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ライトノベル的な何か:エピソード1

私はどうやら、神に好かれたらしい。


「生まれ変わったら犬になりたいんだよね。」
24歳という、若者と大人の間でどっちつかずの灰色っぽい毎日を送っていた私【ハナ】は、親友という皮に身を包んだ【友達1】に何気なくそう話していた。

「なんで?私はまた女に生まれたいなぁ。いやどうせなら橋本環奈、いや、やっぱり私が一番かも。」
自己肯定感という名のナルシスト感からくる自信溢れる友達1は、コーンフレークがやっと乗るくらいの銀色のスプーンでアイスを口に運びながら、#今日の私 的な投稿のためにカメラを自分に構えていた。

私は彼女が好きだ。一度は、これが本当の友達というもので、世でいう親友というものなのだと思ったこともある。
そのときの喜びというか、満足感ったらなかったことを覚えている。

しかしながら人間とは残酷で、物理的な距離が心の距離を容赦なくつくる。
離れていてもうちらはずっと親友なんていう錆びついた魔法の言葉は、簡単に現実へと投げ返される。

ところで自己紹介が遅れたが、私は愚かな人間だ。いや、愚かな人間だった。
ズッ友なんていうことわざが実在すると思ってしまうような人間で、この小さな世界に永遠なんてものが、愛やら絆やらそんな美しく綺麗な衣を纏ったものならあり得ると思っていた。
勘違いしないでいただきたいのは、そんなのは全て過去の話だということだ。「だった」と「である」は全然違う。
1歳ずつ数を増やしていくにつれ、そんな幻想的で理想的で、一年中輝いて見えるイルミネーションみたいなものはないのだと、身をもって知った。教科書に載せるべき知識だと思ったこともある。

私が彼女のことを【親友】ではなく友達1とあえて描く理由もここにある。かつて、私と彼女の間にあったイルミネーションは、「転職」というベルリンの壁のようなもので壊されてしまった。ここでもっとも悲しいのは、そんなふうに思っているのは私だけだということだ。思い出したようにふとした日常でした小さな約束の数々を追いかけ拾い集めようとしているのは私だけだと気づいたとき、飛信隊の隊長の漢字を恨めしく思った。

よくよく考えれば昔から、何かを信じるのは苦手だった。学校でいじめられて母に味方だと言ってもらったときも、代わりに学校に行って代わりにいじめられてはくれないじゃないかと思ったし、なんでも相談してねというから思い切って相談したらそこらじゅうに広まって、部活中が私の悩みの海でたぷたぷになっていたり。信じて任せてと言われたから喜んでお願いしたら、約束なんていうのはそっちのけで友人とおしゃべりを楽しんでいる姿を見つけてからは、3年間の全てを捧げるような大会を迎えようが終えようが、信頼するどころか、心のうちを話すこともなくなった。

そんな感じで、私の人生におけるソロ活は早めのスタートダッシュを切った。なのにもかかわらず、普段こないようなおしゃれなカフェで、7ヶ月ぶりに会った友達1に「犬になりたい」などという訳のわからない願望を話してしまったのは、9月になってもまだ暑くて溶けそうな日本の夏の渦中にいたからではない。久々に顔を合わせたのに携帯ばかりを見る友達1の視線をこちらに向けたかったからでもない。これに気づいてしまった今では自分が甚だ恥ずかしいが、25歳まで残り6ヶ月を切った女の本音だったのだ。長年押さえ込み、殺してきたものが、自分でも気づかないうちに外界に出て、炭酸のように一瞬で空気に消えていった。


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