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ヒット作には元ネタがあるが本当に大事なのは元ネタ探しではなくアップデートできているかだ!


面白かった点


2024年春アニメが始まった途端に面白い作品を二つ観たので、雑感というか感じたことを素直に書こうと思う。

一つ目は、ガルパンやSHIROBAKOでお馴染み水島努監督のオリジナルアニメ『終末トレインどこへいく』

二つ目は、前作が放送されてからかなりの時間が経ってからのリメイクということで話題になった『狼と香辛料 MERCHANT MEETS THE WISE WOLF』だ。

両作の共通項として「新しい世界を仲間と共に旅をする」というテーマがある。

『終末トレインどこへいく』は、7Gと呼ばれる通信システムの暴走によってポストアポカリプス化した世界で都心から離れた田舎で暮らす少女達が池袋にいる友達を探すため列車を使って移動するといった終末ものと冒険ものの合体がメインのテーマとして物語が進行していくのだと思うし、同じポストアポカリプス系の話である『メイドインアビス』を本作を見ながら思い出したのだが気になったのは、そのメインテーマではなく一設定である主人公たち以外の大人たちが全員動物に変異してしまっていることだ。

『メイドインアビス』では、「アビス」を目指す探掘家たちをロマンを求める理想の大人像として描くが本作では、大人たちが動物に変わる瞬間を描かずに、変わってから二年の月日が経ったところからこの物語は始まり、老人たちが動物の姿になっても人語を操りながら井戸端会議したりチェスしたりする様で元に戻ることを半分諦めている描写も見られ、更には「保険料も払わずに済む」と言って動物であることを喜んでいるような描写も見られ、
冒険に前向きではない存在もしっかり描かれている。

また理由付けとして、一話の終盤あたりで、阿賀野を飛び出した人々は半分が行方不明になり、半分は諦めて帰ってきたと主人公のモノローグでさらっと語られる。そう、この村には体力がなくて身動きがとれない老人とまだ自立できない学生の少女、外の世界へ飛び出すことを諦めた落伍者という外へ出ていけない人達が留まっているのが阿賀野という町なのだ。

勿論、これは作劇上、少女たちが外へ飛び出すことの対比として描いているという側面もあるのだが、本作は「人間が動物に変わってしまった」という大変化を受けてもなお人間だった時と同様に生活する様を見せることでむしろ動物になることで大人の責任や保険料を払う義務から解放され、空を自由に飛ぶ鳥のようにのんびり生きられる。そして「旅をして世界の真実を追求する必要はない」といったよくある冒険ものへの否定的な意味合いも込められている。

それでも少女たちは外へと向かうのだから、この先の展開上かなりの苦難が待ち受けているはずだがどのような展開になるのか期待である。


狼と香辛料 MERCHANT MEETS THE WISE WOLF』は、存在自体知ってはいたが実際に見たことはなく、前作の続編ではなくリメイクだと聞いて、見てみようと思った。

一話を観終わり、初めに浮かんだ感想として「『葬送のフリーレン』絶対、この作品の影響をうけているな!知らないとは言わせないぞ!」と思った。

あらすじを少し説明すると、本作のヒロインであるホロは狼であり、村でホロは豊穣神として長らく信仰されていたが、領主が変わり人間が自らで麦を育てる術を確立して以降は信仰が薄れホロを祀るための祝祭も村の人間が騒ぐためのものになり、蔑ろにされたホロは行商人のロレンスの馬車に乗り込み、故郷へと帰るため共に旅をする。

といったものなのだが、まんま『葬送のフリーレン』の物語と同じだと思う。限られた者しか使うことができなかった魔法(ホロの持つ麦の収穫量を左右させる能力)が、人によって分析され、体系化されることで人間でも使えるようになった世界(麦を育てる技術が発達し誰でも豊作にすることが出来る)で特別な存在ではなくなったフリーレン(ホロ)が勇者ヒンメル達と共に新しい世界を冒険しながら、魔王を倒す。そして、二度目の旅で魂の眠る地(故郷)を目指す。

