを必然と考えさせられます。

伊藤:石井さんと藤岡さんのご感想で大事な論点が出揃ったような感じがあります。最初はやはり、当事者側と社会とで対立が必要です。そうしないと問題があること自体がクリアになりません。そして対立しているだけだと解決に行き着かないので、もう少し丁寧に見ていく、障害によって、現在どの過程に立っているのかの違いを俯瞰することは興味深いです。

吃音もユニークフェイスもコミュニケーションの問題が出てくると、先ほど石井さんが整理してくださいました。ユニークフェイスの場合はビジュアルのコミュニケーションがあります。私は視覚障害の研究もしているのですが、見えないものもたくさんあるということも解決というか、考え方の一つになるのではないかと思います。

私は最近、多様性という言葉の乱発ぶりに対して個人的に反対キャンペーンをやっているんです(笑)。「みんな違ってみんないい」がすごく冷たい言葉になってきているような気がしています。この人は吃音だから配慮しましょう、この人は視覚障害だから配慮しましょうと、結局障害のある方へのラベリングに繋がっているのではないかと。カテゴライズしてラベリングし、障害者本人にとっては生きづらい世の中になっている気がするんです。

誰かと接するとき、その人には自分には見えていない別の側面があることを前提にコミュニケーションを取ります。それは相手に敬意を払うことだと思うんです。人と接するときに前提をもつことが、ビジュアルのコミュニケーションの問題を相対化する上で何かヒントになるのではないかと思いながら、お二人のお話をうかがいました。

日本は多様性を拒否してきた国

ここで司会の鈴木さんが石井さんに話を振った。

鈴木:見た目・ビジュアルに関する周囲の人からの見られ方と、それに対するご自分の感覚や考え方に関して、石井さんご自身の中でどのような変遷があったかをお聞きしたいです。

石井:ビジュアルの話ですが、これは難しいです。今は50代という年齢になったから顔のことを気にせずこんな生き方があるとしゃべるようになりました。でも、思春期や若い人には通用しない言葉です。そのときにファッションやメイクをするのは逃げではなくサバイバルスキルです。

僕はたまたますっぴんで生きる道を選んでいるけど、メイクアップすることでストレスが軽くなるならその道を歩んでもいいと思います。ただ、日本人は几帳面なので一度化粧するとずっと化粧しないといけない人も出てくるので、それはちょっとやめてくれと思います。個人の行動を変えるだけのコミュニケーションや説得、居心地の良い空間はもっと色んな人が作っていったほうがいいです。

日本は「多様性」を拒否してきた国です。急に多様性と言われても嘘だろと思ってしまいます。今でも難民を受け入れなかったり、男尊女卑の国なので優秀な女性たちはどんどん都市部に逃げていったりしています。そういう中で、きちんと身体に関する議論をしないといけないと思います。ミス・ユニバースになるような美貌を持った女性さえ、外国籍であるときめ細かい差別があるのですから。日本社会とは何なのだろうなという気持ちでもう一度議論をスタートすることが大事です。日本社会の良い面もあるが、建前もきちんと見抜いていきたいです。

僕個人の資源としては、物を書いたり社会問題を説明することは得意です。にこにこ穏やかに仲間とワイワイというのは自分にはあまり向いていないので。安心安全な空間をいろんなところでいろんな人が作っているのは望ましいですね。

鈴木:相談されたとき相手のどんなところに耳を傾けたりどう関わってるかを教えてください。

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藤岡:毎年8月に開催される「吃音親子サマーキャンプ」に参加しています。今年で30回目です。傷ついたり嫌な思いをしている子どもが非常に多い。滋賀に集まって2泊3日でまた日常に戻っていくのですが「仲間に会ってほっとした」という子どもが大勢います。そこは出発点だと思っています。3日間を通して4時間の話し合いで、普段の工夫や悩みなど子どもたちが情報交換をします。子どもたちの考え方の柔軟さは私も学ぶところが大きいです。彼らは、将来は自分の好きな仕事に就くことや人の役に立つ職業を積極的に選択して社会に出ていきます。吃音について真剣に考えてきた子どもたちなので、そのように前向きに生きていけるのだと、うらやましく思います。

鈴木:若い世代とかかわって、どんなアドバイスをしていますか?

