読書メモ

今、読んでいるよ。
「構造人類学のフィールド」  小田亮 世界思想社
「チョンキンマンションのボスは知っている」の中の紹介本。チョンキンマンション読んだら、これ読みたくなると思う。
構造人類学とは何かを知る本。
まえがきより
構造というと、どうしても私たちは、建物の構造や生産工場の組織などのように、それ自体が単独で完結していて、全体の計画に各部分が従属しているような固定した単一の骨格や体系を思い浮かべがちであるが、構造主義の「構造」とは、そのような体系と違って、他との変換関係によって生成される「連なりの場」を表す概念である。
構造人類学の「場としての構造」という視点は、それぞれの固有文化というものを閉じた体系とする見方を変えてしまう。それは、ボロロの神話の一つ一つがボロロ文化を超えた神話の連なりから切り離して論じられないものであるように、ある文化の中の儀礼や親族組織といった事象も他の文化の事象との連なりから切り離して論じることはできないという見方を持ち込む。
本書のねらい
・場としての構造という観点からの構造人類学の案内
・人類文化の多様性を捉えようとする文化人類学という知の営みへの入門
その二つの狙いをつなぐキー・タームは「翻訳」である。
文化人類学の目的は異文化の自文化への翻訳にあると言われるが、本書では、その翻訳を構造の変換として捉えようというのである。
従来の異文化の翻訳には、非西欧の異文化を、自文化を頂上とする進歩ないし、歴史の単線的な階梯の下位に置いたり、自文化の秩序の中に同化させるようなものが多かった。それらは、異文化の差異を消すような普遍主義的な翻訳と言えよう。
構造人類学は、普遍的と称する単一性の秩序に異文化間の差異や多様性を解消しようとも、また、人類文化の普遍性そのものを否定して、文化の差異を各文化の特殊性に閉じ込めようともしない。人類文化の普遍性は単一性の秩序にあるのではなく、人類文化の多様性を生み出すような翻訳可能性にあると捉えるのである。
構造人類学からすれば、人類文化の普遍性はその多様性によって生じ、人類文化の多様性は普遍性によって生じるのである。
各文化が多様であり、互いに異なっていてはじめて、その間の翻訳や交叉や対話が可能になるのであり、普遍性がなければその間の対話も生まれないからである。構造人類学はその構造という概念によって、文化の固有性や多様性を保持したままで人類文化の普遍性に通じるような異文化間の翻訳をしようとする試みなのである。

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