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雑記⑭「懺悔」

1.駅前のベンチ

 夕方から酒を呑み始める人の中の割とまともな人であれば自宅最寄駅に着いていそうな時間、の駅前のベンチに一人で座っている女性にとても惹かれる。どうか幸せに溢れた人生を送っていてほしいなと、その都度本気で願うばかりである。
 先日、高校からの友人と夕方から呑みに行ったのですが、その帰りに最寄駅前のベンチに一人で座っている女性を見かけました。しかも、その女性が読書をしていたのです。あーあ、心の底から幸せな人生を送っていてほしい。優しい恋人がいてほしい。湯船にはワクワクしながら浸かっていてほしい。ハードめなボディタオルで体を洗っていてたらなんかうれしい。ちっさいカバンに物をパンパンに入れて持ち歩いていてほしい。飲食店に入る時、深呼吸してから入っていてほしい。

 「さちあれ〜」\(๑>◡<๑)

2.レコード

1.駅前のベンチに書いたその友人が、この夏休み中にレコードを買ったと言っていました。いや、その趣味めっちゃいいじゃん。良すぎるって。朝起きて『となりのトトロ』のサントラをレコードでかけながら朝ごはんを作ってるんだってさ。改めてだけど、めっちゃいい趣味じゃん。
 レコード1つで生活習慣まで様変わりするとは驚きである。俺も何か始めたい。よし、コーヒーだ。

 先日行った小さな珈琲店でいただいた珈琲がとても美味しかった。「砂糖とミルクはお付けいたしますか?」と店員さんに聞かれ、家で飲むインスタントコーヒーのノリで「いります」と答えてしまった。注文時、店にいたのは僕一人。部屋の奥からは、豆を挽く音が静かに漏れ聞こえていた。
 最初から砂糖・ミルクを入れるのはなんか粋ではないなと思い、一口そのまま飲んでみた。家で飲むインスタントコーヒーの苦味がいかに無造作かということが身に染みてわかった。今もスーパーで適当に買ったインスタントコーヒー(※今日はあえて砂糖を入れてない)を飲みながらこの文章を書いているが、「にんげぇ」と思いながら飲んでいる。
 やはり、あの小さな珈琲店の珈琲は明らかに美味かった。少し前、その人の好みなどに合う珈琲を選ぶフローチャートみたいなものが話題になっていた。

ただ、これを使おうにも俺には珈琲のフルーティーさであったり酸味であったりは全くと言っていいほど分からない。マジで「苦いか苦くないか」が関の山である。でも、珈琲に対して「雑味がない」という評価があるが、あの珈琲がまさしく「雑味がない」ということなんだろうなと感じた。
 そんなこんなで先日、珈琲ミルを買ってコーヒーを入れてみた。うまいぞ。これを趣味の一つとしてちゃんと嗜んで、どんどん広げていきたい。今の家だと珈琲豆やら珈琲ミルやら砂糖やら置くスペースはないけど、それでも今はいい。
 関係ないけど、ガチガチのバーにも行ってみたい。又吉さんのトークを聞いて以降、ただひたすらBarという響きに憧れている。近場の飲み屋街の周辺のバーをただひたすらに検索して、楽しんでいる。
 楽しいですよ。

3.語気ひとつ

「ポイントカードはお持ちですか?」
「ない(です)」

という5秒にも満たないやりとりを、バイトがある日は何十回とすることになる。レジ打ちのアルバイトを始めたての頃は『「ない」と「はい」の聞き分けがしにくいわ』なんて文句を垂れていたが、一年を優に超えた今ではそんなことは全く思わない。もう、客がカードを持ってるか持ってないかはなんとなく覚えてきている。でも一応、万が一があるのでお尋ねする。
 5秒もかからないやり取りの中で、お客様の発する「ないです」には本当に1秒もかからない。本当にたったの数文字なのに、なんでそんなにイライラや不機嫌さを滲み出せるのだろうかと不思議に思ってしまうような客がいる。本当に些細な数文字だけど、その都度「なんか不手際あったかな」とドキッとする。
 それに、レジ打ちで対応するお客様以外で、例えばバイト先の社員さんや先輩、友人との会話でも一瞬の語気や表情で色々不安になってしまうことが多い。変なことしたかな?イラつかせてしまったかな?嫌われたかな?とかとかとか。
 じゃあ語気ひとつで無駄な自意識を全開にさせてしまう自分は語気ひとつにまで気を配れているのだろうか。そう考え始めるととても怖くて、人となんて会話できない。

