Munakata Shun

人生の見聞録

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  • エストニア日記

    エストニアに行った体験を四章にわたって綴ったものをまとめました。

最近の記事

入学式を迎えられなかった卒業生たちへ

 昔、大学の同窓会支部の懇親会に参加した際に、高齢の同窓生が誇らしく校歌を歌っていた。それに対して、入学式を始めとして、校歌を知る機会がなかった自分達が全く歌えずにだんまりしていたことがある。大学への帰属意識が卒業生とかけ離れ過ぎていたことが見事に可視化され、それはそれは大きな衝撃だった。    ただ、思えばコロナ禍で大学は大学生らしい対面授業や文化祭、入学式をさせてくれなかった。自分が何度も事務方に提案しても、クラスター発生した時の責任問題が~などと言って相手にされなかった

    • 最後の日曜日 愛と感謝

      ドイツ留学中、最後の日曜日を迎えることになった。 閉店法で街中の店が閉まり、家でゆっくりと過ごすドイツの日曜日。 日曜日の朝が来るたびに、教会の鐘の音を聞いてきた。 毎週の同じ日、同じ時間に鳴る音は、初めは新鮮に、途中からは日常の一コマとして、終わりが近づいてきてからは哀愁を漂わせて響いている。 今日のこの日に至るまで、無事に生きぬくことができた。 そして、ドイツ国内、ドイツ外の多くの場所を旅した。その度にいろんな教会、聖堂を見て、キリスト教世界の創り出す芸術に心を打た

      • 億万長者

         小学六年生の時、空手道場の駐車場で親友にウォークマンを貸してもらった。その時に聴いて気に入ったが、曲名を知らず、聞き直せずにいた曲がある。あれから十年余り。学科の自習室でそのメロディーを聞き、急いでアイフォンの音楽検索アプリ、"Shazam"を開いて検索した。その曲は、ブルーノ・マーズの"Biliionaire"だった。    資本主義社会に生き、二か月後には労働者になる自分。"Billionaire"という言葉が特別である。

        • おばあさんを助けて自分が逃げていたことに気付いた

          このくらいの体験談が道徳の教科書にふさわしいのかもしれない。 住まいの近くのスーパーで何気なく仁義的な体験をした。乳製品のコーナーを歩いていたら、おばあさんから話しかけられた。 大学では周りが流暢に英語を話していることもあり、意思疎通には苦労しない。むしろ自分の英語がつたなくて申し訳ないくらい。 基本的に地元の高齢の方々はあまり英語を話せるという印象がない。ドイツに来たばかりの時に英語で話しかけたスーパーの店員さん嫌な顔をされてその印象が強くなった。 それ以来は、道を聞か

        入学式を迎えられなかった卒業生たちへ

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        • エストニア日記
          4本

        記事

          昨年4月に就職活動の一環で書いた作文

          さがしもの  昨晩、私は自室でさがしものをしていた。日記をつけるためのシャープペンシルが見当たらなかったのだ。  高校生の時から日記を書き続けてきた。その時から日付と時刻を黒のボールペンで、本文をシャープペンシルで書くスタイルは変わっていない。時刻が23時59分の時はその日に書くのをサボり、次の日に書いたことを暗示するサインである。大学生になってからの私は夜遅くまで出歩くことが多くなり、その日のうちにつけるのが間に合わなくなることが増えた。そのため、日記の時刻は23時59分

          昨年4月に就職活動の一環で書いた作文

          第三章  

           一泊二日の二日目。夕方のタリン空港。帰りの飛行機を待っている時に目の前にある卓球台を見つけた。たまたま居合わせたフランス人の男らとダブルスを。中学から高校まで卓球部だったこともあって久しぶりにプレイしてもビギナー以上のことはできる。彼らはあまり英語が堪能ではないようで、ナイスプレーが決まった時の感嘆以上に会話の広がりがない。  とりあえず何か知っているフランス語を。「Do you know “クレム デ ラ クレム”?」と聞いてみた。通じなかったので自分が思うフランス語っ

          エストニア日記第二章

          第二章   ドイツ南部ミュンヘンに降り立った。さすが国際空港、ANA(?)のCAさんらがいる。彼女らに話しかけ、久しぶりに日本語の会話をした。搭乗して数時間。上陸体制に入るアナウンスを聞いて地上を見下ろした。見れば一面銀世界。北海道に来た時を思い出した。北欧に来たんだ。  降り立ったタリン空港は日本にある地方空港程の規模で、とても一国家のメイン空港とは信じがたい。そのコンパクトさもまた、良い。窓からBalticと書かれた航空会社のロゴを見て、ここがバルト地域であることを実感

