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ばあちゃんが死んでも明日は仕事に行く、そしてあさっては入院する。

たびたび書いている元夫のエピソード。

元夫の実家に住んでいたおばあちゃん、床屋の家に生まれて床屋さんに嫁いで息子も床屋になったという床屋さん。私が元夫と知り合った時には髪を切るのはやめたみたいでお店の片付けなんかを少しやる程度だった。嫁姑問題がずっと続いている家で、家の空気はいつもキリキリした感じだった。元夫も実家にはあまり帰りたがらなかった。私が一緒にいくなら帰る、って感じ。このスタンスからしてとってもうざい。今の私ならもう無理。

病気で入院していたおばあちゃんを見舞いに行った。病室でうたた寝?しているように見えた。本当にそう見えた。声を掛けたら眠いみたいだった。かけ布団かかってなかったのでかけてあげたらまた眠った。もうこれは帰るしかないと思って帰ってきた。

そしてその日、家について間もなく、おばあちゃんが亡くなったのよと義母から連絡がきた。すごくびっくりした。私たちが帰った後に看護婦さんが見回りしたらもすでに亡くなっていたらしい。今日はもう遅いから明日来てね、と。

しかし、元夫は「ばあちゃんが死んでも熱があっても明日は仕事に行く。どうしてもしないといけない仕事がある。」と言い出した。

彼は仕事に行った。私は仕事を休んで小学3年生の息子と幼稚園年少の娘を連れて義実家へ向かった。田舎のお葬式は近所の人や親戚一同そろっていた。床屋の従業員、もと従業員たくさんいた。みんな知らない人ばかり。みんな私の顔じっとみる。だれだろうこの女のひと?誰だろう子の子供は?そうおもっているみたいだけど、誰も私には話しかけない。居心地が悪い。そばにこの家の次男がいたらその嫁だとわかると思うがいないのだから仕方ない。そもそもおばあちゃんが亡くなって嫁さんだけばあちゃんの弔いに行くなんておかしな話だろう。

その日は「入棺」をするという。(にっかんと読む)。棺桶にご遺体を収める儀式なんだそうです。 お布団に寝かせていたおばあちゃんの遺体の前に集まり、葬儀社の人が「洗面器にお湯を入れて持ってきてください。それときれいなタオルを用意してください。」といった。誰かが持ってきた。何をするのか見ていた。タオルをお湯で湿らせて体を清めてからお棺に入れるそうです。体を清めるのは親族がやるそうです。皆さん号泣しながらおばあちゃんの顔とか腕とか足とかをごしごし拭いていた。私は初めて見る儀式に呆然としていた。頭の中「?」だらけ。(ちなみに平成20年ごろのはなしなのでそんなにむかしのことではない。)そのとき義父が私に声をかけた、「ささ、お前も拭いて。」と言われた。とっさに私は拒否した。できない。生きているときにも触ったことないし、10回ぐらいしか会ったことないし、絶対に無理。「できない。」と強く拒んだ。「そんなこと言わないで親族なんだから。」とみんなが勧める。でもできない。。。

結局その時どうしたかは覚えてない。どうやって拭いたのか、逃げたのか何度考えても思い出せない。

入棺または納棺と言われる儀式は全国的に行われているようです。今は葬儀社の方が専用の器具などでお清めを行うまたは防腐処理を行うことが多いようです。私はたまたま親族自らご遺体の体を拭く風習の家にあたったようです。

その日、自宅に戻ったところ元夫が体調が悪いと言い出した。うそでしょ?って思っていた。夜中に寝ていたら元夫のゼイゼイした息遣いで目が覚めた。熱を測ったら40度あった。もうだめだ。

翌朝は近所の耳鼻科へ行った。喉がものすごく痛いけれどもこれから葬式なので何とかしてほしいと言った。先生はうちでは難しいので、と言って総合病院に紹介状を書いてくれた。その足ですぐに総合病院へと向かった。

総合病院の耳鼻科では若い女性医師が診察してくれた。お下げ髪の昔の女学生みたいな先生だった。これからお葬式があるので何とかしてほしいとお願いした。お下げ女学生風医師は断言した。「咽頭炎です。これは通院で治療できるレベルではありません。入院です。」よどみなく言い切った。

私たちはあっけにとられたがもう言い返すことはできなかった。はい、入院します。そのまま彼は入院した。私は家に戻って入院の支度を持ってきた。その日の通夜にはいけなかった。

翌日からはまた子供たちを連れて実家へ行き、火葬とかなんとかを済ませ、そして夕方病院に着替えを届けにいった。私の実家の親が子供たちの面倒をみてくれたし、彼の方の実家の火葬や葬儀にもきてくれたので心強かった。
5日ほどの入院期間、朝は車で1時間かけて彼実家、また一時間かけて自宅に戻り子供たちを親に預けてまた一時間かけて病院にいき、1時間かけて帰ってくるという生活を送った。

私も疲労困憊だった。義理のおばあちゃんが亡くなっても慶弔休暇1日しかなくて、仕事を変わったばかりで有休もなくてただ欠勤扱い。

夫の親戚の葬儀に小さい子供を連れて何日も通わなくてもよかったんじゃないか?当の孫、本人は不在なのに行く必要あったのかな?孫が入院していたんだからそれの付き添いだからって断ってもよかったんじゃないか?

だれも葬儀に顔出さなくていいよ、って言ってくれなかった。彼が入院した日に顔を出さなかったら、昨日はなんでこなかったの?っていろんな人に聞かれた。なんで夫がいないのかも聞かれた。行かないとダメなんだと悟った。義両親はほかの親族や近所の人の手前私や私の子供たちがいることを見せたかったみたいだった。ほんとうは次男である息子も来てほしかったに違いない。

葬儀はその家の見栄みたいなところもあるような気がする。
弔うこと以外に地域の人や親族に立派になった息子や孫をお披露目したいという名目もあるのかもしれない。

あの時の自分に「そんなに頑張らなくていいんだよ。」と伝えたい。どう考えても頑張りすぎだと思うわ・・・・。

最近は私もう誰かのために時間を使うのは控えて自分のために時間とお金を使いたいって思う。
誰かのために役に立つことは十分やったと思う。
自分を大切にすることをないがしろにしてきてしまったかもしれない。

これからはちゃんと自分が喜ぶことを見つけて楽しく生きていこうと思っている。


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