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人はそんなにヤワじゃない/エッセイ

「こんな世の中に生まれてくる子供が可哀想だから産みたくない」

このような考えがいかに馬鹿げているか。

 正直いって私には面倒なことを避ける逃げ口上にしか聞こえない。またどんな世の中であっても子育ては大変だ。面倒で大変なのは前提として覚悟を決めるべきだ。

そしてあなたが本当に「こんな世の中」に深く絶望しているのであれば、あなた自身が変える努力をすればいい。日本国籍を持ち、ある年齢に達すれば、誰でも被選挙権を行使出来る。

その努力ができないならば、そして「こんな世の中」と真剣に非難しているのであれば、逆に次世代に託すしかない。その意味において子供を産み育てることが必要になってくる。

親が子の幸せを願うのは当然である。けれど死ぬまで一生苦難なく過ごしてほしいと本気で思っているのなら滑稽だ。むしろそんなお花畑のような人生なんて送らせたくない。

「可哀想」だって?冗談じゃない。人は過去に世界中でどれ程の様々な困難に打ち勝ってきたと思っているんだ!舐めるんじゃない。「可哀想」とかで産まないのは、単に子の無限の可能性を信じず、潰しているに過ぎない。産まずして毒親である。

親はなくとも子は育つ。100人の子供のうち99人が挫折しても、たった1人の存在が1万人の幸せを作ることもある。その可能性を信じる。数打ちゃ当たるだがそれが現実だ。

また99人の挫折者も子供を産めば、その子供の中からだって称賛される人が出てくる可能性もある。さらにその子供にも可能性がある。産まなきゃ可能性はゼロだ。産み続ける限り可能性はどんどん広がる。

あなたの祖先も、今の世の中では想像もできないほどの苦難を乗り越えて子を産み育ててきた。飢饉のときも、疫病のときも、地震や噴火のときも、戦争のときも。そして毒親でも。

その長い長い時間の中で、祖先はどんなに苦しくてもその時を生きぬいて子を産み育てることを諦めなかった。だから今あなたがいる。どこかで誰かが諦めたら、あなたは存在してない。

この世の中はあなただけの物じゃない。あなたが潰していいものでもない。この先、生まれてくるはずの者たちの物でもある。祖先が託した想いを次世代に受け渡す責務がある。

もちろん、一人では産めない。相手が必要なことなので、どうしてもダメなときもある。それは仕方ない。だからと言って簡単に放棄していいものでもない。最低限の努力はすべきである。

そう考えれば、自分を愛し人生を共に歩んでいく人が現れることがどれほど幸せなことかを実感できる。脈々と流れる時の流れの中の、ある区間を任された二人である。いざゆかん!

子供はいずれ大人になる。社会を作り育てる大人になる。いつまでも子供ではない。子供のままで思考を止めず、子離れを意識することだ。そして、社会に出て苦難を乗り越え頑張る子の姿を想像し、育てていく。

晩婚化、高齢出産の今の時代、親は死ぬまでに子の成功を見届けることは出来ないかもしれない。しかし、死に際のその瞬間まで、人生を謳歌する子の姿を、その可能性を信じ切ることだ。

それが自身の意味ある人生ともなる。
そして、あなたもまたそんなにヤワじゃない。


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