4.いじっぱり

1.駅前のベンチに書いたような”駅前のベンチに一人で佇む女性”を見ると漠然と「いいなぁ」と思うのですが、そういった人の隣に自分がいる未来が微塵も見えませんね。ははは。
 「プライドが高い」と言われたらそれ以上でも以下でもないのですが、「恋人がほしい」始まりで人間関係を構築する人間のことを下に見ている自分がいます。ニュートラルはあくまで「”一人でいる”のが一番好き」でいて、それを超えてくる別の価値観が生まれて初めて「恋人になりたいな」が芽生えてほしいんです。(それが明確である必要はないと思いますけど。)

 少し前に読んだ小説にあった「他人を責めることをやめることで自分自身を許すことになる」(島本理生, 夜はおしまい, 講談社文庫, p170 より)という文が非常に心に残っています。他人を責めることを、やめなくてはならない。何だアイツ、とか平気で思ってしまうのをやめなくてはならない。
 何日か前、バイトが休みの日にバイト先へ買い物に行った。
 袋詰めをする台のちょうど中心に陣取って左右0.5人分ずつスペースを余らしているお客さんを見るといつも「端っこに寄れや」とか思ってしまう。ドリップが垂れるのが気になるのはわかるけど、刺身やら肉やらを”ちんたら”ポリ袋に入れているお客さんを見ると「さっさと入れて帰れや」とか思ってしまう。この日は友人と一緒にスーパーへ行ったのですが、その友人が袋詰めをする台のちょうど中心に吸い込まれていき、10パックくらい買った刺身をちまちまポリ袋に入れ始めました。自分の持っていたカゴにも刺身は入っていたけどポリ袋には入れなかった。正確には「入れられなかった」。それゆえに手持ち無沙汰なのもあって友人のそれがもういてもたってもいられず、ポリ袋に入った刺身をバンバンエコバッグに入れていきました。台の幅をとって商品を広げるお客さんのことも「けっっ」って思ってしまうので、それになりたくありませんでした。
 自分で自分の生き方の幅を狭めている自覚はある。でも「なんだこいつ」とは思ってしまう。
 「他人を責めることをやめることで自分自身を許すことになる」。
 「まあね、しょうがないよね、だって、それなりの理由が恐らくあるんだもんね。うんうん、しょうがないしょうがない、しょうがないよ。」と片っ端から片付けるようにしていた時期もあった。気を緩めない限りは心は穏やかに保てたけど、緩めた瞬間そこまでの感情が全部襲ってくる。寛容な自分に酔いしれ切らないと、あの行為は全くもって意味がなかった。

5.ブックカバーの角

 ブックカバーの角を折ったり潰したりいじるだけの、なんの生産性のない時間も結構大事です。
 ふと我に返って「この10分で3行しか進んでないな」なんて瞬間がね。

6.人間味②

 そういえば、少し前に友人が『最寄りのコンビニの女性バイトさんの髪型が変わっていて可愛かったから『その髪型いいですね」って言った』みたいなことを言っていて、凄すぎるな….と脱帽した記憶があります。

(人間味①はコチラ

7.ゴミ箱の花

 バイト先の袋詰め台の下に、ゴミ箱が設置されている。
 ちょうど父の日、そのゴミ箱の中身を回収しようと引き出したら、一輪の花が捨てられていました。しかも茎が完全に折り返されていました。
 花についていたシールから推察するに、花屋で買ったというよりはどこかで配られていた花だと推察する。「誰が配んだよ」という話ではあるが、一旦その体で話を進める。
 この一輪の花は、いわば善意・親切・厚意の塊である。余計なお世話と言われれば返す言葉は見当たらないのだが、確かに善意・親切・厚意である。でも、この折られた一輪の花を見て自戒しなくてはならないことがあるなと思い出したことがある。

