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ロケット・ササキの異名を持つ「元・SHARP副社長」佐々木正さんの逸話

『異質なものが融合すれば、必ず新たな価値が生まれる』

おはようございます、某★大手家電量販店Tenchoです。今回は家電業界では知らない人がいない元・SHARP副社長 佐々木正さんの凄すぎる逸話について書いていきたいと思います。

多分みなさんが思っているよりもかなりすごい逸話がバンバン飛び出してくるので、楽しく読んでいただけたら嬉しいです。

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それでは早速いってみましょ!


佐々木正さんの経歴

佐々木正さんは1915年5月12日に島根県に生を受け、小学生時代に台湾の学校へ転校し、最終学歴は京都帝国大学工学部電気工学科卒業となっております。

大学卒業後は後に富士通と合併した川西機械製作所に入社。1964年には現在のデンソーテンである神戸工業取締役から現在のSHARP・早川電機工業へ転身。事業部長、専務、副社長を経てSHARPの顧問に就任した。

2018年1月31日には肺炎を患い死去。102歳没。

簡単ではありますが、佐々木正さんの経歴はこの様になってます。大学卒業後からはエンジニアとして色々な開発に携わってきた。第二次世界大戦中にはレーダーの技術を習得する為ドイツに渡った事もあったそうです。

まあここがメインではないので、さらっと次の章にまいりたいと思います。

ロケット・ササキ

佐々木正さんにはロケット・ササキという異名がある。もちろん自分で言っていた訳ではない。当時、SHARP製品への部品供給を行っていた「ノースアメリカン・ロックウェル社」の経営陣が佐々木に寄贈した漫画に書かれたあだ名とされる。

由来は、佐々木さんの先を読む力と行動力に対してノースアメリカン・ロックウェル社が敬意を表してつけたと言われている。流石のロケット関連の会社もロケット・ササキには追い付けないという意味で、めまぐるしく変わるテクノロジーの先端へと常に挑戦する姿を表している。

日本のマンゴーの始祖?!

まずは2種類のマンゴーの写真を見てもらおう。

みなさんのイメージするマンゴーってどっちのマンゴーですか?

実は日本で栽培されているマンゴーは90%が下の写真のマンゴーなんです。なんかマンゴーマンゴーって言っていると変な気分になりますが、それは置いておいて。

この下の写真の品種は「アップルマンゴー(別名アーウィン種)」という品種で、名前の通りリンゴの様な見た目をしたマンゴーなのですが、実はこれの始祖は佐々木正さんだと言われております。

佐々木さんは高校時代にマンゴーとリンゴの木を接ぎ木する等して、マンゴーの品種改良に取り組みました。厳密に言えばこれは「リンゴマンゴー」と言われており、アップルマンゴーとは別種なのですが、アップルマンゴーはこの研究がきっかけで発明されたと言われております。

「異質なものが融合すれば、必ず新たな価値が生まれる」

という佐々木さんの信念はこれがルーツなんですね。

ポケット電卓(計算機)の始祖?!

佐々木正さんはアップルマンゴーだけではなく、今は誰もが何気なく使っている電卓の始祖でもある。

みなさん、SHARPが最初に作った電卓ってどんな物か知ってますか?

重さはなんと25キログラム、価格はなんと53万5,000円もしたんですって。

ちょっとした血統書付きの大型犬かと思いますよねwww

13年後、佐々木さんがそれを重さ65グラム価格8,500円のほぼ今の形の電卓にしたと言われています。実はこの功績は電卓だけの話しにはとどまらず、佐々木が提案しロックウェル社に量産させた小型で軽量な半導体「MOS LSI」アポロ12号の着陸船にも採用され、今もパソコンスマートフォンなどに使われてる技術。

電卓を薄くする為に使用した液晶パネル技術は、現在でも使われている液晶テレビの技術に応用されていたり、乾電池を無くす為に採用された太陽電池技術は、今日の太陽光発電の技術に応用されている。

これだけ聞いても本当にやばい人だなって思いますよねwww

Samsungの恩人?!

