「ありのまま」と出会う。
ありのままとはどういうことだろう?
僕たちはどこかでこの人生最大のテーマとも言える「ありのまま」の姿を追い求めているのかもしれない。
「ありのまま」を他の言葉で言い換えると、「自分らしい」とか「正直な姿」とかになるのかもしれないし、辞書には「偽りのない姿」とも書いてある。
つまり、嘘偽りがなく、自分自身の感情をそのまま表現した状態。という感じなのだろうか?
自分の気持ちを抑えたり、嘘をついたり、誤魔化したりすることは大きなストレスとなる。僕自身が小さい時からそうしてきたこともあり、痛いほどよく分かる。
ただ、言葉にすればするほど、僕の中での違和感は大きくなっていく。
なぜなら、「私」という人間をありのままに表現したとしても、それは「私」のごく一部分でしかないからだ。
例えば、私は自然が大好きだ!植物に囲まれて暮らしている時が自分らしくいられ、幸せを感じる!!
しかし、毎日の仕事や家事、育児そういった活動をしている中では、心が疲れてしまうこともあるし、体調が優れないこともある。
だからこそ、「ありのまま」を表現しようとすることは、「ありのまま」の姿のごく一部の姿でしか無くて、今この文章では、どこまでいっても「ありのまま」を表すことはできないんだなと感じながら書いている。
それは、ラベリングに近い考えかもしれない。
〇〇をしている「私」とか、△△の経歴をもった「私」など。
それも「私」のごく一部分でしかない。
では、一体「ありのまま」の姿はどこにあるのか?
結局のところ、今沸き上がってくる感情、感覚を素直に感じて受け止めてあげること、それが良いとか悪いとかのジャッジメントなしに。
そして、行き着くところ、それが「私」だから。なんだなと思う。
目に見えない内側の「私」を見つめてあげることで「ありのまま」の姿が見えてくるのかも。
そして、僕たちは言葉や文章、色や音、作品のような形として表現し、その表現を通して、少しだけありのままの姿を感じようとしているのかもしれない。
だからこそ、そんな無為自然な感覚、感情を受け取り、僕たちが自由に表現が出来たらとても豊かな世界だなと思う。
自然の一部である僕たち人間もいつもに変化している。
自分自身の内側にある「ありのまま」の姿も変化し続ける。
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