 父方の祖父母の家に行くと、帰る時に祖母がいろいろ持たそうとしてくる。父親は全部「いらない」と一蹴するわけなのだが、僕が一人暮らしを始めたことでその対象が僕に変わった。大量のどん兵衛、ありがたい。なんかわからんけどでかめのソース、ありがたい。カルピスの原液、ありがたい。ばあちゃん特製のテールスープ、ありがたい。大量の味海苔、ありがたい。大量のお茶漬けの素、ありがたい。一人暮らしだからあって困るものもない。それに、食費を浮かせられるからいろいろ欲しい。ただ、賞味期限的な問題でちょっとだけキャパオーバーなことも事実である。人暮らしで使うソースの量なんて高が知れている。テールスープだって、物理的に一人で食べられる量と美味しく食べられる期限というものがある。だから父親は「そんなにいらん」とこれまた一蹴するのである。父親が口にする真っ向から突っぱねる言い方が、祖母の善意を踏み躙っているように思えて僕は昔から苦手だった。
 「貰うだけ貰って、相手の見えないところで、キャパオーバーでゴミ箱へごめんなさいする」僕タイプの人間と、「初めから全部断る」父親タイプの人間。どちらの方が善意・親切・厚意を踏み躙っているのか。

 あの一輪の折られた花も同じである。
 花を笑顔で受け取って、その人の見えないところで捨てる人間。花を受け取らなかったり、渡そうとしてきた人をガン無視したりする人間。どちらの方が善意・親切・厚意を踏み躙っているのか。

 (もらった物を腐らせたりせずに全部食べ切る。もらった花をちゃんと父の日にお父さんに渡す。それが一番いいのは当然として、という話ですよ。)

 ちなみに、バイト先のゴミ箱に入っていて落ち込む物ランキング1位は「恐らくお母さんが握ってくれたであろうおにぎり」です。「はああぁぁ….」ってなります。

 あなたが渡したバレンタインデーのチョコも、コンビニのゴミ箱に捨てられているのかもしれませんね。
 あなたが渡したホワイトデーのチョコも、駅のホームのトイレに流されているかもしれませんね。
 信じるか信じないかはあなた次第です。
 そんなあなたのラッキーアイテムは、せめて物が残らないタイプのプレゼントです。
 今日も元気に過ごせるといいですね。

8.泣きたい

 「泣いて忘れる」みたいなことを一回くらいしてみたいです。でも「泣いたところで何も解決せんだろうが」とも思ってしまいます。
 かくいう私も、どうせ何も解決しないのに悩んだり考えたりnoteを書いたりしてしまっています。そもそも、「悲しい・不甲斐ない」程度では涙なんか出てくれません。どうでもいいですけど、「健気・頑張りを踏み躙られる」系に弱いです。となりのトトロとかね。

 まあ、「もういてもたってもいられないよぉ!泣いちゃうぅうぅう!」みたいなことは僕にはできなそうです。

9.雑談

 最近、バイト先で”不穏な話”を聞かされました。バイト先の社員さんがいない時間にバイトを取りまとめる、いわゆる「バイトリーダー」の役目が僕に回ってくるかもしれないというのです。僕のバイト先は絶賛人手不足に悩まされており、今の大学4年生が辞めるのも秒読みというわけなのです。それを見越して、「今のうちにそれを僕でも埋められるようにしとけば楽だ」という話なのです。バイトリーダーの人が閉店後にやらなくてはならない責任がちょい重めの仕事があるのですが、それが僕に回ってくるのは時間の問題というわけです。いわゆるサービスカウンター・サポートセンター的な場所の業務を担いつつ、アルバイトの人の仕事を割り振って回し、最後の重めの責任も負う。
 その話を聞かされた時、バイトリーダーの作業ができる先輩2人に「大変じゃないですか?」とか聞いてみた。二人とも「慣れたら楽です」と言っていた。ふああぁぁぁぁ。
 自分でいうのもアレだが、僕は「臨機応変な対応」が凄まじく苦手である。だから、動じないことと、人を頼ることと、人間としての柔らかさを身につけたいです。優しそうな雰囲気と、話しかけやすさと、生真面目ではない雰囲気をとにかく纏いたい。人として舐められるくらいがいい。