          エストニア日記第二章

          エストニア日記 第一章 出発

           出発前日に空港に間に合う始発列車がないことに気付いた。急いで空港近くの安いホステル(一泊二千円くらい)を予約。経由地の中央駅で移民系の男に罵声を浴びせられ、治安の悪さを実感する。地図を頼りにホステルに向かうが見つからない。指示された道を通るがいつの間にか通り過ぎてしまうのを繰り返した。ホステルのオーナーに電話をかけて場所を教えてもらうと、ただのアパートの入り口のような場所に着いた。そして扉が開かない。たまたまそこに居合わせた旅行中の韓国人と朝鮮統一・高齢化社会の話なんかをし

          エストニア日記 第一章 出発

          エストニア日記 行く前の第0章

           ヨーロッパに生活拠点を置き、近隣の国に旅行に行くとなったらフランスやイギリスといったメジャーな国を想像される。  なんだか自分はいつもそういったことに逆ばった行動をしてしまう。誰も予想だにしなさそうな国に行こう。               エストニア。    その国の存在を知ったのは大学に入った後。ゼミの先生がバルト三国を研究していることと、ロシアによるウクライナ侵攻で注目されたことがきっかけだった。ただ、バルト三国と一括りにしただけでどこがリトアニアでどこがラトビアで何

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          ポツダム訪問

           1945年7月、ポツダムで連合国による戦後処理が話し合われた。 そんな歴史的で責任のある地に実際に足を運んでみた。  当日は舞台となったツェツィーリエンホーフ宮殿が休業日ということもあってか辺りは閑散としていた。ただ、戦後処理という世界規模の話し合いがもたれた場所としてはあまりにも不釣り合いである。最寄りのバス停から徒歩数十分、ベルリンの郊外であるという情報以上に平静な田舎町である。会場のツェツィーリエンホーフ宮殿も、宮殿という名を冠していなければちょっとした大きめの住

          ポツダム訪問

          卓球のブンデスリーガを観た

           初めて見たプロスポーツがまさかのブンデスリーガだった。 自分がたまたま卓球が好きで、たまたま本場のドイツにいたことでこんな機会に恵まれた。  勝利したホームのマティアス選手がサインを求められているのとは対照的に、敗れたアウェイのフィルス選手が試合後ベンチから動けずに打ちひしがれていたのは印象的だった。そんな面も含めて、卓球ってプロスポーツって面白い  どんなに厳しい戦況でも試合を投げ出さずに、次のラリーに向かっていけるのは卓球をライスワークにしているから また、トップレ

          卓球のブンデスリーガを観た

          ドイツで日本人留学生が連邦警察の車に乗せられる話

           昼間にインド出身のフラットメイトから「今日はヒンドゥーの神であるガネーシャが降臨している日だから一緒に祈ろうぜ!」 と言われ、「I know you are a prey boy」とか微妙なボケをかましつつおざなりにしてしまった。 今日はドイツ語の授業で「私は~語を話します」という表現を習った。 外出する時は常にパスポートを携帯しておくよう言われていたが、今日くらいはいいだろうと置いたままで散歩に出かけた。 ⁡  歩きすぎて横腹を痛め、腹を押さえながら歩いていた夕方、不意に

          ドイツで日本人留学生が連邦警察の車に乗せられる話

          不言実行はできません

          これから更新するたびに自分の情報を開示していくことになると思います。そしてですます調かである調かもブレそうです。 私は法学部で政治学を専攻する学部生です。法学部はみんな良くも悪くもお堅く真面目。文系の学部のある大学に行った人ならわかるかもしれませんが、経済学部・商学部辺りはやんちゃなイメージがあると思います。法学部で真面目な人に囲まれてきた自分には珍しく経済学部の友人がいます。彼とは1年時に参加したインターンでの立ち話がきっかけで交友関係を持つようになりました。彼は学部の友

          不言実行はできません

          Live a life you will rememberを始める。

          こんばんは。題名にもある通り、私の座右の銘は"Live a life you will remember."-思い出に残る人生を生きるです。このnoteを見ることで、皆さんには必ず私のnoteを見たという事実ができます。それも思い出です。私の綴る文書が皆さんの人生の思い出の一つになりますように。そのために充実した内容のものを目指します。 以後お見知りおきを。よろしくお願いします。

          Live a life you will rememberを始める。