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たまたま読んだ本27 「人体ヒストリア」 その「体」が歴史を変えた 人は体の部位をどのように扱ってきたのか?面白くも悲しい悲喜劇を演じてきた人類。


人体ヒストリア

パスカルの「もしクレオパトラの鼻がもっと低かったら、世界の様相はすっかり変わっていただろう」という有名な言葉から、著者は、歴史の中で体の部位が果たしてきた役割やその存在が社会をどう反映しているかに関心を持った。
「旧石器時代の手」から「宇宙時代の膀胱」まで、時系列で見ていき、昔の人たちは自分の体をどう感じていたのか。自分の体をどう扱っていたのか。彼らは歴史上どんな役割を果たしたのか。などを考察していく。
ユーモアたっぷりに語る歴史上の登場人物の知られざる秘話やトリビア、エピソードに引き込まれる。

ユーモアや皮肉の混じった文章は、現代とはちょっと違った変な価値観が窺えて、時代時代の人間の価値判断の変遷が興味深い。もちろん時代的制約性はあったにせよ、現代から考えると人間の無知のなせる愚かさと賢明さが浮かび上がる。

手:話は、2万8千年前の世界最古の洞窟アート、旧石器時代の女性の手から始まる。フランスのピレネ一山脈にあるガルガスの石灰岩洞窟に、壁に手を押し当てて赤い顔料を吹き付けた無数の手形ステンシルがある。何故この場所に? 疑問が尽きないが、おそらく人類最初の芸術で、最初の宗教芸術だったに違いない。と判断される。本来の目的は分からないが、現代人はそれを芸術とか宗教とかと考えるわけだ。

髭:紀元前1478年ごろ王位についたエジプトの第18王朝のファラオ、ハトシェプストは女性だった。でも、権力の象徴である髭を蓄えていた。エジプト人の男は毎日髭を剃っていたが、儀式のときは付け髭をした。それを利用して政治的戦略で男性のように見せかけていたのだった。約千年後の日本の卑弥呼は女王として君臨し髭が必要でなかったわけだ。

ペ〇ス:紀元前510年から紀元前323年、古代ギリシアの彫像、最高神ゼウスのアルテミシオンのブロンズ像を見ると、あきらかに目立たないものが目立つ。古代ギリシアの英雄や神々の彫像はすべて小ぶりのペ〇スを備えている。小さいペ〇スこそ完全な男性にふさわしいと古代ギリシア人は信じていた。それは節度を表し、大きいのは無分別なセックスの象徴だった。小さいのが人間の理想像だった。では、古代ギリシアの女神像はどうか。小さいどころか、まったくなにもない。性やセックスをほのめかすものは一切ない。とのことだ。以前、彫像の写真を見て不自然に小さいと思ったが、謎が解けた。(〇はニ、ネットなので)

鼻:紀元前69年から紀元前30年、クレオパトラ7世、エジプトの女王は、当時共和制のローマが帝政に移り変わろうとするとき、ローマの独裁官ユリウス・カエサルの外交援助を受けて弟から王位を奪った。カエサルが暗殺されるとカエサルの部下、マルクス・アントニウスと結婚。二人は最終的にカエサルの甥、オクタウィアヌス(アウグストゥス皇帝)に敗北する。クレオパトラはオクタウィアヌスを誘惑したがなびかなかった。鼻の高さが美貌を引き立てていたのかどうか? クレオパトラらしい彫像も多くは鼻が欠けている。と謎は続く。

腸:16世紀の宗教改革の中心人物、マルティン・ルターは、1517年のある日、腸の動きが悪くトイレにいたときに、救済は神の恵みによってのみもたらされるのであって、天国に行けるという贖宥状を(免罪符)買うことによってではない、と突如として悟り、プロテスタント教会を創始する神学的基礎を得た。以降、キリスト教はプロテスタントとカトリックに二分され、宗教戦争が繰り広げられ、カトリック教会の権威が弱まり、資本主義が促進されたという。ルターは、便秘の苦しみを悪魔の仕業と考えていたらしい。まあ、トイレではいろんなことを考えるかも。

歯:アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントンは歯に問題を抱えていた。57歳で初代大統領になった時、自分の歯は1本しか残っていなかった。でも大衆には気づかれなかった。総入れ歯だった。昔は入れ歯は木製だったらしいが、金持ちは人間の歯で入れ歯をつくった。白人のは高いので奴隷の黒人の歯を使った。奴隷制の考え方には反対していたが、結局、11歳の時から56年間、奴隷の所有はやめようとはしなかった。しかしアメリカ独立に寄与した政治家の中でワシントンだけがみずから奴隷を解放した。1799年の遺言状ですべての奴隷を解放するように指示していた。ただ、自分の死後に、と但し書きがあったという。奴隷解放宣言は南北戦争中の1862年、リンカーン大統領が発表し1863年1月に宣言された。奴隷は解放されても差別は未だに続く。

