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雑記⑰「点」

 最近モヤモヤしていてずっと考えていることがいくつもあるのですが、それらが同じ場所に積み上がっていっているような感覚があります。モヤモヤが全部一点で交わってくれたらまとめて解決されて楽なのになぁ、とぼんやり思っています。


 「人を第一印象で判断してはいけない」「人は顔じゃない」「人を見た目で判断してはいけない」などといった考え方がある。色眼鏡で人を見ることはよくないですよ、相手の中身も見ましょう、というこれらの価値観に異議はない。顔や服装のクオリティが低い僕のような人間にとっては願ってもなかった夢のような世界に思える。服装にまで滲む"人となり"なんて高が知れていると僕も思うし、ましてや生まれ持った顔などもってのほかである。

 就職活動が目前に迫る中で、春学期のキャリア教育系の必修科目で「面接なんかでは第一印象が大事なのでしっかり挨拶をしましょう」と言われて、幼稚園生ばりに「(手を体の横につけながら)よろしくおねがいします(言い終わったのち、丁寧なお辞儀)」と挨拶をさせられた。全国の同学年がやらされて身につけた作法に、人としての何が滲むのだろうか。面接時に挨拶が正しくできないと、「そのくらいのこともしようとしてこなかった人」というレッテルを面接官に貼られて足切りを食らうのだろう。「面接 第一印象」なんて単語で検索をすると、「面接は第一印象が勝負」なんて言葉がズラーッと並ぶ。別に「第一印象が良いに越したことはない」というだけの話かもしれないが、第一印象が重視される空間に妙な違和感があって気持ち悪い。

 「やったこともないのに否定するのは良くない」という考え方がある。似たような事例で、アイドルの楽曲やSNSで話題になった楽曲、流行りの楽曲に対して唾を吐く人が、「ちゃんと聴いたことないくせに否定するな」と返信されていたりする。

 僕の父親はテレビでスポーツ観戦をしながら、ミスをした選手に向かって語気の強い文句を垂れる。「じゃあお前がやってみろよ」と僕は思ってしまうが、Twitterでフォローしているテレビ・ラジオ・アイドル好きの人たちにも似たような人がたくさんいる。スポーツ観戦に熱狂的な人はそういう傾向にある人が多い、というだけの話なのだろう。ただ、やったことがなくても否定したり罵詈雑言を吐ける場所がそこに見受けられた。

 Twitterでやたらといいね・RTがついている自己啓発臭のするのアカウントがある。その類のアカウントに

「嫌いな人と無理して付き合っても意味ない。嫌いな人に嫌われても何の問題もない。そんな奴ほっといて気の合う人全力で大切にしよう。」

「他人の悪口を言う暇があったら自分のために時間を使う方がいい」

「無理して人に合わせて作る人間関係は疲れるだけだから、無理して自分を偽らなくていい。」

「美味いもの食え!!!!」

とか言われても何も響かない。嫌なことからは逃げろ、と説かれても何も解決に繋がらない。自分を第一に、と説かれても何も解決に繋がらない。

 大学の研究室の人で飲み会をするとなった時、行くべきなのだろうか。今後就職して上司に飲み会に誘われたら、行くべきなのだろうか。「嫌なら行かなくていい」と言われるのだろうか。「行ったこともないくせに嫌がるな」と言われるのだろうか。僕の感覚は後者に近くて、「1回もしたことないくせに嫌がるのは申し訳ない」と思ってしまうのでいわゆる”予定”がなければ断らないようにしている。すると、2回目の声がかかってしまう。
 数ヶ月前、「バイト同士の親睦会として、この後体動かしに行きましょう」と誘われて、全然行きたくなかったけど行った。バイトが終わった後の霜降り明星と三四郎のラジオを楽しみにしていたけど、それを言っても理解はされないだろうし、「予定がある」と濁しても深夜だから説得力がなく嫌がっているように思われてしまう。(嫌がってはいるけど。)2回目を良い感じの理由で断っても、3回目はどう断れば良いのだろうか。4回目は?5回目は?そのうち、ジャブ程度に嫌でも誘いに乗らなくてはいけないかもしれない。

 「本当はいい人かもしれない」、「本当は気を引く人なのかもしれない」。そうやって頭ごなしの否定をやめて優しさを見せても、結局損をするのはこちら側。一度優しさを見せたら負けてしまう。第一印象で判断してそれが見当違いだったなんて経験は、正直あまりない。偏見というよりあくまで統計で、多少のロスも出さないための自分でできる最低限のリスクヘッジ。嫌なことを嫌と言えない意気地のなさでしかないけど、優しさを見せて精神的に堪える生き方しかできない。


#321  雑記⑰「点」

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