10.本を読む理由

 夏休みの間に、しこたま小説を読んでみた。本屋に出向き、「夜」がテーマになってそうだったり、帯に「生きる意味」と書かれていたり、暗い内容が想像されるタイトルだったりする本をたくさん買ってみた。そして、たくさん読んでみた。

1.駅前のベンチに書いた飲みの時、「20歳になって変わったことなんかある?」という話になった。話の流れ的には、【高校からの仲なのに大学1,2年の時に1回しか一緒に飯を食いに行ってないのもったいなかったな】→【お酒飲めるようになって、今してるみたいな話ができてるって考えよう】→【20歳になって変わったことなんかある?】だったように記憶している。
 終始「マジでない」「もうじき21歳なのやばすぎ」という会話だったが、友人が「涙もろくなった」と言っていて「それわかるわぁ」とひと盛り上がりした。「本を読んで泣く」とも言っていて、さらにもうひと盛り上がりした。

 友人と話しながら考えてみて、僕の場合、本を読んでいて泣いてしまうのは「自分の中のうまく言語にならない何かが数行のうちに綺麗に整列しているのを読んだ時」だということに落ち着きました。雑記⑬「責任背負えんのか」にいくつか抜粋していますが、刺さって抜けない言葉に出会った時に涙が出てきます。

 それでもどこか満たされない感じがずっとしている。着実に自分のもやもやを言語化してくれてはいるのになんか満たされない。
 「小説面白いな」と最初に思った頃に読んでいた又吉直樹さんの『人間』と朝井リョウさんの『何者』に共通していたのは、ちゃんと自分のことを否定されたこと。「お前が悪い」と斬られたこと。それでいて、悪い気はしなかったこと。

 上に書いたような基準で小説をたくさん買ってたくさん読んで、何を突きつけられたいのかを、呑みから帰ってからしばらく考えてみた。
 まあるい優しさでなでられるよりも、鋭利な言葉の刃物でただただ斬りつけられたい。自分の中で人知れず湧き上がっているプライドみたいな、目を背けたい部分をバックリと斬りつけられたい。読んでいて思わず本を閉じたくなってしまう文章と出会でくわしたい。夜とか生きる意味とか暗い内容とかに惹かれるのは、そういう衝動なのかも知れません。
 全然自分の味方についてくれない小説がすんごく読みたい。エッセイでもいい。
 そういえば、読んで号泣したエッセイが一冊ありました。お笑いコンビ”オードリー”の若林さんの著書『ナナメの夕暮れ』です。このエッセイは「肯定してくれる」というよりかは「否定してこない」という言い回しが僕的にはしっくりきます。そしてそれがとても全身に染み渡りました。
 だから、そういう”小説”にも一冊出会いたい。そのために血眼になって本を買っているのかもしれない。
 圧倒的な後付け感が拭えませんが、『人間』『何様』をきっかけに小説を読み始めたのはそういう深層心理があるような気がします。
 「お前が何もかも悪ぃぞ。こういうところとか、こういうところとか、こういうところとかさ。ほらな、お前なんか良いとこ何もないからな。」と突きつけてくるような、自分の悪いところをそのまんま投影したみたいな主人公に自分を重ね、そいつと一緒に斬られたい。

 小説を読む時は紙に書き出して整理しながら読む派なので、時間もかかるし割と疲れるから家で腰を据えて読みたいです。ここ1ヶ月で小説を読みすぎたので、最近は朝井リョウさんや星野源さんのエッセイを無心で読んでいました。
 今は源さんの『いのちの車窓から』の2週目を読んでます(^ ^)


 心臓のエグいところをえぐって斬りつけてくる小説を探しています。


#308  雑記⑭「懺悔」

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