勘違いしないで頂きたい。ここで私が言いたいのは「時代がズレてるからって堂々とパクってんじゃねえよ!」ではなく『狼と香辛料』で描かれた物語が『葬送のフリーレン』でどうアップデートされているかということだ。

前提として、アップデートには2種類あると考える。

一つは、『用いた素材をこれまでのものよりも良く見せる』洗練

一つは、『用いた素材をこれまで見たことのないものに変化させる』進化

『狼と香辛料』の物語の起点は、ありふれたものとは言わないが、独創性のあるものではないと思う。しかし、本作はそれを真正面から引き受けることで、魔法や超能力を必要とする90年代ライトノベル的なファンタジーからの脱却を図り中世ファンタジーとしての純度、密度を向上させた上で人間と神でなくなった狼の少女をライトノベルで丁寧に描くというしっかりとした目的があった。


ではその起点を流用した『葬送のフリーレン』には、アップデートする気があったか?


一応はあったのだと思う。初めはナーロッパと揶揄される作品群と共通の世界設定を用い、ファンタジー世界を丁寧に描こうとした。

しかし、それだけでは人気が続かないとみたのか、作者の力量が足りなかったのか、編集者の横暴なのか。相対する存在であるはずのバトルファンタジー的な展開を『断頭台のアウラ』篇あたりから持ち込み、『一級魔法使い選抜試験』篇になると同じ少年漫画誌のジャンプ的なものまで使いだした。


「それは悪手じゃろ蟻んこ」
と言いたい。『葬送のフリーレン』へ。

ファンタジー世界を丁寧に描くために『狼と香辛料』の物語を用いたくせに、やってることは人気取りに毒されて凡百ななろうマンガのそれと同じ。

『洗練』も『進化』もできていない。即ちアップデートできていない。

素材を活かすも殺すも料理人次第だが、ここまでかと思う。

『狼と香辛料』という素材をソーセージだとすると。

『葬送のフリーレン』で求められたのは、ソーセージの味をより良く味わうための新しい調理法かソーセージを使った新しい料理法だ。

しかし、実際やっていることは、ソーセージに子供でも食べやすい甘めの生地を巻き付けて揚げただけのジャンクフード「アメリカンドッグ」であって
学生レベルの舌ならそれで満足するかもしれないが、ソーセージを楽しみたい人からしたらいかにも邪道なソーセージが美味しいのか、生地が美味しいのか将又ケチャップが美味しのか分からない大味な食べ物で、誰でも一度は食べたことのあるありふれた料理だ。

これで、いいのかと思う。

はっきり言って志が高い『狼と香辛料』という作品に失礼だし、モチーフとして使う以上、それよりも良いものを作るという野心がないと使う意味がない。

アニメ監督である山本寛氏が『アニメ・イズ・デッド』にて

「ストーリーやテーマなどをしっかり語り作者の思想が見える作品が多かったアニメーションが”萌え”が代表される可愛ければ、カッコよければなんでもありのアニメに変わってしまった」ような旨の発言をなさっていたが、
『葬送のフリーレン』も”萌え”ではないが感動できればファンタジー純度が高い作品のモチーフを持ち出して好き勝手付け足した結果、ファンタジー純度が低くなっても「感動できれば、売れればいいや」と元ネタを蔑ろにする。まるで、『狼と香辛料』の中でそれまで村の収穫に陰ながら貢献してきた豊穣の神であるホロを蔑ろにしていることに一切気づかず、ホロを祀る祭りで盛り上がっている村民たちのようなマインドで作品を作ってしまって、それが、なまじヒットしてしまっている。元ネタの『狼と香辛料』よりも。

くだらない。

「良い作品を好きな人が同じようなものを作っても、作者なりのアップデートが無ければ、見掛け倒しで中身がスカスカなものしか出来上がらず、それを好きな人は多くても決して良い作品にはならない。」ということだろう。

『狼と香辛料』という作品を初めて観て、『葬送のフリーレン』が駄作である理由の一端を感じることになった。

でも『狼と香辛料』は楽しく視聴していこうと思います。

それでは。




















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