石井:「年上の7人の当事者に話を訊いてみたらどうですか?」と言います。7人いれば独身の人もいたり結婚して子どもがいる人もいたりして、バランスが良いです。それでかなり不安が消えるのではないかと。ユニークフェイス問題はある種スーパーマイノリティな問題です。同じ境遇の人と出会うのは大変です。属性が自分と同じ人と出会うことで人生が見えてきて、無駄な不安やストレスが減るのではないでしょうか。

伊藤:やはり先輩や仲間は大事です。以前学生が哲学カフェを主催してくれて、その中に在日朝鮮人の方がいました。そこで子供が欲しいかという話になったのですが、学生たちは「自分を肯定的にとらえることができないので、そんな自分を再生産することにも肯定的になれない」と答えたんです。そんな中、その在日朝鮮人の方だけは「信じられない」と。「マイノリティだからこそ集団戦が常にあるので、生きづらいと思っても、何とかなると思える」と。学生たちがバラバラな状態でぼんやりとした不安をもつなか、在日朝鮮人の方は問題もそれに対する対処も明快でした。ある種団体戦の感覚を持つのは大事なことだと思います。

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鈴木:藤岡さんがNHKに出たあと、「自分がどもっていくことが社会のイメージを変えることに繋がるかもしれない」と考えるようになったとおっしゃっていました。石井さんも、まだユニークフェイス問題が十分に広がっていないと言っていることもあり、発信に力を入れられているなと感じます。

当事者の生存戦略を考えるとき、自分一人だけのことを考えれば隠すも出すも個人の自由。でも、個人の選択もそんなに孤立してできるものではありません。同じ吃音の仲間とかユニークフェイスの仲間を背負って”代表”しているという意識や言葉が適切なのか分かりませんが、発信する上では「当事者集団の一部としての個人」という感覚もあるのではないでしょうか?

石井:半年くらい前に同じ痣のある血管腫の人と会いました。40代のサラリーマンで大企業で管理職、結婚して子どももいてマイホームもある。「すごいじゃないですか、あなたみたいな人が年下の人に伝えればめちゃめちゃ励まされますよ」と言いました。しかし彼は「そんなこと初めて言われた」とのことでした。そこで「あなたが二十歳だったとき、今の40代半ばのあなたみたいな人と出会っていたら人生変わったんじゃないですか?」と言ったら相当ショックを受けていました。年下の目を意識すること自体考えたことがないと。私は彼に「かっこいい男として生きてくださいよ」と言って別れました。

また、石井政之とはじめて会って喋ったという人へ、「これから長い人生あなたは必ず痣のある人と会います」と予言しています。「そのとき、あなたは自分の人生を若い人に語ってください」とも。人に尊敬されるくらいの人生をあなたは送っていると。自分としてはバトンは渡したので、あとはその人次第です。僕の経験から2回も3回も会いに来てくれる人はいません。素敵な生き方をしているのを意識してほしいです。

藤岡:私は最初23歳で吃音教室に出会ったのに「いやいや、私違いますから」と、自分ひとりでなんとかしようとしたけど、結局ギブアップしました。自分ひとりだと限界があります。集団の中にいて思うのが常に応答性に満ち溢れていること。経験してきたこととか思いが変化、反応したり、応答し合ってきたなと思います。

経験をすると当事者の気持ちが見えてくる

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伊藤:石井さんにうかがいたいです。視覚障害者の方を小さい子がジロジロ見ると周囲の大人から「そんなことしたらいけません」と言われがちですが、それは嫌だと当事者の方から聞いたことがあります。石井さんは痣に関してどう思いますか?

