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主従関係2 --思慕の念?

 こんばんは、乙訓野添です。あらかじめ先に言っておきますが、このシリーズは、ストライクゾーンを広くするために始めた考察です。

 前回、彼らがいうところの「主従関係」というのは、

主=従を支配する、管理する、自由に使う
従=主に従属したい、管理されたい、主の求めに全幅に応じたい

 というもので、「支配する」「従属する」という各々の嗜好がまず先にある、という風に分析しました。一般的なSMの解釈では、「加虐」「被虐」、つまり性感が先頭にくるのですが、彼らの場合は「環境とか条件」が先頭に来る様です。

 いくらSMが「加虐」「被虐」といっても、何の関係もない人に加虐する訳にはいかず、また被虐の気のない人に加虐する訳にもいきません。つまり、SM小説やAVみたいに、借金の方に取られたとか、何か弱みに付け込まれた、といった事でSMが出来る事は、現実亭にはまずまずありません。
 だいたいの場合は、Sっ気とMっ気のある男女が恋愛関係になって、好きな相手の為に頑張る、相手が喜んでくれるなら、またそうやって受け入れてくれる相手をさらに好きになる、そういう感じでSMが展開される事が多かったと思います。主従やってる彼らがいうところの、「恋愛主従」もこれに該当すると思います。
 そこで気になったのが、主従をやっている彼らは、一体、相手のどこに惹かれているのか、どういう感情をもっているのか、という事でした。主従関係をやってる人も様々で、毎日頻繁に「ご主人さまご主人様」とポストしている人もいれば、恋愛は邪魔と言い切る人もいます。しかし、何の感情もない相手と付き合う人はいないでしょう。また、信頼も信用も置けない相手に、身を委ねる事も出来ないでしょう。自分が相手を思い遣る恋愛感情的な気持ちに匹敵するものはあるのか。

 聞いてみたのですが、明確な答えは得られませんでした。まぁ、お付き合いしてる時に、相手への気持ちを科学的哲学的に究明する人はいませんからね。
 ただ、聞けたのは、「主として尊敬してる、奴隷として好きでいてくれている」という言葉でした。まぁ、形は違っても、愛でてる事には違いなかったのです。ちなみに、出会った当初は、普通のSとMとして話しをしていて、徐々にお互いが主従の念を持っているのが分かってから、関係が深まっていく、といった流れの様です。加虐被虐とベクトルは違っても、流れは大差ないな、と感じました。

 では、恋愛の場合と主従の場合の「愛でる」の違いはなんであるか。自分なりに考察してみました。
 例えば、犬猫といった愛玩動物と、牛や豚といった家畜の違い。ペットは家族扱いで、手放したりする事もなく、生涯愛し続けます。しかし、家畜は基本的には使役して使えなくなった潰して食料にする、はたまた最初から販売目的で飼育する。だからといって、そうした職業を生業にしている人が、牛や豚を粗末に扱っている訳ではありませんが、自分の家族と同等にそれら動物を見てない事は確かでしょう。
 正解ではないかもしれませんが、こうした家畜に対する愛で方、また家畜になったと想定しての飼い主に対する慕い方。それが主従のざっくりした思慕の念なのではないかな、と想像しました。家畜は動物ですが、人間でいけば奴隷です。なるほど、SMでM側が、奴隷だの家畜だの豚の呼ばれる理由が、何となく分かってきました。

 かつてお付き合いした人が、ある日、

私は○○君の奴隷だから

 と言ってきた事がありました。自分は主従をやっている自覚がなかったので、即座に「彼女だよ」と否定したのですが、もしかしたら、彼女は主従でありたかったのかもしれません。とすると、当時の自分は彼女の思いに応えられなかった訳で、申し訳ない事をしたな、と今は思っています。

 今回のnoteはここまで。このシリーズ、まだまだ続きます。確かに奥深い世界です。


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