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〝教える〟という仕事

 私は『先生』と呼ばれる仕事をしている。
先生と呼ばれる職業はいくつかある。教育機関や習い事の教師・講師、医師、弁護士そして政治家。なぜ政治家が先生と呼ばれるのかは私には理解できないし、そう呼んでいるのは政治家の周りにいる人だけなのに。

 【指導は学び】
と言うのが、私がこの仕事を始めて最初に教えてもらった事だった。指導をする事で自らを振り返ったり足りないモノを自覚したり、反省点を活かして次に繋ぐ事ができる。時代の変化や流行なんかも感じ取る事ができるのでアンテナも広範囲に渡り伸ばす事ができ、他の仕事に役立ったりする。

 座学を担当する時に、私が一番意識しているのが、『いかに興味を持ってもらうか』だ。内容はもちろん、私自身に興味を持ってもらえるようそれなりに工夫している。
 まずは話し方。これはめちゃくちゃ大切。いかに『面白い』と思わせるか。
うちの父親は直接対人話法の天才で、子供の時から面白い間の取り方やオチの付け方、ツッコミかたを叩き込まれ、兄と一緒に今日学校であった何でもない出来事をいかに面白く話せるか。。。という恐怖の時間が設けられていた。 もちろん、お互いの話が終わった後は父から講評をもらい、どちらがより面白く話せたか判定される。今考えるとめちゃくちゃ変な時間だ。
 どれだけ相手(父)の興味を引けるか、惹きつけられるか。そのノウハウを叩き込まれた気がする。

 因みに我が家は父・兄を含め全員“先生”と呼ばれる仕事をしている。仕事で父の昔の教え子さんにお会いする機会も少なくないのだが、皆さん口を揃えて
『いやー、君のお父さんの講義は面白くてねぇ。忘れられないよー。』と言ってくださる。誇らしいと同時にちょっと恥ずかしい。何喋ってたんだ。
 いつか父の話も文章にしたい。

 父からの教えを踏まえた上でもう1人参考にしている人がいる。それはご存知、
大泉洋先生だ。(以下:大先生)
 
大先生が水曜どうでしょうで演じる“どうでしょうゼミナールの大泉校長”というキャラクターがあるのだが、話し方、仕草、知識、補足の入れ方、、、全てにおいて完璧すぎて勉強になることばかりだ。そして大先生は語呂合わせの天才でもある。一度聞いたら忘れられないパンチライン。鬼のような語彙力をお持ちで、1つの語呂を聞いただけで、大先生とその内容に興味が止まらなくなる。受験生には是非見て欲しい。

 そう、私は自他ともに認めるどうでしょう藩士であり、子NACSであり、ウマシカなのである。同志求む。(刺さる人には刺さる)

 話し方、言葉選びで耳から興味を持ってもらったらもう一つ刺激しておきたいのが“視覚”だ。
 私には師匠がいるのだが、師匠は初対面時、私にこう言った。『もっと派手な服を着て来い。この仕事は目立ってなんぼだ。その方が覚えてもらえる。』
。。。確かに!みんなとおんなじ格好がつまらない私は、その言葉を鵜呑みにし、遠くから見てもわかる色や柄の服を着るようになった。この職業にしてはメイクも髪色も明るい方だと思う。
 師匠の講義は本当に凄くて、現役時代に師匠に出会っていれば、きっと回り道せずにこの職業を目指していたに違いない。それほどまでに師匠からは大きな影響を受けた。
 残念ながら師匠は突然死という形で私たちの前からいなくなってしまった。前日までいつもの席にいて、いつものように大好きなラーメンの話をしていたのに。。。あの日の衝撃は今でも忘れる事ができず、師匠からもらった言葉を思い出しながら仕事をしている。

 色々話してきたが話術や見た目だけじゃなく、勉強もしている。自分がこんなに勉強する意思がある人間だとは思わなかった。学生時代の私に今の姿を見せてやりたい。お前、案外根性あるぞ。と。

 教える仕事は天職なのかもしれない。面倒臭いことややりたくないこと、苦手な分野があるのは、仕方がないが、差し引きしても、仕事を通して見える世界や人、自分の変化が楽しいのかも知れない。

 私はできた人間ではないし、偉そうなことを言った割には大したことない永遠の下っ端なのだが、誰かの印象に残れる人間になるために、必死ぶっこいて生きている。
 



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