石井:基本的に初対面の人からは軽い気持ちで「どうしたのその顔?」と聞かれることが多くて「生まれつきの痣です」と答えるとそれで会話は止まっちゃう。最近高齢の方に「どうしたんだその顔!」と言われて「生まれつきなんです」と言ったら「びっくりした」と。それだけなんですけど、いろんな反応がありますよね。僕はそれで傷つくことはないけど、初対面の人とはそういうことが起きるものなのだという心構えで生きていて、鈍感になっちゃったのかなと。

あと子どもがジロジロ見始める。そういうときは僕も子どもを見てどうするのかなと思って見つめ合いながら、向こうがなんとなくなにか言いたいんだろうけど、お母さんとどっかに行っちゃう。若いときは子どもが怖かったのですが、今は子どもに見られたらじっと様子を見て質問がきたら答えるし、こないならバイバイって感じです。ある種の余裕ができてきたのでしょう。

いずれにしろ目立つ顔なので、何なんだろうあの顔は、どんな仕事してるのかなと想像力が換起される顔だと思います。

伊藤:その想像力の部分がすごく気になっていて。私は美学が専門です。障害に関しても、”感じること”をベースに分析しています。吃音は相当分かりにくい障害みたいで、見えない部分で緊張があったり、逆に身体を開放される感じを味わうことがあるなど、独特です。そこを吃音でない人にどうすれば分からないなりに感じてもらう努力をしています。石井さんのような顔が違うことに対して「感ずる」というアプローチでなにかできることはあるのだろうかと。

想像力が膨らむとおっしゃいましたが、その想像力って石井さんの立場に立っての想像力ではなく、その人の中で勝手に膨らむものですよね。顔に痣があるという感じを私も感じたいと思ったとき、どういったふうに説明ができるのでしょうか。

石井:それは、今日会場にも来ていただいている岩井さんという記者が、痣メイクを施し、赤痣を作ってみることで社会からどんな視線がくるのかを記事にされています。経験をすると、当事者の気持ちが見えてくるのではないかと思います。

どもりに関しても、相手に合わせてどもったことがあります。営業職をしていたことがあるのですが、相手の方が「ああああの、石井さんこの商品なんだけど」というと「あ、そそそそれはですね」というようなことをやりながらなんとなく場を和ませるテクニックは使っていました。逆に、テキパキ喋る人にはテキパキ喋るよう合わせていました。

顔の問題は工夫の余地がまだまだあるということは間違いありません。その工夫について実体験的なことはやっている人は少ないと思います。

例えば、身体に色を入れる文化が世界中にあります。日本の場合は刺青禁止の法律が昔あったので、その文化から遠のいてしまいました。今はスポーツ選手などがファッション感覚や願掛けなどの意味を込めてタトゥーを入れていますが、身体に色を入れて元気いっぱいに暮らしている人を見慣れていないという日本の現実はあると思います。

タトゥーをいれた方に出会うとお互いに「ん? 変な顔してるな」「変な色入れているな」と思いながら妙なコミュニケーションをした経験があります。それで何か起こることなく終わりなのですが、おもしろいですよ。

女性は化粧をするように、刺青を入れる文化も世界中にあるわけです。日本人は身体を語ることに慣れていない文化になってしまった気がします。数は少ないですけど、海外の人から「あんたの顔、かっこいいね」とか「おもしろいね」と言われたことはあります。こういうコミュニケーション、日本人はないですよね。

伊藤:学校教育の中にも身体に向き合う時間はないですからね。自分の身体に向き合うとしてもできる・できないレベルになります。人と違うという言葉を学んで言葉にする機会がないですよね。

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「マイノリティのスーパースター」をまねる必要はない

ここで一旦、パネルトークは終了となり、会場からの質疑応答が始まった。

質問者:私も見た目問題で悩んできました。だから、石井さんの言う「初対面の人からなにか言われるかもしれない心構え」はすごく分かります。その上で、マイノリティ当事者がメディアで発信すると、その人が全てだという捉え方をする人もいて「この人が全てだと思われたくない」という声も出てきます。社会問題を提示するフェーズにはきたと思うのですが、「こういう人だけじゃないよ」と言いたいモヤモヤもあると思います。そのあたりについておうかがいしたいです。

