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イデビアン・クルー新作ダンス公演『義務』:コロナ後の社会を思わせる同調と異端

井手茂太さんが率いるダンスカンパニー「イデビアン・クルー」の新作が東京の世田谷パブリックシアターで上演された。約1時間。(福岡の北九州芸術劇場でも公演)

公演前に出されている情報は極端に少ない。ビジュアル、タイトル、出演者などのほかは、下記の短い言葉だけ。

動けない私がいる
できない私はなぜ
探る私はどこ

これで、チケット代は一般前売4500円。イデビアン・クルーのことを何も知らない人は、たぶん買わないだろう(笑)。私もあまり知らないけれど、コンテンポラリーダンス界で名前が有名ということは聞いたことがあり、2019年に『幻想振動』を見て面白かったので、今回も見に行った。

見に行った理由はそれだけではなく、タイトルと上記の言葉から、新型コロナウイルス感染防止のためと呼び掛けられた「自粛」を連想し、そうしたことがテーマなのかなと推測したから。

当日もらったパンフレットには、上記の言葉に別の言葉が加えられ、次のように書かれていた。鑑賞後に読んだのだが。

決められた様にしか/動けない私がいる​
自然と反く事しか/できない私はなぜ
どこまでが自由なのか/探る私はどこ

舞台の幕が上がる。しかし脚が見えるくらいの高さまでしか上がらない。ダンサーたちが現れ歩き回る。幕が完全に上がるが、舞台前面に短冊のような縦長の幕が連なって垂れ下がっており、舞台上のダンサーがよく見えない。観客席の位置によっても、見える範囲が結構違っていそうだ。

ダンサーたちは最初、白いマスクを着けており、後で黒いマスクになり、それからマスクを取る。衣装はみんな黒。ビートの効いた音楽の曲調は所々で変化していく。最初は歩くなどの動作が主だったが、後半ではいわゆる踊りらしい踊りになっていく。

一様に動いたり、一人異なる動きをする人に視線を向けたり、周囲の人々の様子をうかがったりする様子や、マスクを外すときに、最初の一人は驚きを持った視線を周囲から浴びるが、ほかの人もそれに続く、などの展開から、やはりコロナ後の社会を意識しているのだろうと思える。公演のビジュアルでダンサーたちの写真が眉と目の部分だけにトリミングされていたのも、マスクを着けた私たちを象徴しているのだろう。

うろうろしてスマホで自撮りする人、突然具合が悪くなる人、男性が踊って見せるのを律義にまねしようとする女性。次々に入れ替わる、モデル歩きを見せつける男女。助けようとする人と、無視する人。井手さんなどがユーモラスに踊る場面では笑いと歓声と拍手が起こる。緊迫感あふれるシーンと、滑稽なシーン。

何かをほのめかしているように感じられるが、明確なメッセージを発することは慎重に避けている演出だ。消化不良のところで止めておく感じ。それでも、なんかすごいと思わせる迫力がある。もやもや感を残す手腕が絶妙で見事。

作品情報

2021年3月12日(金)~14日(日)世田谷パブリックシアター
2021年4月9日(金)北九州芸術劇場 中劇場

振付・演出:井手茂太
音楽:原摩利彦
出演:斉藤美音子 依田朋子 宮下今日子 福島彩子 後藤海春 酒井幸菜
小山達也 中村達哉 原田悠 井手茂太

照明:齋藤茂男
音響:島猛
衣裳:堂本教子
美術:青木拓也
舞台監督:横尾友広
制作:days 立川真代
制作協力:alfalfa
宣伝美術:秋澤一彰


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