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【連載】かくれ念仏/No.8~甑島の「花見」~

甑島の「花見」

甑島の手打には禁制の昔から伝わる花見という行事があったという。

4月20日前後、慶良間ケラマつつじの花盛りの頃、一同寄り集まって酒肴と語らいをも楽しむ一日の行楽である。

この行事のメインは『中祖伝勧録』なる、蓮如の御一代記を30座に分けた書き物を、上手な読み手に読ませて、一同熱心に聴聞することであり、この由来は御出張おでばいを装った法座であったと思われる。

郷土史家の松田利文氏の著書『ふるさと案内人が奏でる魅惑の下甑島』40頁の小題、「《補足》大照寺」にこの花見についての記述があり、それによると、花見は山奥の岩穴いわなと呼ばれる場所で行われていたという。

本には「この日は無礼講の日でもありました。信仰に関心の薄い若者たちは酒を飲みどんちゃん騒ぎをしました。それは役人を油断させるためのカモフラージュでもありました。信仰を守り深めるためのガードを固め、そして大胆にも岩穴で極楽浄土を体現しました。」と記されている。

大谷派の鹿児島開教百年法要に際し、当時の法主夫妻が甑島を訪問された時、鹿児島大学名誉教授の桃園恵心先生が、智子さとこ御裏方にこの花見の話をしたという。御裏方のお母様、邦彦王妃俔子くによしおうひちかこ妃は島津忠義公爵令嬢である。

桃園先生が「裏方のお母様は島津家の御出でしたね」と申し上げたところ「先祖が御迷惑をおかけして申訳ございません」といかにも感情深げに仰ったという。

※ 大照寺は「たいしょうじ」と読む

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