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30歳、ニヒリズムを乗り越える方法を考えていた①

ニヒリズムとは一般的に、この世界で生きる意味を欲しているにもかかわらず、世界がそれに応えてくれない、という事態を指す。自己の側における意味への欲望と、世界の側における意味の不在という事態が、同時に起っている状況である。

竹内綱史「ニヒリズムと系譜学」

SNSを遮断して、2ヶ月になる。
うまく言葉にできるかわからないが、人と話せるようになる前に自分の思いを言語化しておこうと思う。
そうでもしないと、世間の物差しや厳しい目が雪崩のように襲いかかってきて、自分が消えてしまいそうだから。

自分は長らく、ニヒリズム(虚無主義)に陥っている。

自由である喜びが、持たざるものを探す苦しみに変わるとは誰が思ったろう。
会社も辞め、合わない仕事も断り、嫌なことを全て排除した先にあったのは、なぜか「無いものを手にしたいという苦しみ」だった。
言い換えると「夢は少しずつ実現して幸せなはずなのに、さらに他のことを求めて執着するという苦しみ、そしてその自己矛盾がなぜ起こっているのかわからない」と言う悩みだ。

そういった自分の性質に以下の状況が重なり、やる気が低下し、世の中の流れに絶望し、正直生きることの意味がわからなくなった。(自分が悪いのもあるけど)

  • 身内の死

  • 頓挫した数々の仕事(ぜひやりましょう!と言ったきり音沙汰ない、相手が自分の名声を使って仕事を依頼してきて、当然のように支払いがなく納品した作品も公開されてない等。)

  • Canvaの登場による働き方の変化(これによるデザイン単価の低下、デザイナー参入壁の低下、その市場に自分がいるという虚無感)

  • AI作品の登場と著作権の不明瞭さ(例えば好きなアーティストが勝手に他の歌手のAIカバーを出されて何百万回と再生されている。本人に支払われず、プラットフォームやその構造を利用したものにお金が支払われるという由々しき事態。)

  • SNSのアルゴリズムの進化(フォローもしてない投稿が出たり、instagramでは検索画面で最新投稿が見れなくなった。どんどん操作が進み、目にしたくない情報に触れてしまうが、このプラットフォームを使わないと一般的な社会生活がほぼ成り立たないという苦痛。)

  • 名声は、トップの座争い。椅子取りゲーム。なのに待遇が良くない。つまり需要と供給がマッチしてない。(例えばイラストレーションの世界だと、有名なコンペティションに入選するまで何回も応募し、晴れて入選すると会費を払って、その機関からさらに仕事を紹介してもらうのを待つというのがある。バレエの世界でも、激しい戦いの末バレエ団に入団しても、そこから上に上がっていく戦いのほかプロでも逆にお金を払う側ということがあるらしい。いずれも、需要に対して供給が大きすぎるというのと、日本でのアートの位置付けの問題もあると思う。その競争の中でどれだけ夢破れる人がいるのか、と想像をすると、「好きなことで生きていけるさ!✌️」と一筋縄で考えられなくなる。)

  • 結局はコネと生まれは影響する(一般公募の仕事は単価も低いし、いつでも切れるようにリスクヘッジされてると実感する。コネクションから生まれる仕事は信頼度もやりがいもあり、上流工程に関われた。周りでコネや生まれを使ってスターダムを駆け上がっている人やコネを使わずに地道にチャレンジし続けているのを見ると、これがいくら全てではないとはいえ、社会の構造だと痛感する。)

  • 自分は搾取される側にいるということ(スキル的にまだ未熟ということ、さらに上記の社会の構造的にも今のところwin-winと思える仕事が少ない現実。)

  • 価値の下がる日本円。海外で稼ぐには時間がかかる。(upworkなど使って外貨で稼げる仕事を増やしてはいるが、自分のスキル的にはできなくもないけど少し方向性のズレてる仕事だったり、ビギナーズラックの臨時収入だったり。デザインの仕事なんて到底競争が激しくて、リモートでの応募で何十社か出したけど返事はなかった。将来性を考えた時にやはり海外で学んで生活の基盤を持つ必要があるなと感じ、思ったより遠い道のりだった😅)

このように、自分のポジショニング、スキル、社会の変化についてつらつら考えていたら、こんな居心地の悪い世界で、楽しく自己実現していく自信がない、と思うようになった。まぁ社会を敵に回してるのは自分なんだけど。

「自分を愛する」「自分を肯定する」というアプローチをいくらやってみても、虚無感は拭えず、自分なりの哲学を編み出すため、自分の内側に起きてる事象について思考を深めて分析するしかなかった。

続く。


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