耳:1876年、アメリカでアレクサンダー・グラハム・ベルは、電気音声機(電話)の特許を取得した。当初、聞こえない人のために言葉を視覚化する機械、ベル視話法の電気バージョンをつくろうとしていた。音波とまったく同じ波形の電流を流せばどんな音でも伝えることができるはずだから始まった。聴力も測るための聴力計も発明し、音の大きさの単位を自分の名前からデシベルと付けた。そして太陽光のビームを音に変換するフォトフォンも発明、これが無線通信と光ファイバーへとつながっていった。聾啞者に言葉でコミュニケーションを取らせようと言葉を視覚化する、その熱意が実を結んだ。偉人には大きなビジョンがある。

皮膚:防腐処理を施されたソ連の建国者ウラジーミル・レーニンの遺体が、ガラス製の棺に入れられ恒久的に公開安置されている。2400万人がレーニン廟を訪れ遺体を眺めた。皮膚をカビのない状態にしておくのは容易ではなかった。定期的にレーニンの頭にワセリンやワックスやパラフィンやゼラチンを注人してふっくらさせ、防腐剤で筋肉の張りを保たせ、手と顔にホルムアルデヒド溶を染み込ませていた。保存技術は期待されたほどうまくいかず、レーニンの皮膚と皮下脂肪は、プラスチックとパラフィンとグリセリンとカロチンの混ぜ物を丹念に塗布し、その上から厚化粧を施し、さらにレンプラント方式の照明で見栄えをよくしているのだという。脳や内臓はなく、ほぼレプリカ状態になっても遺体でないとダメなのだ。安らかに眠らせてほしいものだ。

脳:1955年4月18日、アインシュタインが76歳で亡くなった。病理学者のトマス・ハーベイは死因を特定するために解剖した。火葬のために遺体を家族に返すのだが、無断で脳を摘出し、眼科医のためにも眼球も摘出した。遺体は家族の返されて、その日のうちに火葬にされ、本人の遺志により遺灰は海にまかれた。
25年後、脳は保冷庫の段ボール箱にあった。説明によると、脳は 240のサンプルに切り分け、顕微鏡スライドを作成して、著名な神経病理学者たちに送った。残りは自分の研究のために保管していたものの(結局、研究はしなかった)、ほとんどの研究者はあまり興味を示さなかった。なぜなら、脳を摘出した件で倫理面での論争が持ち上がっていたからだ。脳を摘出されたアインシュタインも浮かばれない。

膀胱:1961年、アメリカ初の宇宙飛行士アラン・シェパードが15分間の宇宙へ飛び立とうとしていた。発射時間が遅れ宇宙服を着たまま宇宙カプセルに8時間も座らせていた。膀胱が満杯になってしまい、宇宙服のまま排尿してもいいかと管制センターに尋ね、正式に許可された。綿の下着をつけていたのですぐに吸収され、打ち上げまでに完全に乾いてしまった。だが、生体反応を監視する医療センサーの電極がショートしてしまった。このことから宇宙空間で排泄のような生理現象にどう対処するのかが問題となった。その後、宇宙服には尿をためる蓄尿袋が付けられた。女性宇宙飛行士の登場で宇宙おむつが誕生した。でも大きいほうの排便は無重力の中で自分の手で誘導する必要があった。匂いはこもるし漏れることもあった。最先端の宇宙船でなんともはや!

この他、・乳房・爪・舌・目・脚・背中・心臓・頭・顎・足・腕・胆嚢・脊柱など、人体の各部位をテーマに、興味深い話が掲載されている。人類の知られざる歴史や当時の社会状況が体の各部位にまつわる秘話により明かになってくる。人間はそういう時代を過ごしてきたのだった。ということが良くわかる。

人体ヒストリア その「体」が歴史を変えた

出版社:日経ナショナルジオグラフィック社
発売日:2023/6/19
単行本:256ページ
定 価:2530円

著者プロフィール
キャスリン・ペトラス/ ロス・ペトラス
二ューヨーク・タイムズ紙のベストセラー『You're Saying It Wrong(その言い方、間違ってます)』や『That Doesn't Mean What You Think It Means(それって、あなたが考えてる意味じゃない)』など、言葉をテーマにした数多くのユーモアあふれる本を兄妹の共著で発表してきた。著書の累計販売部数は530万部を超え、邦訳には『問題な英語 この英語の「間違い」わかりますか?』(イーストプレス)がある。引用句を集めたユーモア満載の日めくりカレンダー『The 365 Stupidest Things Ever Said(史上最もまぬけな365のセリフ)』は26年間売れ続け、現在までに490万部を売り上げている。

翻訳
向井和美(むかい・かずみ)
翻訳者。早稲田大学第一文学部卒。訳書に『哲学の女王たち』(晶文社)、『プリズン・ブック・クラブ』『アウシュヴィッツの歯科医』(紀伊國屋書店)など。非常勤で中高一貫校の図書館司書として勤務。30 年以上続く読書会にも参加している。

トップ写真:秋バラ


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