今や世界最大の総合家電・電子部品・電子製品メーカーであり、半導体の世界シェアもトップの韓国の企業Samsungも実は佐々木さんに救われた企業のひとつだと言われています。

当時Samsungは商社から電器産業へ進出したばかりで、半導体の開発に行き詰っていたとされています。そんな中で佐々木さんのSHARPとSamsungは4ビットマイコンの製造技術で提携し、半導体の技術をSamsungに提供したそうです。

当時は佐々木さんに対して、韓国に技術を流す事を良しとしない風潮があったそうですが、今にして思えば世界の半導体技術の進歩に大きく寄与したと言えますね。

Softbankの恩人?!

Softbankグループの創設者の孫正義さんをして「佐々木さんはソフトバンクの生みの親みたいな存在ですね。」と言わしめる程の存在なのがこの佐々木正さんなのです。

大学生当時パソコンのソフト開発に夢中になっていた孫正義さんは、音声機能付きの翻訳機を開発したが、それを製品化できる程の力が無かったそうです。どうしても発売を望んだ孫正義さんは、その技術を買ってくれる企業を探して何社も回ったそうですが、当時はその技術の価値が認められず、門前払いを受けていたそうです。

最後に辿り着いた佐々木正さんは孫正義さんの才能を見抜き、その技術を買いSHARPで翻訳機能付き電卓として製品化までしたそうです。

その後も孫正義さんと佐々木正さんの関係は続き、孫さんが地元でベンチャービジネスを立ち上げ上手くいっていなかった時期には、孫さんに対して「東京でやらなきゃ駄目だ」と助言をし、東京での活動資金として個人保証で銀行から1億円を借りて孫さんにあげたそうです。

これが後に大企業となるSoftbankの始まりです。

さすがロケット・ササキ、凄まじい先見の明ですね。

iPhoneの恩人?!

実は佐々木正さんは若き日のスティーブ・ジョブズさんとも関わりがある。自ら立ち上げたAppleを追放されていたジョブズさんは、当時既に名のあるイノベーターだった佐々木さんの元へアドバイスを求め訪れたという。

佐々木さんはジョブズさんに対して高校時代のマンゴーの品種改良から得た自身の信念である「共創の哲学」を熱心に説いた。

「異質なものが融合すれば、必ず新たな価値が生まれる」

これがジョブズさんの中で、電話とコンピューター、インターネットとの掛け合わせによるiPhoneの構想に辿り着いたのは言うまでもないだろう。

また、「音楽」をやりたいというジョブズに対して、当時のSONYの社長であった大賀典雄さんを紹介したのも佐々木さんの功績ではないだろうか?

この出会いがきっかけで十数年後に携帯型音楽プレーヤー「iPod」が生まれたのではないかと思うのは私の妄想ではないはずです。

でも、こうやって見ると面白いですよね。こういう出会いで生まれたAppleの「iPod」とSONYの「walkman」が熾烈を極めるシェアの奪い合いをしてたんですから。

私は両方使った事がありますが、両者とも良い商品でした。

あとがき

どうでしたか?佐々木正さん、本当にすごい人物ですよね。幼少期のあだ名は「ホラ吹き佐々木」と言われていたそうです。この頃からとんでもない事をどんどん口にしていたからこそ、その後の佐々木正さんのイノベーションに繋がっていったんですね。

残念ながら「120歳まで生きる」という理論はホラで終わってしまいましたが、佐々木さんが生み出してきた功績は想像を絶する程、今の世の中に影響を与えていますね。興味が出た方の為に書籍も紹介しておきます!

それでは最後に宣伝をさせていただきます。

こちらの記事でも書かせていただいておりますが、Tenchoの有料記事が全て読み放題になるメンバーシップを500円からご用意しておりますので、興味がある方は是非こちらの記事を見て頂ければ嬉しいなーと思います。

それではみなさま、良い家電ライフを♪

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