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【エッセイ】 或る行方不明者捜索と予期不安


ご高齢の方が行方不明になって、町内放送みたいなので呼びかけて皆で捜索することが年に何度かある。

幸いにもこれまでは見つからなかったことは無いのだが、ふとたまに、高齢化と介護や医療の問題を抱えるこの田舎(R(れいわ)2の市の高齢化率43.1%)で、これからこんなことが頻繁に発生して、もし見つからないことがあれば、さて私は地元の宗教者としてどのように考え、どのように遺族と向き合うだろう。

そんなことが起こらないように対策すべきだとか、こんなことを考えること自体が不謹慎だ杞憂(きゆう)だなんて反駁(はんばく)も尤(もっと)もだと思うが、はっきり言って柊原はかなり社会的に「限界」だ。

一住民だから自治体としての行き止まりの壁がすぐそこに見えてる。そんな中で、現在での、50年・100年後の寺の使命や役目というものを考えずにはおれなかったりもする。

閑話休題。以前、行方不明の地元の方を夜に一生懸命探した。柊原の端から端へ。寺の境内も空き家のまわりも、海岸もテトラの穴の中も。山の中も防空壕の中も。
※これからは捜索のやり方を気をつける。あまりあちこち入って行くと、かえって次の日の警察犬の捜索の妨げになるらしい

「なんとか見つかってほしい」と今にも泣き出しそうな顔をしながら、今にも押しつぶされそうな心をなんとか奮わせて、放送から3時間。山の中でガサガサ音がする。イノシシだと思う。けれどもし人間だったら…。可能性がないとは言い切れない。

着の身着のまま飛び出したから、軍手と長靴はしていても、羽織っているのは昨日買ったばかりの緑のアウター。とても可愛いお気に入りのアウター。それに大量のセンダングサをくっつけながら、草を分け、上り下り、声を発しながら近づいていく。

結局、気配の正体はやっぱりイノシシで、韋駄天走りで逃げていった。淡い期待は粉砕され、また不安と焦燥(しょうそう)の奈落に落ちる。

こんなに寒いんだ。早く見つけないと命が危険だ。

けれどいくらこっちが齷齪(あくせく)したって、現実というものは厳粛として現実で、どれだけ嘆いたってどうすることもできない。

その後しばらく探して見つからず、家に帰って、布団にくるまった。そして布団にくるまることで、罪悪感にくるまった。自分ばかりが衣食住の優位に立つ罪悪感。私は不道徳な人間なので普段意識はしないが、戦争や災害に苦しんでいる人たちにも申し訳ない気持ちが湧き上がる。

結局2時間くらいで目が覚めたと思う。

最初に視界に入ったのは自分の指。爪の中まで土が入り込んで、真っ黒になっていたのが我ながらびっくりした。床に脱ぎ捨てたアウターにセンダングサがびっしりくっついていたことにも驚いた。

その日は消防団の活動があったため、急いで着替えを済ませて、身支度をし、集合場所に向かった。案の定というか、団員みんなで捜索をすることになって、いろいろと打ち合わせを始めた頃、警察から連絡があって「無事見つかった」と教えてもらった。

力が抜ける気がした。喜びの一報だが、喜びよりも安堵の気持ち。そして体中の疲労が初めて疲労として実感された気がした。

さて、これまでもいろいろなお通夜やお葬式、法事に携わってきた。自殺された方、10代もならない子ども、特定の難病や重病で亡くなられた方、生後間もない子の小さな小さな棺。

私の父は或る災害の際、体育館に次から次へ運び込まれてくるご遺体を前に、途切れることなくお経を読んだこともあるらしい。

凄惨な事件や事故、それらの事情によって棺の顔の窓が閉じたままの葬送もある。また、いわゆる変死のご遺体もある。

私はニュースで、あまりに惨たらしい事件や悲しい事故が報道されれば、「これを担当されるお坊様はどんなお通夜、葬儀をされるのだろう」と必ずそんなことを思う。

私はこれから先、お衣を着、曲録(きょくろく)に座る、しかしその場にいることが耐えられないようなお通夜やお葬式を経験すると思う。

単に友達や恩師の別れに際しても、その場にとても留まっては居られないような衝動や慟哭(どうこく)が待っているのかもしれない。

それこそ、行方不明のまま発見しきれず、形としてお通夜やお葬式を執行する場合もあるだろう。

その時の様子はその時にならなければわからないが、今は心の内に巣食う恐れや気がかりを、こうやって文章にすることで、整理して、とっ捕まえて、とっ組み合って、そうやって自分を知ることがあるのだと思う。

こんな私も僧分です。覚悟、勤め、今ある出会い、今ある命、別れ、出会い直し。

結の文は無い。ただこういったものを、引き続き恐れ、抱え、大事にしていくばかりだ。

以上(2023年2月13日)

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