伊藤:よく発信してくれる人との違いで自分を語れるようになると思います。これが一つの形であって「知ってる、でも僕はこうなんだよ」と語れる雰囲気を作っていけたらいいなと思います。

藤岡:少しずれてしまうかもしれませんが、私は吃音ですが難発の人の気持ちの理解はできないと思うんです。同じ経験をしないとわからないことは他にもあると思います。私がどもることで目の前の人がびっくりする反応も、昔だったら耐えられませんでした。でも今思うのは、ごく普通の反応だよなぁということ。そう思うと、またちょっと見方も変わってくるのかもしれません。

石井:全てのマイノリティ運動はおそらくずっと続いていくであろうと思います。例えば、障害者として乙武洋匡さんは有名ですが、あの方が障害者の全てではないよ、と言われ続けるとは思います。

しかし、歴史を作っていくには大勢の人が発言することがとても大事です。それは他のマイノリティ運動や社会運動の全ての教訓だと思います。そんなこと興味がないという人も全てひっくるめて社会ですから。でも興味がある人がいる以上、どんどん行動していただきたいなと思います。

また、人生全てをかけて戦う人、切り開く人は必ずいます。でもほとんどの人はそういうことはしなくていいわけです。自分のできる範囲で行動することが正しいです。伊藤伸二さんも2019年のシンポジウムで資料になっているなんて1965年当時は思っていないですよ。本当にスーパースターなんです。自分ができる範囲でやっていくことが基本です。それで歴史や地域が変わっていくので、自分の人生も変わっていくはずです。スーパースターをまねる必要はありません。

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石井さん、藤岡さん、伊藤さんによるパネルトークが終了した。あらゆるマイノリティの人たちの多くは社会からの目を気にして生き、サバイバルスキルを身につけている人もいる。しかし、全員が全員サバイブする必要はない。筆者は発達障害当事者であるため、マイノリティだと言える。そして筆者は常々、「私は発達障害者代表ではない」と言っている。マイノリティ当事者の中でも考えは人それぞれだからだ。そう考えると、誰もが自分の中にマイノリティの因子を持っているのだとも言えそうだ。

自分自身でまずはマイノリティな身体を受容することが生きやすさへのヒントになるのではないだろうか。そして「ありのまま」や「オンリーワン」でいることはマイノリティもマジョリティでも経験が必要である。だからこそ、自分より歳を重ね、様々な経験を積んだ先輩たちのアドバイスを参考にしていきたい。

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レポート執筆:姫野桂
フリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本史学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)趣味はサウナと読書、飲酒。
https://twitter.com/himeno_kei

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写真撮影: たかはしじゅんいち
1989年より19年間のNY生活より戻り、現在東京を拠点に活動。ポートレイトを中心に、ファッションから職人まで、雑誌、広告、音楽、Webまで分野を問わない。今までトヨタ、YAMAHA, J&J, NHK, reebok, Sony, NISSAINなどの広告撮影。現在Revalue Nippon中田英寿氏の日本の旅に同行撮影中。著名人 - Robert De Niro, Jennifer Lopez, Baby Face, Maxwell, AI, ワダエミ, Verbal, 中村勘三、中村獅童、東方神起、伊勢谷友介など。2009年 newsweek誌が選ぶ世界で尊敬される日本人100人に選ばれる。
https://junichitakahashi.com/

編集: 鈴木悠平

執筆協力: 雨田泰

同講義のダイジェスト動画はこちら (一般公開)

(石井政之さん編)

(藤岡千恵さん編)

(伊藤亜紗さん編)

(パネルトーク編)

配信・録画・動画編集: 有限会社スーパーダイス

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